アスペルガー医師ロンの日常

医師でもあり、アスペルガー症候群当事者でもあり、更には911GT3&ロードスター乗りでもあるワタクシのささやか(?)な日常

ASKE

 ロンマニアの皆様、こんにちはm(_ _)m


「我々は高みに憧れるが、歩き出すことには無関心だ。山々を望みながら、平らな道を歩きたがる」

By ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ


 といった今日この頃、皆様はどうお過ごしでしょうか。


*部活動と上から目線

 部活動の利点とは何か?ワタクシは「2つ以上の価値観を極める事で、物事を多方面から見る目を養える事」だと思ってる。勉強に打ち込む事は大変素晴らしい事である。が、学校の勉強ってのは過去に起こった事のまとめにしか過ぎず、新しいモンを生み出すには足りないのである。地球上にどんな解像度の高い宇宙望遠鏡を作ったトコで月の裏側は見えないのと同様に、勉強を極めただけじゃ新しいモンを生み出すのに必要な新しい観点は生まれないのである。だから勉強と同時にスポーツをやる事により違った視点からモノを捉える事が出来るようになり、その逆もまた然りである。たとえば野球だとイチロー桑田真澄みたいに高校時代もちゃんとマジメに勉強してた選手ってのは、試合やインタビューとかでも応用力だとかモノの見方が他の脳筋連中とは違うモンなのである。ワタクシの界隈でも、やっぱ優秀なドクターってのは学生時代に部活もバリバリやってた人が多かったのである。


 だから【中国の若者には、放課後の青春なんてファンタジー】という記事を読んだとき「中国もまだまだだね(´ー`)┌」ってオモタのがワタクシの素直な感想である。中国は確かに安くて良いモノを作る能力には長けているが、イノベーションを全くと言っていいほど起こせない理由がコレなのである。ニッポンも似たようなモンだけど、部活動がある分だけニッポンのがイノベーションに長けているのである。も一つ面白いなと思ったのがAKBに関するこの中国人学生の見方である。ワタクシは今まで「AKBの何が良いんだ?ブスばっかじゃね」と思っていたが、実際その通りだったワケである(笑)逆に言えば、ブスだからこそアレだけウケているのである。リンク先の本文にもあるが、AKBが”美人&スタイル抜群&アタマ良い”と三拍子揃ってちゃダメなのである。何故なら、上から目線でいられなくなるからである。そう、この「上から目線」がAKBの人気の秘密なんじゃないかなとワタクシは思うのである。


*上から目線のパトロン

 英雄だとか偉人だとか、アーティストだとかタレントだとか、あるいはアイドルなんかもそうであるが、今までこういう人達は「下から仰ぎ見る」存在だったのである。ファンは対象が持つ自らでは達成できそうもない凄さに魅かれ、憧れ、崇拝するのである。例えばこんな感じである:



こーゆーの見るとワタクシは「さすがダルビッシュ/ジミヘン/可夢偉っ!ワタクシにできない事を平然とやってのけるッ。そこにシビれる!あこがれるゥ!」ってなるワケである(笑)興味のある分野であれ、そうでない分野であれ、やっぱ何かを極めた人の行動には憧れるモンである。追い付けなくても良い(てゆーか追い付けない^_^;)から、こーゆー人たちの生き方からワタクシに取り入れられるモンがあれば積極的に取り入れたいって感じである。つまりソコには劣った自分を挟む余地なんかは存在しないって事である


 でもってAKBや類似のソレとかはコレと全く逆。対象を「持ち上げてあげる」という感じなのである。でもって「持ち上げてあげる」って事は、自分はその上に居る→つまり意識的/無意識的に「上から目線」になるのである。でもって上から目線のヤツの特徴ってのは相場が既に決まってる。自分には何もないコンプレックスの塊だけど、その反面プライドだけは一丁前に高く虚栄心が強いヤツである。だから美人&聡明&容姿端麗じゃダメなのである。男女の違いはあれそういう完璧超人をみたら、テメェの劣等感が書き立てられるからである。だから中途半端な容姿&足りないオツムのが丁度良いのである。その方が庇護欲&自己投影意識&一体感が一層強くなるし、周囲には同じメンバーを推す同じように上から目線のヤツがいて、コレまた同じ穴のムジナ同士で連帯感を掻き立てられる。連帯感とは言っても基本テメェ自身の事しか考えてないヤツらだから、自分だけ抜け駆けしようと競争が始まる。このシステムを考え付いた秋元康は全く以って天才だとワタクシはつくづく思うのである(^_^;)


*仰ぎ見るクルマと上から見るクルマ

 何ちゅーか、ある意味GT-Rの世代交代にも似たようなことが言えるんじゃないかなとワタクシは思うのである。何故未だに第三世代(つまりR35)への反発&第二世代(BNR32BNR34)への支持が根強いのか。値段という要素も確かにあるが、ワタクシの意見としては「上から見るクルマから、下から仰ぎ見るクルマになっちゃったから」だと思うのである。第二世代ってのは、正に「育ててあげる」ってタイプのクルマだったからである。未完成で未熟なノーマルをオーナー自らがプロデュースして、時間と労力をタップリ注いで一流のスポーツカーに育てる。特に第二世代は底無しのポテンシャルを誇るRB26DETTエンジン&ソレに耐えうる強固なシャシーがある→育てようと思ったら何処までも育つし、そのクルマを育てたという達成感、その凄いクルマを所有してるという満足感、そのクルマを以って他のハイパフォーマンスカーをブチ抜く優越感はハンパないはずである。


 が、R35にはソレが無い。特に最新モデルは絶望的である。ノーマルで殆ど完全にチューンされ尽くされていて、手を加える余地なんて無いに等しい。今までは「自分は未熟だけど、クルマも同じように未熟。だからお互い頑張ろう」って感じでクルマと成長を楽しんでいたけど、今度は「クルマは既に完成されている。速く走れないんだったら、ソレはお前の責任」ってなるワケである(笑)こう言っちゃアレだが、チューニング好きってのは上記のアイドルヲタと同じようなヤツが実に多い。自分には何もないコンプレックスの塊だけど、その反面プライドだけは一丁前に高く虚栄心が強い。そんなヤツにとっちゃ、完成されたクルマってのはテメェの劣等感を掻き立てられるだけのシロモノになるのである。未完成なクルマだったら「やっぱ純正は力不足」だとか「セッティングが出ていない」って逃げられるけど、出来上がったクルマじゃ全てテメェに返ってくるって話である。


 因みにワタクシは「クルマは既に完成されている。速く走れないんだったら、ソレはお前の責任」と言われたら「だが、ソレが(・∀・)イイ!!」と答える事にしている(笑)自分が遅いのを自覚して、何が問題なのかを徹底的に検証して、どうすれば克服できるのかを考え、ソレを少しづつで良いから行動に移す。ワタクシはその過程で自分が成長するのを体感するのが大好きなのである。直接的に結果が出なくても大変結構。クルマで学んだことが仕事に活きた事だって少なくないし、その逆もまた然りである。ところがチューニングで得た速さや称賛ってのは、確実に仕事じゃ役に立たない(爆)だからワタクシは何をするにせよ自分を高められるソレを選ぶのであり、自分より優れた他者を下から仰ぎ見るのもその一環である。でも何ちゅーか、最近はネタを練るのも文章を起こすのも時間がかかり過ぎである(核爆)故にそろそろ締めるに限る今日この頃であった。