アスペルガー医師ロンの日常

医師でもあり、アスペルガー症候群当事者でもあり、更には911GT3&ロードスター乗りでもあるワタクシのささやか(?)な日常

LOS ANGELES

 ロンマニアの皆様、こんにちはm(_ _)m

「追うと愛は逃げるものです。むしろ逃げる姿勢があると、愛は追いかけてくるものなのです。相手を追いつめないように、自分の愛にも最後の逃げ道を残しておいてやるゆとりを持ちましょう」
By 瀬戸内寂聴

 といった今日この頃、皆様はどうお過ごしでしょうか。


*テロの弊害
今だメディアじゃバイトテロが云々騒がれてて、中には階級闘争に持ち込んで擁護するヤツまでも居るのであるが、ワタクシは終始一貫「テロリストとは交渉しない」の立場である。前回述べたように法治国家としての基本が成り立たなくなるのもそうであるが、一番のデメリットは「最終的に損するのは企業じゃなくて利用者だから」である。どういう事かと言うと:

バイトテロが起こる

企業側は管理体制を強める、賃金を上げる、再発防止のインフラを整えるなどの対策を取る

当然だけど、その対策には少なからず手間とカネが必要になる

すると価格アップ、店舗の閉鎖、社員のリストラ、バイト募集数削減といった埋め合わせが行われる

利用者が不便を被る

( ゚Д゚)マズー

という事である。企業は慈善事業じゃないんだから、本体が生き残る為にはそうするに決まってるのである。更に言えば、企業本体が別事業に重点を置くようになってしまう可能性だってあるのである。そうなったら、バイトどころか正社員すら必要無くなってしまうのである。利用者どころか企業末端まで影響を及ぼすのだから、やっぱバイトテロと交渉したり要求を飲んだりしてはいけないのである。

 でもって更に言えば、このままバイトテロが頻発するようになったら次はどうなるかって言えば「事業の機械化、無人化が進む」って事である。なぜ今までそうしなかったかって、コストがかかるからである。でも今回の事みたいなのが起こって、損失が無人化コストを上回るのであれば、企業はそっちを選ぶであろう:

米アマゾン レジなし無人コンビニ開店
こんな風にアメリカじゃもう実用化されてるのだから、ニッポンでもやろうと思えばできない事は無いのである。低賃金で扱き使う事が良い事だとは思わんが、かと言ってバイトテロに正当性を与えたらその低賃金すら貰えなくなってしまうのである。

*アニメが評価されない理由
 アニメオタクはアニメが好きなんじゃなくて、人生逃げた先にアニメがあっただけ。コレは伊集院光の言葉だけど、正しくその通りだとワタクシも思うのである。アニメだけじゃなく、鉄道やアイドルも似た様なモンである。無論、他にも色んな趣味を持っててアニメもその一つって人も居るが、アニメがメインってのは流石にヤバいと思うのである。なぜそうなるかと言えば、アニメを嗜むにおいては知力も体力も財力も鍛錬も忍耐も感性もセンスも必要無いからである。モニター前に陣取って、画像や音声を見聞きできさえすれば、ソレだけで嗜めるからである。

 そう、自分自身と戦う必要もなけりゃ、ましてや他人と戦う必要もない。だから戦えないor戦いたくなくて人生や世の中から逃げてきたヤツってのは、アニメか鉄道かアイドルぐらいしか嗜めるモンが無いのである。世の中にある数多くの趣味の中でソレ等が最底辺に位置するのは、つまりそういう事なのである。以前にもネタにした事があるのであるが、趣味の格付けってのはこういうので決まると思うのである:

  • その趣味が知力、体力、判断力といった各種身体能力をどのぐらい必要とするか
  • その趣味が仲間とのチームワークや、相手との駆け引き等に必要なコミュ力をどれだけ必要としているか
  • その趣味がどれだけのコストを必要とするか
  • その趣味が感性や美的センス、及びソレを表現するための技術力や表現力を必要とするか
  • その趣味が習得までにどれほどの忍耐や鍛錬や自己犠牲を必要とするか

