アスペルガー医師ロンの日常

医師でもあり、アスペルガー症候群当事者でもあり、更には911GT3&ロードスター乗りでもあるワタクシのささやか(?)な日常

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 ロンマニアの皆様、こんにちはm(_ _)m


「怠けていることは喜びかもしれないが、重苦しい状態である。幸せになるためには何かをしていなくてはならない」

By マハトマ・ガンジー


 といった今日この頃、皆様はどうお過ごしでしょうか。


*仕事始め

 あっという間だった年始年末の休みも終わって、今日からまた仕事である。収入が増えるのは良い事なのであるが、ソレ即ち仕事も増えてるんだなコレが( ´Д`)=зまぁクルマを2台も買っちゃったんだから、気合いを入れてキリキリ働かにゃならんのである。そう、今まで惰性でチンタラ働いてたワタクシとは去年でオサラバしたのであり、今年のワタクシは仕事にバリバリ邁進するのであr・・・・・

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やっぱ前言撤回である(笑)何せ年末年始はず〜〜っと【フォールアウト4】やってたんで、時間が過ぎるのがあっという間なのである(^_^;)ハマるとヤバい事は前々から分かってたけど、やっぱヤバかったのである。やってるとあっという間に時が過ぎるから、お陰で休んだ気が全くしないのである(爆)


 このゲームの魅力は色々あり過ぎて、説明すると限が無いのでこの際省略するが、やっぱ一番は「プレイヤーを演じ切って未知の世界を冒険し、自分だけの物語を作り上げる」って事を目一杯楽しめる事であり、ココ最近の和ゲーで忘れられている事である。全部がそうだとは言わないが、最近の和ゲーRPG(通称JRPG)はソレが出来なくなってしまってるのである。自分自身じゃないプレイヤーが設定されてて、物語が既に設定されてて、プレイヤーはそのシナリオをなぞるだけ。プレイヤーが主役なのではなく、プレイヤーが観客になってしまってるのである。ソレが楽しいって人もいるだろうけど、ワタクシに言わせれば「そんなモンはアニメでやれo(`ω´*)o」なのである。


*自己肯定感って何ですか

 ワタクシ的に、今年の仕事(といっても副業の方だけど^_^;)としてやってみたい事が一つあるのである。ソレは「アスペ含む発達障害の当事者に、真の意味での自己肯定感を持って貰えるようにしてあげたい」という事である。この手の「自己肯定感ヲー」系のセミナーやワークショップってのは、発達界隈の内外でも頻繁に行われているのだが、問題が一つだけある。ソレは「自己肯定感の元が劣等感の裏返しである」という事である。何が問題かというと:

具体的かつ明確に肯定できる事柄が無い

そうすると、具体的かつ明確でないモン(折り紙が得意、言葉遣いが丁寧、笑顔が素敵など)を肯定するように仕向ける

「自分はやれば出来るんだッ!」っていう具体的な物証が無いから、芯の通った確信とならない

芯の通った確信じゃないから長続きする筈も無く、ちょっとした事で簡単に崩れてしまう

でもやはり具体的かつ明確なモンが作れないから、しばしの安心を得るために再度ワークショップやセミナーなどに通う

以後繰り返し

( ゚Д゚)マズー

という事になるからである。ワタクシもこの手のセミナーやワークショップなどで講師やった事があるから見てたのであるが、やっぱこの手の催しモンに頻繁に顔を出す当事者(及びその家族や関係者)が少なくないのである。なぜ似たような話を何回も聴きに来るのかって、上記の理由である。状況を打開するための具体的な「何か」を掴めないから、ソレを求めて通い詰めるのである。


 じゃあどうすれば良いかって、具体的に明確な芯の通った確信を与えればいいのである。じゃあソレは何かと言ったら、ワタクシの答えは「カネを稼ぐ事」である。冗談でも何でもなく、カネを稼げるようにする事が「私は価値のある人間なんだッ!」って自信を与えるのである。ニッポンは資本主義の国であり、資本主義の国において価値の基準となるモンは何かと問われたら、ソレを「カネ」と答えるためにMBAを取る必要なんか無いのである。カネが稼げて有能な人間と、カネは稼げないけど有能な人間。どっちが多いかと問われたら、何だかんだ言って前者なのである。だからカネを稼げるって事は、ソレ即ち「その人に能力がある」っていう証左になるのである。


 だからワタクシは講演の度に「勉強しろ、学校へ行け、学歴はあればあるだけ良い」とか「プロ当事者になろうと思うな、ちゃんと足を地に付けて働け」とか「いつ訪れるか分からん希望なんぞ待つぐらいだったら、バイトの一つや二つぐらい出来るようにしろ」とかいった、夢もキボーも無い事を言いまくっているのである(笑)多分そのせいだと思うのだが、去年講演に呼ばれた回数はたったの一回である(爆)ワタクシは常々「魚を与えれば3日生きられるけど、魚の採り方を覚えれば一生食っていける」と言ってるのであるが、言っちゃ悪いけど「毎日魚を与えてくれるような世の中にしよう」って考えてるヤツも少なくないって事である。


*理解から受容へ

 理解と受容は同じモンではないのである。例えばワタクシはオタクだからオタクの気持ちはイヤと言うほど分かるけど、ソレ故にオタクのダメなトコも理解できるが故、ワタクシはオタクとは距離を取ってるのである(笑)発達障害関係の講演会とかじゃ未だに「発達障害に対する理解ヲー」ってやってるけど、理解したからといって受容されるとは限らないのである。もしもココで「私達発達当事者は可哀想な弱者なんだから、理解したら社会は守らなければいけない」とか言うのであれば、ワタクシはソレを拒否させてもらう次第である。何故ならその関係は平等なモノではなく、平等でない関係ってのは何時か必ず破綻する。コレは歴史が示している事である。


 あと「理解ガー」って言っても、昔と違って発達障害関係の書籍は本屋に山ほどあるし、テレビでも頻繁に特集やってるし、ネットを調べればソレ以上に情報が転がってるのである。つまり「理解ガー」の時代は、ワタクシに言わせれば既に終了しているのである:

だからワタクシとしてはその次の時代、つまり「どうやれば発達当事者が受容されるようになるか」を考え行動する、そんな仕事がしてみたいのである・・・・・が、ココに問題が一つある。ソレは「そういう仕事をしてみたい」って思ってても、そのアテが全く無い事である(笑)でもまぁ、やる事やってれば何時かは回ってくるモンなので、ソコんトコは焦らない次第である。良くも悪くも、時代は常に前へと向かって変わってる。新年早々そう思う今日この頃であった。