アスペルガー医師ロンの日常

医師でもあり、アスペルガー症候群当事者でもあり、更には911GT3&ロードスター乗りでもあるワタクシのささやか(?)な日常

WE KILL EVERYTHING

 ロンマニアの皆様、こんにちはm(_ _)m


「自分の中で基本的な間口を広くもっているというのは大切です。最初から"いらない"と捨ててしまうんじゃなくて、自分の中で間口を広くもって、とにかく入れてから捨てるということが大切なんじゃないかと僕はいつも思っているんです」

By 古田敦也


 といった今日この頃、皆様はどうお過ごしでしょうか。


 他の人はどー考えてるのかは知らないが、少なくともワタクシはコレを見てこのクルマ&ヒュンダイ車が欲しいとは全然思わんのである( ̄__ ̄)やっぱアレだけボロクソに扱き下ろされて相当トサカに来てたのか【ヒュンダイがトップギアをパロったCMを作った】そうである。まぁ、気持ちは分からんでもない・・・


・・・ココまで徹底的にボロクソ扱き下ろされれば、そりゃ文句の一つや二つは言いたくなわな(笑)が、流石にこのCMじゃダメなのである:

何ちゅーか、CMから感じられるのは単純な"怒り"だけであり、皮肉において最も重要な要素である"ユーモア"が全く感じられないのである┐( ̄ヘ ̄)┌コレじゃ効果がないどころか、むしろヒュンダイのセンスを疑う&トップギア側をセンスを再評価する事になって逆効果である。てゆーか、トップギア側も間違いなくコレ以上のネタを用意して反撃するだろうから、泣きっ面に蜂+アナフィラキシーショックである(笑)


 そんな韓国車に新たな歴史の1ページが刻まれようとしてるらしいのである。数年前から企画が上がってて、その姿が「グランツーリスモPSP」にも登場してた伝説のクルマであるオウリム・スピーラが【この度市販化されることが決定したらしい】のである。カタログスペックで語るのもアレなので、走ってるトコを見てみるとしよう:

上のはちょっと映像が古いので、新しいソレも貼っておくとする:

スタイリング的には結構ワタクシ好みなのであるが、ソレ以外は全然NGである(笑)まずはエンジンだが、音が思いっきりチューニングカーのソレで萎える。ンでもって次は出力特性である。2.7LツインターボV6で最大出力500馬力というが、トルクピークが5000rpmで出力ピークが5800rpm→如何にも「ターボでパワーをムリヤリ捻り出しましたっ(>_<)」っていう余裕の無いエンジン→回してて楽しくない上にすぐ壊れそうなヨカーンって話である。しかもエンジンはあのヒュンダイ製なのである(爆)


 チューニングカーなら兎も角、コレはスーパーカーである。エンジンに魅力がないスーパーカーなんぞ、タコの入ってないたこ焼きみたいなモンである(笑)その他にも、如何にもチューニングカー然とした無粋なだけで駆り立てられないインテリアと、3ペダル6速MTという旧態以前のミッション。あと気になったのが足回りである。上記の動画で「何か足の動きが不自然だなぁ〜(-_-;)」と思って別の動画見てみたのだが、案の定そーだったのである:

一番上の映像で山下氏が「足回りに関しては街乗りなら無問題、サーキットだと・・・」って茶を濁してた部分がコレである。パワーが500馬力もあるのにも関わらず、タイヤが前225&後275(共に19インチ)しかなく、サスは硬いけどショックの腰が弱い→つまり、タイヤと足回りが完全にエンジンパワーに負けているのである。こう言っちゃアレだが、とてもじゃないが怖くて振り回せたモンじゃないのである。


 レーシングカーとは、強力なエンジンにタイヤを4個つけたモノである。コレは故エンツォ・フェラーリの言葉であるが、至極正論である。クルマ最も重要な部分はエンジン&そのパワーを伝えるためのタイヤであり、ぶっちゃけ他の部分全てはエンジンとタイヤを活かすために存在してるようなモンである。スーパーカーが美しいのは、その根幹に最高のエンジンを据えていて、そのパワーを最大限活かすために持ちうる技術の粋を集中させている点にある。様式美、官能美とかいうのも良く言われることであるが、ワタクシは機能美こそがスーパーカーの最大の魅力だと思うのである。


 そう、コレでオウリム・スピーラの何がワタクシ的にダメなのかが分かっていただけると思うのである。その根幹であるエンジン&タイヤからしてチグハクなのであるから、スーパーカーとして一番キモである機能美ってヤツが感じられないのである。クルマ好きがスーパーカーに莫大なカネを払うのは、まさにその「究極の機能美」ってヤツのためである。よく「スーパーカーは芸術品である」と言われるのであるが、正にその通りだとワタクシは思うのである。確かに速さ的に言えば「チューニングカー>スーパーカー」であるが、速いだけじゃ美しくないって事である。


 コレは別にスピーラだけに限った話でなく、その他韓国車や一部日本車にも多く見られる事でもあるが「エンジンとタイヤを中心に据えて、ソレを基本にクルマを作る」といった一貫性が希薄なのである。クルマとしての機能美と道具としての実用性が両立しにくいのは分かるのだが、余りにも道具寄り過ぎるのである。確かに良く走るし、道具として使い勝手も良いのであるが、ソコにクルマとしての純粋な機能美は存在せず、作り手の情熱が感じられない。何ちゅーか、今更ながらジェレミー達の言いたいことが分かってきた希ガス今日この頃であった。