アスペルガー医師ロンの日常

医師でもあり、アスペルガー症候群当事者でもあり、更には911GT3&ロードスター乗りでもあるワタクシのささやか(?)な日常

DREAMTIME

 ロンマニアの皆様、こんにちはm(_ _)m


「妬み──能無しが好んで抱くタイプの対抗意識」

By アンブローズ・ビアス


 といった今日この頃、皆様はどうお過ごしでしょうか。


*自己防衛って何ですか?

 ニッポン人は悪者に対し謝罪と反省を強く求めるのが好きであるが、生憎ワタクシは好きじゃないのである(笑)だって謝罪して反省したって、失われたモンは基本戻ってこないからである。でもってホントのホントに心からの謝罪や反省が得られるかと言われたらその保証は無いし、保証は無いんだけど強制する事は不可能なのである。ニッポン含む法治国家において、贖罪ってのは法に定められた処罰を受けた時点でデジュール上終了するのであり、ソレ以上は内心の自由ってヤツに阻まれてしまうのである。だから幾ら自分が悪くなくても&相手が一方的に悪くても、自衛ってのは少し過剰なぐらいが丁度良いのである。だから【室伏広治のカヌー禁止薬物混入問題に対する見解】も納得行ってしまったのである。



 ニッポン人的な感覚だと「ソレが平然と罷り通るスポーツ界がおかしいッ!皆が良心を胸に抱いて、安心して競技に打ち込めるようにすべきだッ!」ってなるんだけど、残念ながらそうはいかないのである。ちゅーのも上記にあるように、人間の良心を強制する事は不可能だからである。良心を強制する事が不可能なのは、今世間を騒がせている相撲の事件を見れば明らかである。出来る事は精々厳罰化して恐怖で悪意を抑制する事だけだけど、ソレでもやるヤツはやるって事は古今東西歴史が証明してるのである。だったら世知辛いと分かってても、自分の身は自分で守るしかないのである。善人も悪人も、賢者も愚者も、強者も弱者も、死んでしまえば皆等しく朽ちる運命の肉の塊である。だったら多少理不尽であっても、生き残るっきゃないのである。


*世界に広げよう、ルサンチマンの輪!

 最近某芸人が無知をひけらかして話題になってる憲法九条や国防の問題についても、ワタクシは上記の「世知辛いけど生きる為には自己防衛しなきゃ」を掲げる次第である。理想は大事だけど、現実はもっと大事だからである。先ずは現実の諸問題を片付けるのが最優先事項であり、理想は現実問題解決に際して手が空いた時にやればいいのである。ワタクシに言わせれば、理想を声高々に掲げるヤツの相場は決まっているのである。現実と向かい合えないか、向かい合いたくないヤツである:

コイツの言ってる事には中身も何もありゃしないのであるが、一定の支持だけは得ているのである。何故そうなるかを考えてみた結果、ワタクシは「ルサンチマンの輪」という答えに辿り着いたのである(笑)コイツの言動も、コイツを支持するヤツも、皆が皆ルサンチマンで繋がって共感し合ってるのである。


 コイツは何も知らない事を指摘されると「知ってる傲慢な人間による上から目線だッ!」って人格攻撃で返し、現実にそぐわない理想論でも「俺は人間であってチンパンジーじゃない」と正しさと純粋さを前に押し出して、反論に対しては「俺の意見は”正しき人々”にも認められてる」って自分外の権威を振りかざす。もう典型的過ぎるぐらいに典型的なルサンチマンのソレである。でもってそのルサンチマンに対し、同じ様にルサンチマンに満ちた一部のファンが「頭でっかちの学者共にガツンと正論かますトコがカッコ良いッ!」「たとえ周りから何と言われようとも純粋さを貫くなんて素敵ッ!」「何も知らない事は罪じゃないッ!俺たちは間違ってないッ!」って応援する。ルサンチマン由来の奴隷道徳に、皆凝り固まっているのである。

君主道徳 奴隷道徳
個人主義がメインであり、自分で考え行動する事を良しとする 集団主義がメインであり、集団全体としてまとまった行動や意思を優先する
能力や意思がある事を良しとして、規律はその力関係から生まれると考える 善良である事や慈悲がある事を良しとして、規律はルール厳守から生じると考える
大事なのは「結果が良いか否か」であり、その為にはルール変更も厭わない 大事なのは「正しいか否か」であり、正しければ結果が出なくても許される
価値観やソレに対する誇りが、自分自身や自分の成した事から生じている 価値観やソレに対する誇りが、自分の外にあるモンに由来している
絶対的な価値観を持たず、不断のトライ&エラーによる成長こそが大事と考える 絶対的な価値観の基、ソレに忠実に従う事に安定と安心が生まれると考える
弱さや無知は罪であり、ソレ故に淘汰されても自業自得 弱さや無知は仕方ないモンであり、ソレを互いに補い合って助け合う事が重要
個人主義であるがゆえに、思った以上に多種多様な意見に対し寛容 集団主義であるがゆえに数が重要になるから、自由さや寛容さは実は少ない
根底にあるのは「肯定」 根底にあるのは「否定」


 コレを読めば、コイツの行動原理が全て奴隷道徳から来てる事がお分り頂けると思うのである。でもって奴隷道徳が天下を取った事は、古今東西無い。だからワタクシはコイツのネタを一切評価していないのである。ニッポンじゃ政治や社会の風刺はタブーで、ソレやると叩かれる。コイツも案の定ソレ言ってきたが、じゃあビートたけしイッセー尾形は何なんだって話である。政治や社会の風刺がタブーだから叩かれるのではなく、風刺が面白くないから叩かれてるのである。まぁルサンチマンに陥ったヤツにとって知識ってのは数少ない武器であり、特に政治や社会のソレは好んで使われる武器である。知識を否定されたら何も残らないからこそ、テメェが面白くない事を認めたくないのである。


*愛を笑おう

 ワタクシの知る限りだと、サヨクなヤツが作った風刺とやらに、面白いモンを見た記憶が無いのである。例えばこの【晋ゴジラ】とかだけど、見てて笑いが全然出てこないのである。何故かと言えば、ソコには憎悪だとか嫉妬だとか憤怒だとか、そういったネガティブな感情が昇華されぬまま表現されてるからである。コレ見て笑えるヤツが居るとしたら、ソレは同じようなネガティブな感情を抱いてるヤツだけである。面白い風刺ってのは、ソコに愛があるのである。その表現を通じて「実はその人に良くなってもらいたい」って願いだとか、国や故郷に対する愛着だとか、そういうモンが滲み出てるから笑えるのである。ブラックメタルみたいなモンなら兎も角、お笑いにソレは合わないとワタクシは思うのである。



 言っちゃなんだが、ワタクシはこのネタに”愛”ってヤツを全く感じないのである。何ちゅーか「政治問題に関心が無いお前たちはバカだ。その点、気にしてる俺達は偉い」ってルサンチマン塗れの憎悪や嫉妬やコンプレックス、そんなのしか感じないのである。まぁただそうは言っても、世界的に格差社会になった今、ルサンチマンとは言っても無視するには大き過ぎるのである。民主主義ってシステムは賢者にも愚者にも等しい一票を与えるシステムであり、たとえルサンチマンであっても数を伴えば代表を権力の中枢に送り込む事ができるし、ソレを以ってルサンチマン大義名分を与える事だって出来てしまうからである。まぁこの類の話はウケが悪いと相場は決まってるので(笑)このぐらいにしておこうと思う今日この頃であった。