ロンマニアの皆様、こんにちはm(_ _)m
「人生を幸福にするためには、日常の瑣事に苦しまなければならぬ」
By 芥川龍之介
といった今日この頃、皆様はどうお過ごしでしょうか。
*日産\(^o^)/ハジマタ
日産始まり過ぎワロタ。クイズであるが、2011年度に世界で最も活躍した自動車メーカーは何処であろうか。もう答えは分かっていると思うが「日産」である。どんだけ活躍したのかというと【こんだけの賞とタイトルを取っていた】りするから大したモンである。でもって【2012年もこんだけ参戦して】いて、尚且つ【GT3仕様のR35】とか【レース仕様のR35&Z34】とかまで売ってるんだから、このモータースポーツ大不況の最中に立派なモンである。でもって、今度のル・マン24時間レースに【日産デルタウィング】なるシロモノまで出してくるとの事である:
上手く行くか行かないかは別として、ワタクシはこーゆー粋な挑戦は大好きである。何ちゅーか「今までにない新しいモンを作ってやるぞ〜(* ̄0 ̄)/」って気概がすんごい感じるのである。別に日産が特別凄いとは思っていないが、他の国産メーカーが不甲斐なさ過ぎるのであるo(`ω´*)oトヨタは一応86/BRZ作ったり【ハイブリッドでレース参戦】とかいう面白い事やってるから好感持てるのだが、他が何ともねぇ〜(´・_・`)コレからはエコの時代?世界経済を鑑みた結果の苦渋の決断?レースで得られるものは全て得た?確かにソレは利益を追求する立場としては間違っちゃいない。間違っちゃいないが、あまりにも無粋である。
*趣味や仕事は日常から
ワタクシはSNSが苦手である。例え同じ趣味、同じ趣向の人と話していても、全然盛り上がらないからである。趣味趣向が同じでもこのザマなんだから、趣味趣向が違えばどうなるかは明白である。でも「苦手だからやめる」って考えないトコが、良くも悪くもワタクシクォリティー(笑)長い間この答えを考えていたのであるが、最近何となく(暫定的な)答えが得られたのである。答えは「日常」である。仕事や趣味といったシロモノは、基本的に日常生活の延長線にあるモンである。趣味人同士が集まりと言っても、最初から最後まで趣味の話をしているワケではない。実際ワタクシも色んな趣味のイベントやオフ会に参加したが、趣味の話をしている時間って意外と少ないのである。会話の内容の多くは雑談であり、大概が自身や他者の日常生活にまつわる出来事に対する喜怒哀楽の分かち合いがメインなのである。
つまり趣味人同士の会話といっても、基本はやはり雑談なのである。同じ趣味を持ってるってことは、つまり同じ喜怒哀楽を共有してる可能性が高いって意味でもある。ココでキーワードになるのが「喜怒哀楽の共有」である。コレがフツーの人同士、つまり定型発達者同士ならば何の問題もない。各論は違えど、総論はほぼ同じだからである。ケンカする事があってもソレは各論の齟齬によるモンだから、仲直りだって容易である。が、コレがワタクシのようなアスペルガー症候群や高機能自閉症といった発達障害者だったら話は別。ココまで書けば察しの良いロンマニアの方ならお分かりかと思うが、総論が全く違うのである。総論が違うから、喜怒哀楽を分かち合えない。だから雑談しても話が続かないってワケである。分かりやすくまとめるとこんな感じである:
定型発達者:
- 基本的に他人を認識できているから、善悪の判断基準に他者や世間の存在が含まれる
- つまり「自分が何を好きか」と同じかソレ以上に「他者はコレについてどう思うか」「世間的に見て自分が好きな事は受け入れられるか」を意識する
- その結果として他者との「公」な意識の共有が行われ、自分の中の「個」な意識との共存が図られる
- 定型発達者は「個」と「公」のバランスを取りながら、世の中における自らの居場所を確保している
発達障害者:
- 生まれつき自我外の認識が困難なため、善悪の判断基準が自意識を中心として組み立てられる
- つまり「自分は何が好きか」が最優先され、他人の目や世間体は「法律さえ破らなければおk」ぐらいにしか考えられない
- 場合によっては「個」ばかりが肥大してしまい、本来バランス取りが重要であるはずの「公」が不足してしまう
- 「個」と「公」がアンバランスだから、世の中における自らの居場所の確保に困難を来してしまっている
所謂【ミラーニューロン】ってヤツがきちんと機能してるから、定型の人同士なら喜怒哀楽の共感が可能なのである。一緒に笑い、一緒に怒り、一緒に泣くことで、定型の人らは「コイツは俺を理解してくれる仲間だ!」って認識するのである。雑談の役目ってのはコレなのである。そしてソレが欠落してるワタクシのような発達障害者には、雑談一つでも気を遣いまくる大仕事なのである(笑)
現にワタクシ自身、実は他人のブログ等に感銘を受ける事は実に少なかったりする。例えば1つの事柄に対する論理的な記述などがあった場合は「勉強になった(^▽^)」って感じで称賛できるが。よくある「○○ムカつくヾ(*`Д´*)ノ"」とか「××最高(´∇`)」だとか「△△しちゃって悲しい。゚(゚´Д`゚)゚。」ってのに対しては「ふ〜ん( ´_ゝ`)そりゃ色々あったねぇ」ぐらいの感想しか浮かばなかったりする(笑)無論ワタクシもソレを声や文章や顔に出すほど無粋じゃないんで、ちゃんとレスは返している。形式上の礼儀やマナーとしてレスは返しているが、その人の気持ちが真に分かったかと言われたら、残念ながら答えは「ノー」である。多分レスされた相手も、ソコんトコを何となく分かっていたんじゃないかなと思うのである。
*21世紀のヘレン・ケラー
前にも言ったと思うが、ワタクシらアスペルガー&高機能の人間にとって社会に出るってのは、言わば目隠しして街を歩くようなモンである。向こうはコッチが分かってもコッチからは向こうが分からないから、適切な”距離”ってのが全然分からんのである(^_^;)だから”ぶつかる”事も多いし、フツーの人みたいにハキハキ歩けない。慣れてくりゃ”その他の感覚”を利用して視界の無さを補うことも出来ないことは無いが、ソレでも見える人と同じには出来ない&見える人よりも更に労力が必要になるのである。でもって何が一番問題になるのかと言ったら「見えていないのに、見えてる人と同じような能力を要求される」って事なのである。特に今の世の中、コミュ力がなきゃ何も出来やしない。ありとあらゆる分野の細分化、専門化が凄すぎて、一人じゃカバーできなくなってしまってるから、コミュ力がなけりゃ人生詰んだようなモンである。
だがワタクシは「我々発達障害者を優遇しろ」とかいうつもりは毛頭無い。逆差別は差別と同じぐらい害悪だとワタクシは考えるからである。野球なんかじゃ1型糖尿病の選手が試合中にインスリンを携帯しているが、ワタクシが求めているのは”インスリンの携帯”に相当する配慮だけである。ソレだけあれば、あとはフツーの人と同じ待遇で良いのである。そのためには啓蒙活動が必要であり、ソレがこのブログを通じて&各地を講演して回ってワタクシが訴え続けていることである。幸いにも発達障害ネタは最近急激に世間で議論され始め、そのせいもあってかワタクシもあちこちから声をかけられていたりする。今年初めに2本ほど講演を受け持ったのであるが、早速4月にまた2本ほど入っていたりする。今の世の中にヘレン・ケラーがいないのなら、ワタクシがヘレン・ケラーになればいいのである(笑)さてもう夜中になってしまったので、さっさと撤収するに限る今日この頃であった。