なぜスポーツや芸術が趣味としての地位が高いかって、コレ等の要素を高い次元で必要とするからである。上記の要素を高く持ってるって事は、ソレ即ち一般社会において必要な能力を高く持ってるって事であり「その趣味を満足に嗜める≒能力に高い優秀な人間である」って事だからである。だから必然とモテるし、周囲からもチヤホヤされるのである。

 で、アニメには上記要素がどんだけ必要なんだよって話である(笑)ぶっちゃけた話、モニターやDVD再生機(或いはPC)といった初期投資を除けば、雀の涙ほどの犠牲しか払わないのである。だから「趣味は何ですか?」って聞かれた時に「アニメ鑑賞です( ー`дー´)キリッ」って答えるって事は、ソレ即ち相手に「あぁ、コイツは自分とも他人とも戦わないヤツなんだな( ´_ゝ`)」って思われてしまうのである。こう言うと「そんなのは差別であり偏見だッ!」って反論されるけど、ソレに対しワタクシは「世の中は古今東西、差別と偏見で回ってきたけど、何か問題でも?」って答える次第である(爆)

*趣味は戦いだ
 そう、人間というナマモノの歴史は差別と偏見の歴史であり、戦いと弱肉強食の歴史でもあるのである。だから力があるという事は、生き残ったり子孫繁栄をする上で非常に重要なのである。そして趣味とは、クリーンでフェアな戦いだとワタクシは考えているのである。趣味を通じて自分自身と戦い過去の自分を乗り越えて、趣味を通じて他人と戦う事でコミュ力や人脈を築き上げる。コレが趣味の醍醐味であり、ソレが無い趣味ってのはヒマ潰しにオマケで楽しむ程度のモンであり、決してメインに据えるモンではないとワタクシは思うのである。ワタクシは萌えは好きだけどアニメは殆ど観ないのは、そういう理由である(笑)


モテない男の趣味ランキング!女性に無条件で嫌われる趣味は今スグやめろ!【藤森翔】

 この動画に出てくる持てない趣味のソレも、揃いも揃って”戦わない趣味”である。でもってワタクシの知る限り、戦わないor戦えないヤツってのは高い確率で自分自身を偽るヤツなのである。真実から目を背けてウソで身を固めてる内に正しい事と正しくない事の区別が付かなくなって性格が捻じ曲がったり、自分以外に責任転嫁し過ぎて心が疲れて精神を病んでしまったり、そんなヤツばっかなのである。自分が弱いなら弱いとハッキリと認めて、どうすれば強くなれるのかをシッカリ考えてバッチリ行動して、少しづつで良いから自分や他人と戦う。趣味に限った話ではなく、ソレが正しい人間の在り方だと思う今日この頃であった。

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SLAVES OF THE SHADOW REALM

 ロンマニアの皆様、こんにちはm(_ _)m

「小難しい理屈をこねたりしてる歌なんて、最悪。単純なラブソングこそ最高なのに」
By 忌野清志郎

 といった今日この頃、皆様はどうお過ごしでしょうか。


*キモは鉄砲
 何だか【ターミネーターの新作がまたリブートかけて発表される】んだそうである。ワタクシは3までは観てたのだが、ソレ以降は全然観てなかったりするのである。何ちゅーか3観て「あぁ、こりゃジェームズ・キャメロンじゃなきゃムリだ」って感じたんで、観るのを止めたってワケである。ターミネーターシリーズの魅力は何か?ターミネーターの能力や迫力?確かにソレもそうだが、ワタクシは「鉄砲及びガンファイトの魅せ方」だと思うのである。1と2には脳裏に焼き付くような鉄砲のチョイス、マネしたくなるようなガンファイトが所々に散りばめられていて、その殆どが印象に残ってるのである。

