アスペルガー医師ロンの日常

医師でもあり、アスペルガー症候群当事者でもあり、更には911GT3&ロードスター乗りでもあるワタクシのささやか(?)な日常

INTO THE MACABRE

 ロンマニアの皆様、こんにちはm(_ _)m


「どうぞ偉くなって下さい。然し無暗に焦ってはいけません。ただ牛の様に図々しく進んで行くのが大事です」

By 夏目漱石 〜 芥川龍之介へ宛てた書簡の一部


 といった今日この頃、皆様はどうお過ごしでしょうか。


 さて、先日は「カネで結ばれた人間関係」という何ともダークでギャグの無い話であったが(笑)悲しい事に今回も同じネタだったりする(爆)何せネタが無いモンですから、ハイ(滅)補足が足りなかった部分があるのだが、ワタクシはクルマやサバゲー等のショップを100%信用していないワケではない。中には言い方は悪いかも知れないが「利用」させて頂いてるショップもあるのである。で、どうすれば「カネで結ばれた人間関係」を良い関係に維持できるか?と問われれば、ワタクシの答えは実に簡単、それは「そのショップに大量のカネを落とす事」である。


 クォリティーの良いショップを見つけたら、そこを徹底的に利用する。勿論、BB弾1パック、オイル交換1回だけで"上客"になれるはずなど無い(笑)長らく通ってン十万円、ン百万円とカネを落としていく事によりショップ側に「この人を放したら損をする」と思わせるようにするのである。勿論、その間に知識を蓄える事を忘れない事が重要。そうすればカモられる事無く、逆にこちらが主導権を握る事が出来るようになる。そうすればショップが一方的に差し出してくるだけのカスタムメニューに注文を付けられるようになるし、上手くやれば業界内でしか流れていない"裏情報"が入ってきたりもする。


 よーするに、カネで結ばれた関係というモンは、積み重ねたカネの分だけ強くなっていくと、ただそれだけの話である。言うまでも無く「カネの切れ目は縁の切れ目」なので、カネが無くなったらアウトになる事は間違いないであろう。やはり「カネ」が絡んでくる人間関係に美しいモノを求めてはいけないとワタクシは思うのである。あのイエス・キリストだって銀貨30枚、当時の価値で言えば3万円でアッサリと裏切られたのである。てゆーか、イエス・キリストが誕生する遥か前から人間というナマモノは、カネ欲しさに殺したり殺されたりしてきたのである。んでもって、イエス・キリスト死後も人間というナマモノは未だにカネ欲しさに殺したり殺されたりしているのである。モノホンの人間関係を求めるのなら、その間にカネを入れてはいけないのである。


 何故ワタクシがこの様に「カネで結ばれた人間関係」を嫌うのかと言えば、実は理由があるのである。恥ずかしながら、身内にそのテの人間がおり、事もあろうに我が家の大黒柱であったりする(鬱)親父は貧乏な家に生まれ、御世辞にも良いとは言えない環境の中で育ってきたのである。物心ついた頃から貧乏生活の惨めさを味わっており、学校でも貧乏と言うだけでイジメを受けていたとの事である。「何時か絶対偉くなって金持ちになって、バカにした奴等を見返してやる!!」といった精神的なバックグラウンドが今の親父の原動力でもあり、同時に大きな欠点だったりする。


 親父の家族は貧乏だから、良い学校へ行くためのカネなんて無い。だから子供の頃は奨学金欲しさに死ぬほど勉強して常にトップを維持し、ヒマさえあればバイトをしていたとの事である。その甲斐もあって国立大学医学部に奨学金付きで入学でき、晴れて念願だった医者になれた・・・・・とココまでは如何にも素晴らしいサクセスストーリーなのだが、この時点で実は大事なものがスッポリと抜け落ちているのである。親父にとってカネは「手段」ではなく「目的」になってしまっているのである。カネを使って何か楽しい事をするのではなく、カネを持つことか、あるいはより大きなカネを得るためにカネを使う。預金通帳をの額を見ながらニヤニヤしている親父の顔が子供心ながらワタクシの記憶に残っているのである。


 バイトと勉強漬けで趣味も無く、話をしても「如何に出世するか、如何に儲けるか」の話ばかりで気が滅入るのである。カネを持っているにも関わらずメシは何時も安い所で済ませ、服も安いものを選んで使い、飛行機に乗るときも血ナマコになって一番安い路線を探す。家はワタクシが少年時代を過ごしたボロくて狭い家に未だ住み続けているし、乗ってるクルマも"超"が付くほどの大衆車。でもって、親父ももう還暦は過ぎていて、長く生きてもあと10年かそこそこである。一体これ以上貯めて何に使うのかワタクシも甚だ疑問である。


 で、タチの悪い事に、少年時代のいじめられる→やり返す→更にいじめられる、を繰り返していたせいか、非常に人間不信が強いのである。てゆーか、正確に言えば自分以外誰も信じていない、と言った方が正しいであろう。長い間ワタクシの日記を読んで下さっているロンマニアの皆様ならご存知かもしれないが、ワタクシが親父と仲違いしているのは息子であるワタクシに向けた不信にあるのである。家族すら信じていないのであるから、当然周りに人が集まってくる筈も無い。すると親父はどうしたかと言えば、答えは「カネで結ばれた人間関係」の方に傾いていったのである。つまり、人間関係をカネで買おうとしたのである。


 親父は常々ワタクシにこう訴えてくるのである「自分は強い、自分にはカネも地位もある。だから自分を愛せ、そうすれば自分(カネ)の力をお前にくれてやる」と。親父が本当はそういった損得勘定の無い愛情を求めている事は薄々ながらワタクシも感じている。が、ワタクシはたとえ親であってもそれには一切妥協はしないし、第一ワタクシはカネで買えるほど安っぽい人間ではない。ワタクシが出来る事はそれらのメッセージをシカトする事により「カネでワタクシの愛は買えない」という事を示すのみである。それがたとえ"死別"という形で終わったとしても、ワタクシはそれでも良いとすら考えている。


 だからワタクシは「カネで結ばれた人間関係」ってヤツを信用出来ないのである。親父みたいにカネに人生狂わされて、カネはあっても自分の周りには誰もいない、カネはあっても使い方を知らない、カネでしか自分を表現できない人間にはなりたくない、と言うのが本音である。とはいえ、そういうワタクシも偉そうな事を言えるクチではなかったりする。何故なら親父は何らかんら言いながら結婚して2人の子供を持てたが、ワタクシは"彼女いない歴=年齢"なのであるから(笑)「損得勘定の無いモノホンの人間関係」ってヤツを如何に多く持てるかが人間にとって大事なのは分かっているのだが、未だに悪戦苦闘の続く今日この頃であった。