アスペルガー医師ロンの日常

医師でもあり、アスペルガー症候群当事者でもあり、更には911GT3&ロードスター乗りでもあるワタクシのささやか(?)な日常

MADE TO BE BROKEN

 ロンマニアの皆様、こんにちはm(_ _)m


「自説に固執し、夢中になることは愚鈍さの最も確かな証拠である。ロバほど確信に満ち、果断で、尊大で、思慮深く、生真面目で、謹厳ものが他にあろうか」

By ミシェル・ユケーム・ド・モンテーニュ


 といった今日この頃、皆様はどうお過ごしでしょうか。


 イギリス出身の名ドライバー、スターリング・モスはこう言ったのである「現代人にとっては、クルマの運転とセxクスがヘタだと言われる事ほど悔しいものは無い」と。ワタクシはこの言葉こそ日本と欧州のクルマ文化の格の違いを如実に示すモンだと考えている。言葉自身もそうであるが、何よりもこの言葉がモスの口から出てきたのは何と1960年代なのである。1960年代といえば日本がスバル360の登場によりやっと一般庶民でもクルマが持てるようになった時代、当然ドラテクもへったくれも無い。そんな時代から欧州の連中は「クルマの運転とセxクスがヘタなヤツはダメ」って言っていたのだから、その歴史の深さは推して知るべしである。


 で、話を本題に戻そう。昼メシを食った後、ワタクシと"師匠"は宛も無くただチンタラと一般道をまったり走る。最初大きかった道がドンドン狭くなり、海辺を走っていたはずがいつの間にか山道になり、気が付いたらヒルクライムをやっていたのである。ヒルクライムぐらい珍しくも何とも無いのだが、一番恐かったのは「道が1車線しかない」という事である。車幅が狭すぎるのと、対向車がいつ来るか分からない恐怖感があったので、流石に攻めるのはムリである。道は1車線、端っこは山壁で反対側は崖、まるでWRCの世界である。時速40kmでも十分過ぎるほど恐いのに、ペター・ソルベルグとかセバスチャン・ローブとかはこんな所を時速140kmで駆け抜けるのである。あの人達の心臓には一体何本毛が生えているのであろうか。


 で峠道を通り過ぎて平坦な道を走っていると、この狭い道には不釣合いなミニバンが数台。近付いてみると、何とそこにはパンツ1丁(以後パン1/笑)のいい年こいた男達数名がホースで水遊びをしてはしゃいでる姿が見られたのである。


「||||||||||||||(; ̄ロ ̄;)||||||||||||||||」


余りの非日常性に、"師匠"もワタクシも声が出ない。「額縁から飛び出してきた抽象絵画」とでも言えば良いのであろうか。今思えばデジカメを持って来なかった事が非常に悔やまれる。あの光景を写真に撮って、額縁に収めてルーヴル美術館に寄贈したかったぐらいである(笑)あるいは"男と水"というタイトルをつけてピューリツァー賞を狙えたかも知れない(爆)


 しばしの沈黙のあと、"師匠"が重い口を開く。


「・・・( ̄д ̄)見たよな・・・」


「・・・( ̄д ̄;)見ました・・・」


「・・・(´д`)パン1だったよな・・・」


「・・・(´д`;)確かにパン1でしたね・・・」


「・・・( ̄− ̄)お前、コレが何だか分かるか・・・」


「・・・( ̄− ̄;)ワタクシにも全然分かりません・・・」


 ここは山である、海もプールも無い。周りは見渡す限り茶畑、そんな所でパン1の男達数名が水遊びではしゃいでいるのである。可能性として考えられるのが:
①新手のイタズラ番組
mixiコミュ「パン1の会」のオフ会
③新たな抽象的前衛アート
④その他
ワタクシと"師匠"は現在の所②を考えているが、ロンマニアの皆様は如何であろうか(核爆)


 その後「パン1」を連呼しつつ(笑)次の峠を走る。峠の途中、丁度良い休憩場があったので一休み。そこで"師匠"による"トリックマスター"批評が始まったのである。
「形は好きになれないけど、良いクルマだよコレ」
「ホントですか(⌒∇⌒)」
「ただ問題が一つ・・・」
「そ、それは一体・・・( ̄△ ̄;)」
「それを操るドライバーの腕」
「・・・orz・・・」


 その後、走りの新しい教えを授かりつつ、やっとこさ山を降りる。再び広い一般道に出て最初に見た看板が「Y市まで10km」という看板。とどのつまり、海沿いに行ったつもりが、いつの間にか一周して更に遠くへ行ってしまっていたのである(笑)でもって、晩メシも"師匠"オススメの店へ行こうと思ったのだが、残念ながら客が余りにも多いため断念。その後はワタクシの体内門限も近かったこともあり、無粋だが高速で帰りインターチェンジで晩メシを取るハメに。その日1日で走った距離650km、夏休みから併せて10日で2500km。あと楽しい後日談もタップリあるのだが、もうそろそろ疲れてきたのと、ロンマニアの皆様を再度焦らすため再び後日へ持ち越す今日この頃であった。