 何故ソレが可能だったかって、キャメロンが生粋のガンマニアだったからである。鉄砲に対する造詣が深いからこそビックリするようなチョイスの鉄砲を理に適った使い方ができるし、鉄砲を用いたインパクトの大きいシーンを撮れるのである:

Terminator - Police Station Shootout (HD)

Terminator 2: Bike Chase l Best Quality 4K

Terminator 2 T1000 Death l 4K 3D Remastered
鉄砲属性のあるロンマニアの方ならば、思わずマネしたくなるようなシーンばかりである(笑)ところが3以降は鉄砲描写が減って、代わりにターミネーター描写が増えてしまったのである。ソレはソレで面白いのだろうけど、でもマネしたいとはちっとも思わない→リアリティーが無いのである、監督にキャメロンが復帰したという事で、新作のガンアクションは少しばかり期待してる次第である。

*リアルとフィクションの彼岸
 話は変わって、ニッポンと外国の音楽シーンの違いは何処にあるかって、ワタクシは「歌と歌詞にどのぐらい重点を置くか」だと思うのである。洋楽ってのは何ちゅーか「歌や歌詞はあくまで音楽の一部分」って考えなのであるが、邦楽は「歌と歌詞が曲の中心で、楽器演奏はソレをサポートするシロモノ」って感じである。だから歌詞の中身が重要視されるし、故に【尾崎豊の歌詞をマジで捉えるヤツ】が出てきたりするのである:

尾崎豊 15の夜 歌詞つき

【尾崎豊】 卒業 (東京ドーム)
何をどう考えても、ティーンエイジャーの鬱屈した感情をモノの例えとして表現した様にしか読めないのであるが、今時はこの程度で「不謹慎だッ!」ってテレビやラジオにイチャモンつけるヤツがマジで居るんだそうである┐(´д`)┌

 ワタクシに言わせれば、こんなモンは生温くてしょうがないのである(笑)洋楽HR/HMと洋楽パンク/ハードコアで鍛え上げられたワタクシからすれば、この程度の心の叫びなど臭いのない屁みたいなモンである(爆)過激な歌詞とは、こういうのを言うのである:

【日本語訳】 スレイヤー Slayer - Angel of Death (Japanese sub)

【日本語訳】 スレイヤー Slayer - War Ensemble (Japanese sub)
尾崎豊ごときでゴチャゴチャ言ってるヤツがスレイヤー聴いたら、恐らく泡吹いて卒倒するであろう(核爆)が、コレをマジで捉えるヤツなんか居ないし、居たとしても「バカ乙」でお終いである。そう、歌詞に影響されて実際に行動するヤツはただのバカなのであり、バカはスルーするか(有害ならば)排除するだけである。

 でもってこういうクレームの何が気に食わないかって、放送する側が「バカ乙」って言わないでマジメに対処しちゃう事なのである。対処して排除する事には何の哲学も信念も無く、ただ単に「揉め事を起こしたくない」「平和が一番」っていう事無かれ主義でしかないのである┐( -"-)┌その事無かれ主義に巻き込まれる形で、大多数のネタをネタだと分かる分別ある人達の楽しみが奪われてしまう。ソレがワタクシ的に非常に気に食わないのである。なぜ一部のネタをネタと分からんバカの為に、分別ある賢い人々が犠牲や我慢を強いられなきゃならんのだって話であるo(`ω´*)o

*平和って何ですか?
 サブタイの意味を解釈すると「争い事の無い状態」だろうけど、ソレには2通りあるのである。ソレは「争いの種を抑え込んでる状態」と「争いの種そのものが無い状態」の2つである。こう書けば分かると思うが、ニッポン人が目指してる「平和」ってのは大概が後者の事なのである。反対者や不満者と徹底的に話し合って、その要望を受け止めて、賛成者や満足者と共にコンセンサスを形成する。コレがニッポン的な「理想の平和の在り方」なのである。でもって世界で一般的に「平和」って呼ばれるシロモノは大概が前者であり、互いが住み分けて関わり合わない&相互に抑止力を身に着けてる事を前提にして成り立ってるのである。


