アスペルガー医師ロンの日常

医師でもあり、アスペルガー症候群当事者でもあり、更には911GT3&ロードスター乗りでもあるワタクシのささやか(?)な日常

NORDLAND

 ロンマニアの皆様、こんにちはm(_ _)m


「変わり者と理想家とは、一つの貨幣の両面であることが多い。どちらも説明のつかないものに対して、第三者からはどう見ても無意味なものに対して頑固に忠実にありつづける」

By 三島由紀夫


 といった今日この頃、皆様はどうお過ごしでしょうか。


サバゲー好きは銃好きに非ず?

 ワタクシがサバゲーを始めたのが、確か2003年の2月ごろだったと思うのである。つまり今現在、ワタクシのサバゲー歴10年って事である。でもってサバゲーを10年続けてきて、先日初めて気付いたことがあるのである。ソレは「ワタクシ実はサバゲー銃火器もミリタリーも然程好きではなかった」という事である(笑&実話)無論”好き”と”嫌い”を天秤にかければ、今でも”好き”の方に傾くのは間違いないのであるが、ただ「ヒマさえあればサバゲーやってる」だとか「ミリタリーグッズを仕入れるのに金目や苦労を厭わない」だとか「銃の知識に貪欲で、あらゆる文献や映画や資料に目を通す」っていう理性を吹っ飛ばすような強烈な情熱は殆ど無いのである。その事に気付き始めたのは前回トレポンを物色に行った時である。あの時ショップの中に居た人の中で、ワタクシ一人だけが冷めていたからである。


 じゃあ何故今までサバゲー続けていたのか?先日の定例会で、その答えが出たのである。ワタクシは面白い人と会うのが好きなのである。思い起こせば”師匠”と初めて会ったのはサバゲーフィールドだったし、良い出会いも悪い出会いも、良い経験も悪い経験も、殆どサバゲーがキッカケだったからである。サバゲーマーっていう人種は、色んな意味で個性の強い人が多いのである。でもって、個性の強い人ってのは自分の人生哲学や自分の意見ってのをシッカリ持っている場合が多く、ソレが常にワタクシを惹き付けるのである。そういう人達とセーフティーエリアで駄弁ったり、一緒にサバゲーしながらその行動を観察したり、そうやってワタクシには無い経験や考え方を色々学んで、ワタクシ自身にフィードバックするのが好きなのである。だから「貴方にとってのサバゲーとは何か?」と問われたら、ワタクシは「勉強」と答える次第である。


*相違は敵対に非ず

 意見や考え方の違いもあるから大変だろうって?全く以って逆である。意見や考え方は違ってた方が面白いし、勉強になる。ワタクシが思うに「意見が違う」と「敵対している」は似てるようで全く違うのである。意見の違う人、特に真逆の意見を持つ人ってのは、いわば合わせ鏡のようなモンなのである。地球からじゃ何をやっても月の裏側は見えないのと同様に、真逆の意見を持つ人ってのは、得てして自分達知らない自分達のダメなトコをシッカリ見ているモンであり、この「自分達知らない自分達のダメなトコ」を知る事が大事なのである。こうやって自分とは違う意見、自分からは見えない部分を受け止めて、悪いモンは素直に悪いと認めて、直せるモンはシッカリ直していって、そうやって自分を成長させていくのである。そんな事すると自分の信念が揺るがないかって?全く以って逆である。真実の姿を知って嫌いになるって事は、そもそもソレを心底愛していないって証左なのである。


 分かり易い例がワタクシの”師匠”である。ワタクシにとっての”師匠”の存在がどれだけ大きいかといえば「この人がいなければ今のワタクシは確実にいなかった」と断言できるぐらいに大きいのである。そんなワタクシと師匠の共通点は「共にサバゲー好きのクルマ好き」だという事。相違点は「ソレ以外ほぼ全て」である(笑)ワタクシと”師匠”の付き合いは長いが、住んでる世界がそもそも違うせいか、共通する意見が余りにも少ないのである(^_^;)

