アスペルガー医師ロンの日常

医師でもあり、アスペルガー症候群当事者でもあり、更には911GT3&ロードスター乗りでもあるワタクシのささやか(?)な日常

HAPPY STILLBIRTHDAY PARTY

 ロンマニアの皆様、こんにちはm(_ _)m


「森羅万象に多情多恨たれ」

By 開高健


 といった今日この頃、皆様はどうお過ごしでしょうか。


*恨みはパワー、憎しみはやる気

 障害者だとかLGBTだとか少数民族だとかその他マイノリティーとか、その手の当事者が積極的な啓蒙活動に勤しんでるのを良く見かける&ワタクシも発達障害当事者として一部行動してるのであるが、その人等をソコまで突き動かすモンが一体何なのか、ロンマニアの皆様はご存じであろうか。答えはズバリ「恨み」である。自分達を嘲笑し迫害してきた健常者や健常者社会への恨み、自分をマイノリティーとして世の中に産み落とした親や神様に対する恨み、或いは要領良く器用に世の中を渡って行けない自分自身への恨み等である。そういうのは大概の当事者が多かれ少なかれ持ってるモンだし、ワタクシにも無いと言えばウソになる。その恨み辛みを晴らすため、或いはソレから目を逸らすため、一部の当事者は運動に身を投じるのである。



 そう、言っちゃアレであるが、その手の当事者達が口にする「同じ境遇の同胞が辛い思いをしないためにも理解を広めたい」とか「次世代の為に種蒔きをしたい」とか「真の意味で世の中を一つにしたい」とかいうのは、半分かソレ以上ウソである(笑)本音は「自分をバカにしたヤツ等にテメェの無知さ加減を思い知らせたいッ!土下座させて謝罪させたいッ!」とか「無知な社会は勉強しろッ!自分達にカネと地位と優遇措置を与えろッ!」「自分達は可哀想な人間なんだから、異論反論は絶対にするなッ!」であり、その本音をオブラートする為に「理解ガー、種蒔きガー、和解ガー」って言っているのである(爆)でもってそういう本音ってのは分かる人には分かるモンであり、ソコが一番の問題なのである(^_^;)


*世界に広げようルサンチマンの輪

 こう書けば、なぜ障害者だとかLGBTだとか少数民族だとかその他マイノリティーとかの啓蒙運動が中々受け入れられず、時には反発を受けたりするのかがお分り頂けると思うのである。そう、恨み辛みが根底にある事がバレてしまってるのに加え、その恨み辛みを関係の無い人間にまでぶつけてしまってるからである。一方的に「私は辛かったんだぞッ!だからお前達は理解して受容しなきゃいけないッ!しないヤツは人でなしだッ!」みたいな感じで言われて、ソレに対して反論したくても、ソコには人権云々、判官贔屓云々、ルサンチマン云々が加わって、反論は困難なモンとなるのである。そりゃ少しでも考える頭があれば「コイツ等と関わり合いになるのは面倒臭いから止めとこう(;´Д`)」ってなるのである。


 でもって、こういうのの何が厄介って、その人権云々や判官贔屓云々やルサンチマン云々があるって事である。ソレがある事によって、ソレに相乗りするヤツが出てくるのである。野党議員なり、知識人文化人なり、或いは多ジャンルの活動家なり、そういう連中がルサンチマンにシンクロして集まってくる事が決して少なくないから、尚更厄介になるのである:

サヨク用語でいう「連帯」ってヤツなんだろうけど、こういうのってやればやるほど逆効果なのである。建前の方の目的を達成できないのは勿論だけど、本音の方の目標も達成できなくなるからである。やればやるほどに互いが頑なになって、心の扉を更に閉ざして、二進も三進も行かなくなってしまうのである。コレじゃ、運動する意味も無いのである┐( -"-)┌


 あとワタクシが見た限りであるが、こういう運動に熱中してるヤツってのは、運動そのものが目的になっちゃってるヤツが少なくないのである。同じ境遇の仲間と一緒に「自分達は力を合わせて良い事をしているッ!」って一体感と充実感を味わい、活動の後のファミレスなり居酒屋なりでワイワイガヤガヤと楽しくやって、その時だけ辛い事を忘れられるって感じにである。後は勝つ見込みが無くても「自分達は負けていないッ!まだ闘い続けてる最中なんだッ!」って感じに、問題を延々と先延ばしにしてるヤツも少なくないのである。何故そうなるかって、大マジで物事の解決を目指すんだったら、自身も少なからぬ犠牲と妥協を強いられるからであり、ソレを受け入れられないから永久闘争路線になるのである。


*過去は水に流そう

 聡いロンマニアの方ならば、この手の問題をどう解決するかの答えは見えている筈である。そう、答えは「恨みを捨てる」である。理不尽で辛いだろうけど、過去に起こった事や受けた仕打ちは無かった事にするor許してあげて、また互いに1からやり直すのである。こう言っちゃアレだけど、健常者側や多数派側は自分達がやった事が間違ってるとは基本思ってないし、たとえそうは思っていても「知らなかった」「分からなかった」でお終いである。何故ならば彼等/彼女等は世界の勝者であり、勝者は基本的に反省はしないからである。そんな人等に「お前らは無知だッ!愚かなんだッ!謝罪と賠償をッ!」っていって、本心から反省するであろうか?答えは当然ノーである。反発するか、したとしても形だけである。


 アメリカの諺に「馬を水飲み場に連れていく事は出来ても、ムリヤリ水を飲ませる事は出来ない」とあるが、つまりそういう事である。そう、ホントの意味で恨み辛みを晴らすなんて事は、実は最初からムリな話だったのである。ワタクシが知る限りでも、その事に気付いた同じ発達障害の同胞は、その後も(色々問題はあれど)幸せにやってるように見えるのである。ガンジーの言葉に「握り拳とは握手できない」とあるが、つまりそういう事である。ちゃんとした人と上手くやってく為には、自分自身がネガティブな感情に染まっていては到底ムリな話なのである。かく言うワタクシも上手く全てを水に流せたかと問われればノーであるが、ソレでも昔よりかは上手くやれてると思うのである。さてもう遅いので、コレぐらいにしておこうと思う今日この頃であった。