ロンマニアの皆様、こんにちはm(_ _)m
「貴方が侮辱を受け入れるから、相手は貴方を侮辱するのです」
By 加藤諦三
といった今日この頃、皆様はどうお過ごしでしょうか。
*ロックって何ですか?
年末から散々騒がせてくれた某茅ヶ崎の桑田ナニガシについてであるが、ワタクシは別にヤツがあの様な事を言う&やるのは別に構わんと考えている。ヤツにはその権利があるし、ワタクシはネトウヨじゃないからアレぐらいでガタガタ言うつもりは無い。ワタクシはただ単に「全然ロックじゃなくて(・A・)カコワルイ!」って考えてるだけであり、ロック好きのワタクシとしては、ヤツが自身をロックンローラーと自称する事に腹を立ててるだけである。でもって、今後の音楽(及びその他)の方向性はそっちなのかなと思って注視してたら、何時の間にか【詫び文などと言うモンを出していた】のである。何ちゅーか、カッコ悪いにも程があるってモンである┐( ̄ヘ ̄)┌
こんな結末にするんだったらハナっからやらないでおくか、やったらやったでキャラ貫き通せって話である。ったく、コレの何がロックなのか、小一時間問い詰めたい気分である┐(´д`)┌まぁ多分・・・・
反ニッポン、反安倍政権的パフォーマンスをかます
↓
当然、保守的な年配層や、ネトウヨ層から猛烈な反発を喰らう
↓
その代わり革新的な若い人達だとか、サヨク的マスコミからソレ以上の支持を受ける
↓
CDが売れてライブにも客が入るようになる
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(゚д゚)ウマー
・・・ってのを狙ってたのであろう。でも現実はカッコ悪過ぎて真っ当な左派革新派からの支持は得られず、その代わり反発だけが矢鱈大きくて、商売優先で今までの言論を撤回したってトコであろう。大好きなビートルズ&ジョン・レノンの真似事をしたつもりなんだけど、まぁ実力もセンスも全然追いつかなかったって事である。
*侮辱馴れするって事
話は変わって、件のフランス新聞社襲撃事件は幕を閉じたようであるが、その余韻はまだかなり残ってる模様である。まぁ大方は「テロ許すまじ」「言論の自由を守れ」なんだけど、まぁ予想通り「確かにテロは良くない。でも宗教に対する侮辱があったんだから気持ちは分かる。あんなのは論外だ!」って声も少なくないのである。コレに対する反応であるが・・・
- たとえそうだとしても、ソレが言論の自由だ! → 右派
- 言論の自由の押しつけは欧米人の傲慢さの表れだ! → 左派
・・・ってトコであろう(笑)そう、ワタクシの素直な感想は「あのショボい風刺画でキレちゃうの?」なのである(爆)曰く「イスラム教だけがこんな形で侮辱されてる、差別だ!」って事らしいけど、他の宗教だって似たような事は山ほどあるのである。仏教なんかは廃仏毀釈や仏像爆破があったし、キリスト教なんかソレこそありとあらゆるメディアでキリストが侮辱されてるのである。上記に挙げたデスメタルやブラックメタルなんかが正にソレである:
ホント限が無くなるので、コレぐらいにしておくとしよう(笑)そう、キリスト教に至っては何十年何百年も昔から、ソレこそ数えきれないほど侮辱され続けているのである。でもってワタクシのiTunesで調べてみた所、件の「キリスト( ゚Д゚)イッテヨシ」系の曲が最低でも50曲は入ってたりするのである(爆)だから風刺が見た時の感想も「あのショボい風刺画でキレちゃうの?」なのである。アレで「怒って当然」なら、今頃メタラー狩りが始まってて、ヘタしたらワタクシも逃避行真っ只中だった可能性もあるのである(核爆)
でも実際はそんな事無いし、誰も(一部のキリスト教右派を除けば)コレでマジギレする事なんてない。ソレが宗教人ってヤツであり、文明人ってヤツであり、成人ってヤツなのである。だから欧州の人達がこの手の風刺画を脅されても止めない理由は、キレてる連中に「もっと大人になれ」っていう強烈なメッセージだとワタクシは考えてるのである。だからイスラム側のやる事なんてただ一つ、スルーすればいいのである。スルーして面倒を起こさず、やるべき事をシッカリやる。たったソレだけでこの手の風刺画は無くなるって話である。たとえどんな形であれ、怒りを以ってこの風刺画に反応した時点で、もう書いたヤツの意図にハマってるのである。
*価値を決めるのは誰か
ワタクシはリバタリアンである。リバタリアンだから、自由である事を最大限尊重する。だから今回の件に関するワタクシの見解は「ソレが他害をもたらしたり、憎悪や悪意によるモンでない限り、言論の自由は最大限尊重すべし。ソレの良し悪しを決めるのは消費者」ってトコである。とある人は「あの風刺画は下らない、価値が無い」って言うが、ソレを決めるのは消費者なのである。ソレがホントに価値が無いのであれば、売れなくなってやがて淘汰される。もしも売れて支持されるのであれば、ソレには多かれ少なかれ何らかの価値があるって事である。そして価値があると見なされるのなら、その存在を抹消する権利は誰にも無い。ワタクシはそう考える次第である。
でもこう言うと「自由過ぎてもダメだ。善意に基づいた規制がある程度必要だ」って反論するヤツも出るだろうが、でもワタクシはこう反論する次第である。1つ、お前さんの言う「善意」ってヤツには真実性と普遍性が無いという事。2つ、もし仮に証明できたとしても、ソレを施行したら間違いなく独裁者呼ばわりされる事である。だからワタクシは政治や社会に「善意」だとか「真実」だとか「正義」ってヤツを安易に持ち込むヤツを信用しないのである。出来る事は各々の人間がテメェの信じる議論しつつ高め合って、良くするための不断の努力だけである。だからこそ表現の自由は最大限尊重されなきゃいかんのである。まぁこのネタも皆もう飽きただろうと思うので、今度こそ最後にしたい今日この頃であった。