               ワタクシ               ┃               ”師匠”
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 ハイテク&4WD最高                     ┃ ハイテクも4WDもつまらないから嫌い
                                   ┃
 クルマは速くてナンボ                     ┃ どんなに速くてもカッコ悪いクルマはお断り
                                   ┃
 自分の欠点を補うために道具に頼るのはアリ       ┃ 自分の欠点を克服できないヤツに道具は使えない
                                   ┃
 音楽は歌詞が無いと理解できない              ┃ インストルメンタル曲で涙を流せる
                                   ┃
 人間は見た目でなく中身                   ┃ 見た目がダメなヤツの中身なんか興味ない
                                   ┃
 物事はまず理屈から入る                    ┃ まず「好きか嫌いか」から入って、理屈はその後
                                   ┃
 気に入らなくても延々とソレを続ける             ┃ 気に入らなければ即サヨナラ
                                   ┃
 バカだけど勉強が好き                     ┃ IQ140だけど勉強は嫌い

ホントはもっと沢山あるのだが、限が無いのでコレ以上はパス(笑)聡いロンマニアの方ならば「人の考えが分からんアスペ野郎のロンなのに、何で”師匠”の考えが分かるんだ?」と疑問に思った事であろう。答えは簡単、他ならぬ”師匠”がワタクシに直接言ってきたからである(爆&実話)フツーの人だったら「お前のクルマはカッコ悪いから好きになれない」とか「お前の聞いてる音楽は退屈だ」なんて言われたら速攻絶交すると思うのであるが、ソレについて行ったワタクシもワタクシである(核爆)何が言いたいのかというと「批判する」と「否定する」は違うって事である。批判ってのは相手に対する思いやりがあるが、否定にはソレが無いのである。そう、ウチの”師匠”は確かに言いたい放題であったが、ワタクシに敵意を向けたり否定したりした事は一度も無かったのである。


*批判は否定に非ず

 でもって、聡いロンマニアの方なら分かると思うが、上記で書かれてる”師匠”の言葉ってのを、ワタクシは何だかんだ言って取り込んでるのである。真逆の事を言われる度にワタクシは「何故”師匠”(と類似の考え方を持ってる人々)はコレを嫌うのだろう」って考えて、その答えを色々と探すのである。そしてその答えが見つかった時には、同時にワタクシ側の欠点も見えてくるのである。その時”師匠”が正しかったと思えばその意見を取り込むし、逆に「ソレでもコレだけは譲れない」って感じたら固持する。上記でワタクシが「欠点を知る事で、寧ろ逆により一層愛せる」って言ったのは、つまりこういう事である。欠点があるのを分かった上で「ソレでも好き」って言える根拠が何だかを知る事で、より深くソレを愛せるのである。イスラム預言者ムハンマドも「私は私を批判する者を最も愛する」と言ったが、その真意がコレなのである。


 上記にもあるように「意見が違う≠敵対する」であり、同様に「批判する≠否定する」であるっちゅーのがワタクシの考え方である。だからワタクシは敵対の意志と悪意が無い限り、異論反論は積極的に受け入れる所存である。でも未だに世間一般じゃソレを「=」と捉えて異論反論を「すべきでないモノ」としてタブー化する考え方が多いのが残念なトコである(^_^;)ワタクシに言わせれば異論を受け付けない事は進化の否定であり、進化の否定はソレ即ち退化である。でもって更に厄介な事に、ニッポンには「滅びの美学」なんてシロモノが存在していたりする( ̄〜 ̄;)ワタクシ的には異論反論をぶつけ合って互いに成長するのは楽しい事だと思うのであるが、ことニッポン文化においてワタクシは公共の敵と化すのである(笑)世間が正しいのかワタクシが正しいのか、ソレ考えたら眠れそうにない今日この頃であった。