長淵剛、あつく平和を語る。

 無論、後者が良いのは間違いないのであるが、問題が一つあるのである。前回も言った事があると思うが「コンセンサスの形成が手段ではなく目標になってしまい、本来の目的が平和の為に失われてしまう事」である。相手がケンカ上等、戦争上等なヤツだった場合、コンセンサスを得ようと思ったら相手の言い分をほぼ丸呑みにするしか方法が無く、真っ当な人々が妥協や我慢を強いられてしまうという結果になってしまうのである。平和は確かに重要だけど、自由はソレ以上に重要。故サッチャー元首相の言葉だけど、正しくその通りだと改めて思う今日この頃であった。

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RAVENOUS PLAGUE

 ロンマニアの皆様、こんにちはm(_ _)m

「俺の研究というのは是は戦争だよ君。英語の研究というものに対して、俺は戦争をして居るようなものだ。俺の心理は戦争心理だ」
By 斎藤秀三郎

 といった今日この頃、皆様はどうお過ごしでしょうか。


*字幕vs吹き替え
 洋画は字幕で、洋ゲーは吹き替えで。コレが洋モノに対するワタクシのジャスティスである(笑)やっぱ何だかんだ言ってソレが制作されたオリジナルの言語でないと、大まかな意味は分かっても細かいニュアンスが伝わってこないのである。例えば同じ英語でも訛りでアメリカ北部なのか南部なのかイギリス人なのかの区別が付いて、ソレでその登場人物の大まかな個性が説明せずとも分かったりするのであるが、コレを吹き替えてしまうと分からなくなってしまうのである。恐らくアメリカのアニメファンも、英語に吹き替えられたら登場人物が東京人か関西人か東北人か九州人か説明ナシでは分からない事であろう。だから外国の作品はオリジナルの言語で視聴するのが一番良いのである。


英語圏の様々な英語なまり(海外セレブ編)

 洋画だったら字幕読みながらセリフを聞く余裕があるから、洋画なら字幕がベストなのである。が、洋ゲーの場合は「字幕読む」と「セリフを聞く」以外に「キャラクターを操作する」が加わってくるのである。同時に2つぐらいなら何とかなるのであるが、3つになると流石に全てに対処しきれないのである(^_^;)だから洋ゲーの場合は「字幕読む」のステップを省けるようにする為に、ワタクシは吹き替えを好むのである。色々試した結果、ワタクシが対処できるのは同時に最大2.5までであり、3つ全ては未だ厳しいのである。英語をマスターできてれば問題無いと思うのであるが、マスターする気が全く起こらないのである(笑)

フリクション・ニュードーン
 何故英語をマスターできないか考えてみたのであるが、やっぱ日常的に使わない&必要に迫られないからだと思うのである。その2つが無いのに英語を覚えようとしても、中々身に付かない上にすぐ忘れてしまうのである(^_^;)でも逆に言えばその2つさえあれば、外国語は思った以上に簡単に覚えられちゃったりする(無論、覚える外国語の難易度にもよる)のである。さて話は変わって、と:

クルマに限った話ではないが、機械をより良く動かそうと思うのであれば、入力を増やすよりも抵抗を減らした方が有効なのである。抵抗を減らせば燃費(或いは電費)は自ずと上がるのもだけど、抵抗が減れば発熱も減るから長持ちするのである。だからクルマにしろエアガンにしろ何にしろ、周囲から「コイツ、出来るッ!」って思われたいのであれば、ヘタなパワーアップチューンを施すよりも、軽量化や低抵抗化チューンに力を入れるべきなのである(笑)


