アスペルガー医師ロンの日常

医師でもあり、アスペルガー症候群当事者でもあり、更には911GT3&ロードスター乗りでもあるワタクシのささやか(?)な日常

SERPENTS UNLEASHED

 ロンマニアの皆様、こんにちはm(_ _)m


「四歳から映画を見てきて、何が勉強になったか。キザですけど、愛ですね。次は勇気。次に誠実さ。映画館は人間勉強の一番の教室だね」

By 淀川長治


 といった今日この頃、皆様はどうお過ごしでしょうか。


*今ソコに無い危機

 巷で「児ポ法改正反対!」だとか「憲法改正反対!」って叫んでる人に、ワタクシは一つ聞きたいのである。ソレは「改正された事によりアンタがどういう不利益を被るのか、ソレを具体的に教えてほしい」という事である。ワタクシが改正に反対しないのは、ワタクシがソレにより被る不利益が殆ど無いからである。国家権力に安全装置の無い凶器を持たせる事が問題なのだ、ねぇ〜┐(´-`)┌じゃあアンタは「クルマに撥ねられる可能性があるから」「犯罪に巻き込まれる恐れがあるから」「感染症に羅患するかも知れないから」って理由で家の外から出ないのかって話である。人をタイーホして、拘束して、裁判にかけるってのは、カネも手間もかかるのである。見せしめにする価値のある大物なら兎も角、テメェは何様だって話である。


 要するに、何がホントに大事で、何がそうでないかを理解していない&勉強していないから、国家権力の暴走とかいう「漫然たる恐怖」に踊らされるのである。医者ならば「ラクナ梗塞」って言葉を聞いても眉一つ動かさないで対応できるが、医学の知識が無ければ”ラクナ”っていう意味不明な横文字と”梗塞”っていう怖い言葉にビビッて右往左往してしまうのと同じである。だから例えば「憲法が改正されたら、ニッポンは戦争が出来る国になる!」って言われても「じゃあ何時?何処と?何故やるの?」って事を具体的かつ現実的なデータや資料を基に考察すれば、何も恐れるに値しないのである。でもネット時代の今の世の中でも、いや知識の海に溺れやすいネット社会の今だからこそ、知識よりも先に信念が走ってしまっているんじゃないかなとワタクシは思うのである( ̄〜 ̄)


*シナリオ無き実写化

 先日「政治ネタは止めよう」と言った次の日にコレなので、今度はホントに止めるとしよう(笑)ゲームやアニメやラノベのハリウッド実写化なんてのは、今じゃ珍しくも何ともない事である。が、ソレでも中には首を傾げたくなるようなモンがあったりするのである( ̄〜 ̄;)その一つが【グランツーリスモ(以後GT)のハリウッド実写化】である。何ちゅーか、モニター越しに「アレをどう映画化するんだよォォォォォ!!」っていうロンマニアの皆様の絶叫が聞こえてきそうだが、ワタクシも同じ気持ちである。何故かと言えば、GTは「ゲーム」ではなく「シミュレーター」だからである。ストーリーも無ければドラマも無く、ただひたすらお気に入りのクルマの挙動を楽しむだけ。ゼロに何を掛けてもゼロなんだって話である(-_-;)


 でも世の中、上には上が常にいるモンである。そもそも人間ってナマモノの歴史は、常人が「こんな事、出来るワケがない!」って思っている事を覆す事から生まれてきたようなモンだとワタクシは思うのである。現に「こんなモン映画化出来るワケが無い!」って思ってても、前例があったりするのである:



それぞれ「パックマン」「マインスイーパ」「テトリス」の実写版である(笑)無論全部ネタ動画であるが、外人さんのジョークに身体張る根性は見習いたいモンである(爆)


 まぁ察するに【GTアカデミー】をネタにした映画を作るんじゃないかなと思うのである。リアルの【GTアカデミー優勝者のソレ】みたく「幼い頃からモータースポーツが大好きで、レーサーになりたくてカートやってたけど夢半ばに終わって、フツーの人生歩もうとしたけどレースの世界を諦めきれず、GTアカデミーを知ったのをキッカケに再度レーサーへの道を志す」ってな脚本になるのであろう。でもってソコに「親子の絆」だとか「大会で育まれる友情と別れ」だとか「ガールフレンドとの約束」だとか「たった1つしかないプロへの道を巡って、親友との最後の勝負」を織り交ぜれば、見事なまでにハリウッド映画の完成である。そうそう、ニッポン向けに「全米No.1ヒット」の謳い文句もお忘れなく(笑)


*ポスト2002年

 映画化と言えば【頭文字Dの最終回&来年の劇場版公開】を思い出したのである。昨年の「湾岸ミッドナイト(以後湾岸)」に続き、遂に「頭文字D(以後イニD)」も終了。AE86にプレミア価格を付け、その後86/BRZ登場の布石になった事を考えると、改めてこのマンガの影響力のハンパなさを思い知るのである。でもソレは同時に、チューニング文化の終わりを意味してるんじゃないかなとワタクシは感じるのである(´・ω・`)ニッポンのチューニングカー文化は80年代後半に始まって、90年代後半に全盛期を迎え、そして2002年を境に下火になっていってるのである。ソレが証拠に湾岸とイニD以降に目立ったクルママンガは皆無だし、2002年以降のクルマがマンガで主役級に取り上げられる事も無くなってしまってるのである。


 こう言っちゃアレだが、今のニッポンのチューニングシーンってのは、その2002年の残渣なのだとワタクシは思うのである。ワタクシが今までサーキットやお山とかで会うチューニングカー好きってのは、その殆どが2002年以前から走り続けていた人であり、ソレ以降の若い人を残念ながらワタクシは殆ど見た事が無い。でもってチューニングの技術も、基本2002年で大まか止まっている。今はまだ90年代〜00年代にクルマに目覚めた人達が経済的&人数的に余裕があるから辛うじて支えられてるが、格差社会少子化が更に進行していくだろう今後はどうするんだって話である。でも基本ノーマル派に転向したワタクシにゃ知ったこっちゃないので(笑)読書して寝ようと思う今日この頃であった。