アスペルガー医師ロンの日常

医師でもあり、アスペルガー症候群当事者でもあり、更には911GT3&ロードスター乗りでもあるワタクシのささやか(?)な日常

NECROMANTIC MAELSTROM

 ロンマニアの皆様、こんにちはm(_ _)m


「自分に理解できないことをとやかく言うんじゃない。そいつの靴をはいて歩いてきたんじゃないんだから」

By エルヴィス・プレスリー


 といった今日この頃、皆様はどうお過ごしでしょうか。


*CDは要らない子?

 ワタクシの音楽生活において、最早ファイル媒体は欠かせないシロモノとなっているのである。ワタクシが所有する楽曲は全てiTunesに詰め込んで管理しており、ソレをiPod(カーオーディオ用)とiPhone4(携帯プレイヤーとして使用)に移して何時でも何処でも音楽を聴いているのである。何せ5900曲もある膨大な量の音楽が、手の平サイズのHDD端末に全部余裕で入ってしまうのであるから、その利便性は計り知れない。何ちゅーか、限られたスペースを考慮して持っていくCDを厳選したり、MDに収録するための楽曲を厳選して編集していた若かりし頃のワタクシの苦労は何だったんだって話である(笑)何はともあれ、今のワタクシに音楽のない生活は最早考えられないのである。


 じゃあCDは最早不要なのかと問われたら、答えは間違いなく「ノー」である。もしもその機会に恵まれたのであれば、100諭吉級のオーディオシステムを用いて上質なジャズのCDアルバムを聴いてみると良い。音楽が少しでも分かるロンマニアの方ならば、その音の密度に感動を覚えるはずである。でもって、ソレは原音を削って圧縮してしまってるファイル形式では味わえない音なのである。音楽を好きになればなるほどに原音に対する要求も強くなる。人間が音楽を愛するナマモノである限り音楽業界が廃れる事はないだろうし、CDやハイエンドコンポや生演奏といった要求も果てる事はないであろう。


*J−POPは何処?

 そー考えると、今の日本の音楽業界関係者は音楽を愛していないとしかワタクシには思えないのである。同じようなアイドルが違うタイトルをつけた過去の曲のバージョン違いを延々と繰り返してるだけで、引っかかるモンが何一つ無い。商業主義?アメリカの音楽業界は日本以上に規模が大きくて、しかも日本以上にやり方が露骨でえげつない。ソレでもアメリカの音楽シーンからはメタリカニルヴァーナみたいな”異端児”が登場&活躍するだけの余地があり、コレは今も変わっていない。よーするに・・・

音楽業界のお偉方には音楽に対する造詣も無けりゃ愛着も無い

音楽に対する愛着がないから「良い音楽を見つけて世の中に知らせよう」とも思わない

ましてや「新しい音楽を啓蒙して、新しい市場を開拓する」なんて発想が出来るはずもない

音楽を商品としか考えていないから、自然と売れ筋のジャンルにしか注目しない

結果、似たり寄ったりの&昔何処かで見たことあるようなアーティストしか世の中に出てこない

当然、速攻で飽きられてアルバムは売れなくなる&ダウンロードで済ませるようになる

音楽業界の規模縮小

( ゚Д゚)マズー

こーなると守りの経営に入るのが日本人の悲しい性

益々売れ筋&定番路線にリソースを集中するようになる

更にアルバムが売れなくなり、音楽業界の規模は更に縮小する

以後悪循環で( ゚Д゚)マズー

・・・という事である。仮にエミネムレディ・ガガ日本人だったとしても、こんな業界じゃ表に出られないって話である。ワタクシは別に「アメリカ人は積極的」だとか「日本人は消極的」とかで一緒くたにするつもりはない。音楽に興味が無いヤツが音楽を売ってるんだから、そりゃ何処の国だって”異端児”に対して寛容になれない消極的な市場になるに決まってるのである。


*ファミリーカーとスポーツカーと抑止力

 何ちゅーか、ソコんトコはクルマ業界と良く似てるのである。何故日本でアレだけの白物家電的なクルマが幅を利かせているかと言われたら、売り手も買い手もクルマに興味が無いからである。売り手や買い手が少しでもクルマに対する愛着を持っていれば「売れるだろうけど、こんなクルマは作りたくない」「確かに便利だけど、こんなクルマに乗りたくない」って意識が多かれ少なかれ働いて、ソレが抑止力となるのである。欧州のファミリーカーが「確かに国産車と比べてコスパも実用性も低いけど、ソレでも”クルマに乗ってる”希ガス」って感じるのも、こうした抑止力が働いて行き過ぎた白物家電化を食い止めてるからだと思うのである。


 でもって、ファミリーカーの対極にあるスポーツカーにも同様の事が言えるんじゃないかと思うのである。欧州のメーカーじゃ「ココまで実用性を廃したとしても、クルマ好きなら買うはずだ。てゆーか、俺達が作りたい」ってな感じでブッ飛んだモデルを出してくる&そのブッ飛び方がクルマ好きにはたまらないのであるが(笑)国産メーカーだと「ココまでやったら・・・流石に厳しいから実用性も残しておこう(^_^;)」ってな感じで、クルマ好きに徹しきれない故の逆方向の抑止力が働くのである。ヒョーロンカ連中が「日本車は優秀だけど官能性が足りない云々・・・その点外国車は・・・」って言うのは決して外国コンプレックスが入ってるだけじゃなく、こーゆー”抑止力”の有無をクルマ好きとして感じ取ってるのではないかと思うのである。


*美食の目的

 話を音楽に戻すと、上記理由でワタクシはココ数年J-POPアーティストの音楽を買っていない。CD買うのは専ら洋楽ロック、ソレにアニソンである(笑)洋楽ロックは入手困難な楽曲がある場合のみダウンロードで、アニソンの場合はダウンロードできない場合のみCDを買う。たかがアニソン、されどアニソンである。一般的なJ-POPに比べ楽曲が良いかと問われたら「?」であるが、今のJ-POPには無くなってしまった「自由感」や「開放感」を感じるのである。でも「アニソンを高音質で聴きたいか?」と問われると答えは「ノー」なので、買う時は多少音質が落ちてもダウンロードで安く済ましている(爆)


 何故人間はグルメを求めるか?ただ生き永らえるだけだったら水と塩と栄養剤だけで事足りるのであるが、誰もそーゆー事はしない。答えは当然「食事は肉体的栄養摂取だけが目的じゃないから」である。ソレは魂の栄養素であり、愛情表現の手段であり、自己存在の証明でもある。ンでもって、ソレは音楽やクルマ、それにその他のあらゆる文化にもにも言える事だとワタクシは思うのである。だからハイエンドサウンドシステムや生演奏が重要視されて、スポーツカーみたいな高性能車が存在する&必要とされているのである。キリストの言葉に「人間はパンのみに生きるに非ず」とあるが、そーゆー事である。


 何ちゅーか、日本って国はクルマ/音楽の文化浸透度に対して、業界規模が不釣合いに大きすぎるんじゃないかなというのがワタクシの考えである。ソレを支えるだけの土台がシッカリしていないのにも関わらずデカい城を建ててしまった、そんな感じである。何ちゅーか、ココは一度徹底的に落ちるトコまで落ちてもらい、そしてホントに好きなヤツだけが残るような状態にした方が良いんじゃないかと思うである。単価は確実に上がるであろうが、ソレでも値段に相当する価値のモンが登場するであろう。今の日本経済に必要なのは”破壊と創造”なんじゃないかなと思う今日この頃であった。