『ファークライ ニュードーン』ローンチトレーラー
今やってるのがまだ終わってないにも関わらず、積みゲーがこうしてまた一つ増えてしまったのである(笑)前作「ファークライ5」のその後を描いた作品で、実質的に5-2というか外伝的な作品なので、前作をやってない人はまず前作からやる事をオススメする次第である。ワタクシは5も4も好きだったので、今やってるの終わったら次はコレに取り掛かる予定である。

*吹き替えも悪くない
 話は戻って、特にアメリカとかが舞台の話の場合、多民族多文化を表す要素の一つとして、英語の訛りが使われる事が多いのである。だからアメリカを舞台にした作品が多いロックスターのゲームなんかは、メーカーの方から吹き替えNGが出てたりするらしいのである。が、そうでないのなら、ワタクシは吹き替えもアリだと思うのである。何故かと言えば、ニッポンは声優先進国だからである(笑)海外版の吹き替えられたニッポン製アニメをワタクシは今まで色んな言語で見てきたが、何れも酷いモンである┐(´д`)┌当たり前の様にセリフは棒読みで、ニュアンスも感情もへったくれも無いのである。海外のファンからも「吹き替えは要らんッ!字幕だけにしろッ!」って言われてる程だとか。

 が、ニッポンは長年に渡るアニメ文化やテレビ文化の影響があるのだろうけど、声優という職業の地位と技術が非常に高かったりするのである。だから訛り云々が無ければ、時として吹き替えの方が良い仕事をしていたりするのである:

約三分半で大体わかるコマンドー
コマンドーに至っては、吹き替え以外で観る選択をワタクシは持っていないのである(笑)洋画でも洋ゲーでもローカライズに気合が入っていれば、オリジナルに匹敵するほどの出来になったりするのである。が、ソレでもやっぱ何をどうやってもオリジナルを超えられない作品ってのはあるのであり、その場合は素直に字幕で観る事をオススメする次第である:

BD【予告編1】『フルメタル・ジャケット 日本語吹替音声追加収録版』好評発売中
この予告編見ただけで、何故キューブリックが「吹き替えは絶対にNG」って言ったのかが良く分かるってモンである(^_^;)こうやって事前に観る事で貴重なカネをドブに捨てる事を防げるんだから、やっぱネットは偉大なのである(笑)映画であれゲームであれ小説であれ何であれ、一番優れてるのはやっぱオリジナル。ソレを確信した今日この頃であった。

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DESCENT INTO CHAOS

 ロンマニアの皆様、こんにちはm(_ _)m

「自分と同じユニフォームを来ている人は全員ファミリーだと思っていますから、みんな好きです」
By ボビー・バレンタイン

 といった今日この頃、皆様はどうお過ごしでしょうか。


*バレンタイン2019
 よくよく考えてみたら、今日が平成最後のバレンタインデーだったのである。まぁ「だから何?」って問われても「ソレだけの話」で終わる事なので、この事についてはコレでお終いにしようジャマイカ(笑)でもってロドスタがデビューしたのが1989年であり、その年は丁度平成元年だったりするのである。つまり平成と共に歩んできたんだなって事なのである。でもって30周年って事で【ロドスタ30周年記念車】とかいうシロモノが発表され、世界限定3000台なんだそうである。でもってコレを観たワタクシの正直な感想は「(゚⊿゚)イラネ」といったトコであろうか(爆)


マツダ 新型 ロードスター 特別仕様車!世界限定3000台!

