アスペルガー医師ロンの日常

医師でもあり、アスペルガー症候群当事者でもあり、更には911GT3&ロードスター乗りでもあるワタクシのささやか(?)な日常

MATRIARCH

 ロンマニアの皆様、こんにちはm(_ _)m


「恨みを抱くな。大したことでなければ、堂々と自分のほうから謝ろう。頑固を誇るのは小人の常である。にっこり握手して自分の過ちを認め、いっさいを水に流して出直そうと申し出てこそ、大人物である」

By デール・カーネギー


 といった今日この頃、皆様はどうお過ごしでしょうか。


*ノーモア頑固者

 ワタクシが頑固者が嫌いである。だが世知辛い事に、近代文明は頑固者にとって都合の良い世の中を作り出してしまってるのである。ソレが「思想の自由」と「生存権」である。たとえ何の価値も無い拘りであったとしても、他人の主権さえ侵害しなければ拘る権利が与えられるのである。でもって生存権があるからこそ、拘り過ぎて皆からソッポ向かれて職までも失ったとしても、国が最低限の健康的で文化的な生活を保障してくれるのである。ソレに加えニッポン含むアジアの儒教文化の影響のある地域では年功序列というシステムが存在するのである。でもってワタクシが今まで出会ってきた頑固者というのは、ほぼ例外なくコレ等をフル駆使して頑固さを貫いてきているのである┐(´д`)┌



 ワタクシは別に、頑固さそのものを否定しているワケではない。前向きなビジョンを基にした目的を達成する手段としての頑固さだったら、ワタクシはソレもアリだと思うのである。が、ワタクシが今まで出会ってきた頑固者ってのは、その殆どが後ろ向きなビジョンを基にした、頑固になる事自体が目的になってしまってるのである。テメェの自尊心を守るためだとか、時代の変化に対応できないのを誤魔化すためだとか、周りに弱虫と思われないためだとか、そんな下らんモンのために時には身体や生命を張って、そして「逆風に耐えて信念を貫く自分カコイイ」って自分に酔う。周囲の妥協や法律や風習に守られてるからこその頑固さを貫けるのに、その事に全く気付いていない。コレを滑稽と言わずに何と言うんだって話である┐( -"-)┌


*もうすぐクリスマス

 気が付いたら明日はもうクリスマスイブ、2017年もあと一週間強でお終いである。ガキの頃はサンタさんが枕元にプレゼント置いてくれるのが楽しみで仕方なかったのだが、今となっては自分がサンタさん・・・と言いたいトコだけど、生憎ワタクシは未だ以って独りモンである(笑)毎年この季節になると街中がクリスマスソングで溢れていて、中には【街の至る所で流れるクリスマスの音楽を聴かされ続けると、心が浮き立つどころか不快な気分になる】なんて人も少なくないらしいのである。何ちゅーか、ワタクシもその気持ち、すんごく良く分かるのである(爆)ガキの頃は「クリスマス=プレゼント+お年玉+冬休み」の3連コンボで嬉しさ三倍だったのであるが。、この年で独りモンだと色々考える事が出てきてしまうのである。



 今となってはクリスマスの定番であるこの曲を聴く度に「”きっと君は来ない”って事は、何らかの形で誰か居たって事なんだろッ!たとえ来なかろうが、その”誰か”が居るってだけで贅沢なんだぞコノヤロォォォォォヽ(`Д´)ノ」ってフラストレーションが溜まるんだから、もう堪ったモンじゃないのである(笑)ワタクシの知人の離婚した人曰く「結婚なんてそんな大層なモンじゃないよ」とかいうのであるが、ワタクシに言わせれば「離婚できるなんて羨ましいじゃねぇかチクショォォォォヽ(`Д´)ノ」である(爆)だって離婚できるって事は、ソレ即ち結婚したって事だからである。独りモンのワタクシは何をどうやっても離婚できないんだから、コレを羨ましいと言わずに何と言えって話である(核爆)


 ワタクシは別に、結婚したくなくて独りモンやってるワケではないのである。このブログのタイトルが示しているように、ワタクシはアスペルガー症候群(現自閉症スペクトラム)の当事者である。女性と話す機会は今まで何度かあったのだが、数言会話を重ねる事から先へ進んだことが無いのである(^_^;)女性が重視すると言われている非言語的な感情のやり取りにおいて、ワタクシはソコで除外されてしまってるんじゃないかと思うのである。

まぁ10代後半〜20代後半のワタクシにゃアスペの自覚も他覚も全く無く、恐らく人間として一番ヤバかった頃なんじゃないかなと思うのである(笑)やっぱ何だかんだ言って、幼少時からの早期療育は重要である。ガキの頃にちゃんとした環境でちゃんとした教育を受けて育たないと、大人になった時に挫折やら何やらでただでさえ歪んでる性格が更に歪む→益々以ってモテなくなるからである(爆)


アスペルガーと結婚

 じゃあ何故ワタクシが結婚の事を考えるかって、理由は「自分は不完全な人間であって、ソレを可能な限り埋めたいから」である。ワタクシはガキの頃からずっと「他の子と同じ事が出来ないワタクシは変わりモンであり、不完全な人間だ」って想いがあって、ソレは現在進行形で続いているのである。大人になって特にソレを一番意識させられるのが、他ならぬ結婚と家族である。結婚が良いか悪いかなんて、ぶっちゃけどうでもいいのである。でもソレを知らないまま人生が終わるってのは、何ちゅーか勿体無いって言うか、悔いが残るって言うか、そんな感じなのである。もし結婚出来るようになったら、ソレ即ちワタクシの不完全性が埋められたという事なのでは。そんな考えを持ってしまうのである。


 まぁ何ちゅーか、スーパーカーに憧れるクルマ少年みたいなモンである(笑)スーパーカーオーナー的には「スーパーカーは燃費も悪いし維持費がシャレにならないし、オマケに値段相当に優れてるかと言えばそうでもない。買わなきゃよかった」でも、憧れる人からすれば具体的な愚痴を言える事自体が成功者達成者の証であり、憧れの本質はソコにあるのである。

何ちゅーかワタクシの場合「フツーの人の様にフツーに生きる」って事自体に妙な憧れがあるようなのである。こう言っちゃアレだけど、アスペと診断される前は色々と注文や文句を付けられていて、診断されてアスペが有名になってから以降は腫れ物に触るような扱いに変わる。そうでなくて、ワタクシはフツーに接して接されたいのである。その為に結婚できるほどの非言語的コミュ力があれば何とかなるんじゃないかなと思ってしまうのである。まぁこんな暗い話してたら明日のイベントのテンションが下がってしまうので(笑)気持ちを切り替えようと思う今日この頃であった。