アスペルガー医師ロンの日常

医師でもあり、アスペルガー症候群当事者でもあり、更には911GT3&ロードスター乗りでもあるワタクシのささやか(?)な日常

CORE

 ロンマニアの皆様、こんにちはm(_ _)m


「真理!眼をしっかり開いて、生命の強烈な息吹を全身の毛穴から吸い込み、物事をあるがままに見、不幸をまともに見つめ、そして笑うのである!」

By ロマン・ロラン


 といった今日この頃、皆様はどうお過ごしでしょうか。


 ワタクシが以前いた心臓外科教室のS先生が、この度アメリカの名門校イエール大学の教授になるとの事である。これはもうヘビー級のグッドニュースである。「S先生ってどんな人なの?」と問われれば「ワタクシや"師匠"と"同じ側"にいる人」と答えよう。ワタクシはS先生の研究チームにいたことがあるから知っているのだが、S先生は自分の目的を達成するためなら奥歯がガタガタになるほど歯を食い縛って努力し、何事においても妥協は一切しない。向上心の無いヤツ、全力疾走が出来ないヤツ、結果を残せないヤツには私情を一切挟まずバッサリ切り捨てるが、その反面趣味の幅が広く偏見を挟まない。S先生とはそういう人である。


 でもって、あの医局の中でワタクシを誰よりも高く評価してくれて、病気が判明した後もワタクシのために奔走してくれた恩師でもある。で、結局健康上の理由と周囲の状況からして袂を分かつ事になってしまったのは周知の事実である。ワタクシはタラレバが後悔が募るだけで何の役にも立たないから嫌いなのであるが、もしワタクシの病気が手術や数ヶ月の療養で完治するようなシロモノだったら、ワタクシは間違い無くS先生と心中するつもりで必死について行ったに違いないであろう。そのS先生が名門イエール大学の教授になったのだから、嬉しくないワケが無い。あと数年もすれば、医療従事者でなくても「イエール大学S教授」の存在を知るようになるとワタクシは確信している。


 これで"こちら側"の人間が日本で市民権を得られるようになるための時間が更に短縮するというモンである。以前、親友のT氏とお話をした時に「今の日本で"僕達の側"の人間が上に立つのは難しいだろうね。あと20年はかかるだろうな」という言葉が未だに印象に残っているのである。ワタクシには選民意識などというモンは殆ど無いのだが、この日本という国で上に立つためには圧倒的大多数である"向こう側"の人達に好かれて、且つその和の中に遺憾無く溶け込む能力が非常に重要だったりする。その事を理解するために人類文化学の博士号を取る必要など全く無い。テレビの国会中継やニュース番組を見れば一目瞭然である。でもって、"向こう側"の人達に対して中指おっ立てて孤立してしまったのがワタクシだったりする(笑)


 まぁ、社会や他人や自分を責めたって何の役にも立たないのは周知の事実である。人間、何をどうやっても生まれる場所と育つ環境と両親だけは選べないのである。ついでに言うと、死ぬ時間と場所も決められない。が、その間にある生き方だけは自分で選べるし、自分で選ぶべきモンだと思う。もう転がり過ぎて何がどう変わるかワタクシにも分からないが、1つだけ言えることは「絶えず自分を磨く事」であろうか。ひょっとしたら医師としてかも知れないし、ひょっとしたら物書きとしてかもしれないし、ひょっとしたらレーシングドライバーとしてかも知れないが(笑)チャンスがワタクシの扉をノックしたその瞬間に、扉を開いて全開で行けるように準備する事だとワタクシは思うのである。部屋に引き篭もってしまい、チャンスのノック音に対して耳を塞ぐ様じゃじゃもうお終いなのである。


 とまぁ、湿っぽい話はワタクシの好むところではないので、ガラリと変えるとしよう。遂にコレを読み始めたのである:

涼宮ハルヒの憂鬱 (角川スニーカー文庫)

涼宮ハルヒの憂鬱 (角川スニーカー文庫)

涼宮ハルヒの溜息 (角川スニーカー文庫)

涼宮ハルヒの溜息 (角川スニーカー文庫)

涼宮ハルヒの退屈 (角川スニーカー文庫)

涼宮ハルヒの退屈 (角川スニーカー文庫)

 面白い、マジで面白い、いや冗談抜きで面白い。ワタクシに言わせれば、コレをアニメで見るのは無粋である。原作の作文術にこの作品の真骨頂があるとワタクシは思うのである。とにかく文章の躍動感がシャレにならないぐらい上手い、耳に残るギターソロのフレーズみたいに最初からガツンと来て、ムダな間延びが無く、かといってムダな手数も無く、テンポ良く進んで限の良い所でリフに戻る、といった感じであろうか。でもって、平凡な言葉の中にチラホラ見られる作者のボキャブラリーの多さ。「面白い文章」を常日頃意識しているワタクシにとって非常にタメになったのである。


 で、ストーリーも負けじと面白い。いきなり現れる原因不明の非日常を、あたかも日常のように語る主人公のソレが相反する事無く織り交じってハーモニーを奏でる。まるでフランツ・カフカの作品である、ワタクシが学生の時に読んだカフカの「変身」や「裁判」や「城」を読んだ時のあの感覚そのものなのである。「涼宮ハルヒの憂鬱」シリーズが好きなロンマニアの皆様には、是非ともフランツ・カフカの作品を読んでもらいたいのである。余りのクリソツさにビックリする事請け合いナシだからである。とまぁ、S先生の話から人生論に移り、そこからいきなりハルヒの話になったと思ったらカフカの話に移行するという、こちらは思いっきり不協和音を奏でている今日この頃であった。