アスペルガー医師ロンの日常

医師でもあり、アスペルガー症候群当事者でもあり、更には911GT3&ロードスター乗りでもあるワタクシのささやか(?)な日常

STEPPING ON ANGELS... BEFORE DAWN

 ロンマニアの皆様、こんにちはm(_ _)m


「自由の名に値する唯一の自由は、我々が他人の幸福を奪い取ろうとせず、また幸福を得ようとする努力を阻害しようとしない限り、自分自身の幸福を自分自身の方法において追求する自由である」

By ジョン・スチュワート・ミル


 といった今日この頃、皆様はどうお過ごしでしょうか。


*ギブミー雑談力

 成人アスペルガーの何がしんどいかって「ビックリするぐらい雑談力が無い」に尽きるのである(^_^;)小坊の頃はテレビアニメとマンガのネタ、ソレに加えウ○コだのチ×コだの言っとけば会話は大体成り立ったが(笑)中坊→高坊→大坊→社会人になるにつれて趣味や下ネタが会話に占める割合は段々少なくなり、その代わり人間関係絡みの話が増えていき、ソレがアスペにとっての足枷になってくるのである( ̄〜 ̄)社会人同士の雑談って、その大概が仕事ネタだとか、家族(及びその周辺の人々)ネタだとか、友達や異性ネタだとか、その殆どが密接に人間関係に絡んでくるモンなのである。何故雑談の上手い人が好かれるかって、雑談のネタが多いって事は、ソレ即ち人間関係の広い高コミュ力の持ち主だからである。



 そう、アスペルガーコミュ力に問題を抱えていると、社会人の雑談ネタが悉く無いか少ないか、あってもフツーの人には理解困難なモンだったりするってワケである。ソレを語って変人扱いされるか、黙して影の薄いヤツ扱いされるか、あるいは雑談の場にいないか。成人アスペが取る道ってのは、大概この3つのどれかである。だからワタクシは飲み会や食事会が苦手である。大坊の時も苦手であったが、社会人になって益々苦手になったのは言うまでもあるまい(^_^;)アスペにオタクが多い理由ってのも、アスペが特定の事柄に過度に熱中する性格もあるのだろうけど、オタク趣味の世界ならば趣味の話だけで友好関係が築ける→その世界に居る限り寂しさを紛らわせられるからだとも思うのである。


風評被害vs表現の自由

 ワタクシがブロガーとしてド末端なのは百どころか万も億も承知の上だが(笑)一応ワタクシも表現者の端くれである。表現の自由は、当然だけど最大限尊重されるべきだとワタクシも考える。ただワタクシが尊重されるべきと考えてる表現の自由とは「何でも好きな様に表現できる自由」ではなく「表現すべきでない事を表現しない自由」である。自由は確かに素晴らしいモンであるが、万能ではないからである。そんなに自由が素晴らしいのならば、試しに全ての法律を無くしてしまうと良いであろう。そうなった暁には、防弾チョッキ着てショットガンを常時抱えてないと眠れなくなってしまう日々がやって来るであろう。人間の心に悪意ってシロモノが潜んでる限り、純粋な自由はあり得ないのである。


 そう、表現の自由と同じかソレ以上に大事なのが「幸福と安心を追求する権利」であり、ワタクシの言う「表現しちゃいけない事」とは、他者の幸福と安全を脅かすソレの事である。だから以前ネタにした「美味しんぼ」の福島絡みのソレってのは、モロに「表現しちゃいけない事」だから叩かれるのである。無論、ちゃんとした資料(学術論文など)を正しく用いた責任ある言動ならばおkであるが、ソースの無い無責任な言動はNGである:



こんなモン広められたらどうなるかって、考えりゃ分かるモンである。福島産の商品が益々売れなくなって生産者(と従業員)の商売が上がるし、福島の地価が下がって不動産業者の商売も上がるし、他県へ引っ越した福島県民もコレ絡みで迫害されるし、子供たちは福島絡みでいじめられる。そういった人たちの日歩の安全や幸福を犠牲にしてまで、表現の自由ってのは大事なのか?ワタクシの答えは「ノー」である。


 恐らくサヨク陣営も「言論の正当性では勝負できない」と考えてきたせいか、今度は「表現の自由が損なわれて、言論が委縮する」だとか「コレがやがてマンが規制に繋がるのでは」とか「表現者は神」だとか、論点を「”美味しんぼ”で言ってる事は正当性があるのか否か」から「表現の自由を守れ」にずらそうとしてるのであるが、コレも上記にあるように表現の自由としてもNGである。人間誰だって自分の妻子や家族の安全と幸福が何よりも大事だし、他人も自分と同じように妻子や家族が何よりも大事な事に想像が至る筈であろ、だからこそ迂闊な事は言えないのである。だから「ソレでも表現の自由は守らなければいけない」って言うヤツの相場は決まってる。テメェに愛する妻子や家族がいないか、他人のソレに全く気付かないか、その両方である。


表現者を守ろう

 もう一度言うが、ワタクシは表現規制派などでは決してない。寧ろ表現の自由をこの上なく尊重する者である。ワタクシは表現の自由尊いと思うからこそ「表現しちゃいけない事は表現するな」と言っているのである。もしも自省せずに表現しまくったら、今度は「表現の自由は危ないから規制しる!」って声が上がる恐れがあるからである:

表現の自由風評被害が起こる

損害を被る人が多数

被害を被った人から、被ってない人に恐怖が広まる

「怖いから規制しる!」って声が民衆から上がる

民衆から声が上がったら、お上は逆らえない

規制される

( ゚Д゚)マズー

・・・ってワケである。迷惑をかけないで自由にやるからこそ、自由は評価されるのである。だから表現者は自分の言葉に責任を持ち、他人に迷惑をかけないよう最大限気を付ける。幸福と安心が脅かされないからこそ「もっと自由でも良いんじゃね?」って具合に更なる自由が得られるのである。Freedom is not free、自由はタダじゃない。その意味を一層噛みしめる今日この頃であった。