 確かに限定色のレーシングオレンジは良い色だと思うけど、ワタクシが良いなと思ったのは後にも先にもソレだけである。あとはRAYSの専用ホイールぐらいだけど、ワタクシは元々ホイールには殆ど興味無かった&実は【アフターにもある】ので、コレも決め手にはならなかった次第である。まぁプレミア狙いだとか、珍しいモン好きだとか、そういう人ならば狙い目かも知れないが、ワタクシは「クルマは乗ってナンボ」がジャスティスなので、こういうのは余程突き抜けた仕様でもない限り、ワタクシは欲しく感じないのである。引き続き今のを、最低でも次のモデル(NE型?)が出るまで乗り続ける予定である。

*テロリストとは交渉しない
 上記サブタイは、世界主要各国がテロリストと対峙するにあたる大原則の一つである。何故なら少しでも交渉すると、ソコから他のテロリスト(及び予備軍)は「テロを起こせば交渉してくれるッ!話を聞いてもらえるッ!」って勘違いして、次の更なるテロを誘発するからである。だから相手がどんな手を使おうとも一切交渉はせず、相手に対し「そんな事をしてもムダだ」っていう確固たるメッセージを届ける必要があるのである。伝えたいメッセージがあるのならば、合法的な手段を用いて真っ当な方法で語るべし。コレが法治国家における大原則である。


陸上自衛隊 テロリスト制圧訓練・日米合同演習「鎮西26」

 何だか巷では「バイトテロ」なる行為が話題になってるらしいのであるが、ソレに対するワタクシの見解は「テロリストにはテロリストの対応を」である。つまり「ガッツリ訴えてケツの毛まで毟り取ってやれ」って事である(笑)こう書くと「バイトの待遇ガー」「ブラック労働ガー」とかいうヤツが居て、実際【バイトテロは訴えても抑止できない】って記事を書くヤツも居るが、ソレとコレは話が別である。労働環境に問題があるのなら、ちゃんと法律やルールに則った形で訴えていくか、或いはさっさと辞めちゃえば良いのである。繰り返し言うが、コレが法治国家における真っ当なやり方であり、そしてニッポンは法治国家なのである。


【バイトテロ・客テロまとめ10動画】2/11までに確認できている不適切な動画・投稿(うざろんぐがもの申すver.)

 ワタクシが繰り返し言ってる事であるが、正義って概念は実は主観的なモンであって、宗教や民族や文化によって違うのは勿論の事、突き詰めていけば個人毎に違うモンなのである。でも正義を信じてるヤツは、ソレが絶対普遍の価値観だと信じて疑わないのである。だから「どんな正義を信じても良いけど、最低コレだけは守れ」って感じに法律やルールがあるのである。だから「正しい事を通す為ならばテロも仕方がない」って考え方は受け入れられんのである。そんな事したら、人々がテメェの正義を通すために戦い合う事になるからである。社会や労働環境の改善は確かに必要だけど、バイトテロリストを罰する事も法治を守る上で重要なのである。

*コンセンサスとテロリズム
 シリアで捕まってたジャーナリスト気取りのバカの時もそうであったが、何ちゅーかニッポン人はテロリストに甘いトコがあるのである( ̄~ ̄)まぁ多くはサヨク思想からくる「弱者救済ガー」「権力者や大企業の横暴ガー」からの流れで来てるんだろうけど、やっぱ根底には先日ネタにした”コンセンサス主義”があるんじゃないかと思うのである。即ち「敵の言い分も聞いて、敵の自発的な反省を促して、最終的には敵と仲良くなろう」って考え方である。だから「テロリストに厳しくしたら余計にテロが生まれる」とか「要望を一部飲んであげる事が融和への道」って発想が出てくるのである。

 が、先日も言ったけど、ソレはニッポンという実質的単一民族国家で、根本的な価値観の殆どが共有できてるからこそ成り立つ思想なのである。でもって今の時代、グローバル化とネット社会化が進んだせいもあり、同じニッポン人同士でも根本的な価値観を違える事がザラになってきてるのである。故に価値観を違える者同士が安心して暮らしていくためにも法とルールを守る事は重要であり、バイトテロリストに対し妥協や交渉をしてはいけないのである。正義は唯一絶対に思えて、実は主観的で独り善がりな思想。その事に気付く事が大人になるという事であり、社会人になるという事でもある今日この頃であった。

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CULT OF THE DEAD

 ロンマニアの皆様、こんにちはm(_ _)m

「花は出来上がりの一歩手前で活けなければならなかったのだそうである。活けた時に全部出来上がっていたら、その時から花は崩れてしまう」
By 高田保

 といった今日この頃、皆様はどうお過ごしでしょうか。


*噂のアレのホントの話?
 ワタクシが通ってるクルマのショップは、共にプロドライバーがオーナーをやってるのである。でもってプロドライバーやってると色んなクルマに乗るチャンスがあって、同業者や業界関係者との交流もあって、色んな裏話が流れ込んでくるのである。その中の一つが今クルマ好きの間で最も熱いネタである【新型スープラ】であり、そのプロトタイプに乗った人の話なんかも流れてくるのである。曰く「雑誌には書けないけど、仕上がりはイマイチ」なんだそうである(^_^)どういう事かというと「足回りのジオメトリーとか、サスや電制デフのセッティングが決まってない。買うならマイナーチェンジ後」らしいのである。


スープラ プロトタイプ 最速試乗インプレッション by アキラ(飯田章)&コボちゃん(桂伸一)

 故に「諸々を弄る前提で買うのなら良いけど、ノーマル前提で乗る人や、BMW的なモンを求めてるならマイナーチェンジ後に期待すべし」との事である。まぁ何ちゅーか、全くの新車種で、しかも最初期モデルなら、スープラトヨタ車に限らずそんなモンである。名前こそスープラだけど、先代(A80型)が生産終了してから17年経ってるし、しかもBMW製なんだから、もうデファクト上の新車種だと思った方が良いのである。まぁこのクルマも先代Z4同様に7~8年は作られ続けるだろうから、本気で狙うとしたら4年目以降の中期型~後期型がベターかと思われるのである。

*新型ROADSTERのすべて
 何故一つの車種が作られ続ける事が大事かって、つまりそういう事なのである。一度生産終了になって時間が経ってしまうと、蓄積されたノウハウがリセットされてしまうからである。欧米のスポーツカーが何故良く出来てるかって、長年同じコンセプトで作られ続けているから、ムダが徹底的に削り落とされてバランスが徹底的に練られているからである。数字やラップタイムだけじゃ、クルマの良し悪しを推し量る事なんて出来ないのである:

内装だとか細かい数字だとかをもう少し詳しく見たかったので、こうして買ってきてしまったのである。MTが無いだけでなく、電動パーキングブレーキってのが、古いファンの反感を買いそうではあるのである。あとエンジンがBMW製&ミッションがZF製って事で、A80の時みたいに1000馬力オーバー上等とはいかなさそうである(^_^;)まぁ分かっちゃいたけど、古いファンとは袂を分かつつもりなのであろう。

何だかロドスタ絡みのムックが色々出るなと思ってたのであるが、ショップで聞いた話、実はNDって結構売れてるんだそうである。ワタクシがND預けてるショップでも、当初はNDの客はワタクシ1人だけだったのが、ココ2年ほどで一気に増えて、ホイールやらシートやら車高調やらが売れまくってるんだそうである。だからこの手のロドスタ絡みのムックが出版社から色々出てくるんだそうである。

*やっぱマニュアルは要らない
 でもって未だ大きな争点となってるスープラにMTが無い問題であるが、ワタクシの主張は以前と変わらず「MT(゚⊿゚)イラネ」である(笑)巷で言われる「MTはクルマを操ってる感があって楽しい」ってのは、あくまでコーナリングやアクセルワークに気を使わなくていい街乗りレベルでの話だとワタクシは考えているのである。サーキット走行はじめモタスポを嗜むようになると、3ペダルMTはジャマなだけである。だからPDK(ポルシェのDCT)が普及して以来はポルシェ車におけるPDKの割合は8~9割に達してるし、上位グレードだとPDKしか無かったりするのである。ポルシェがPDK選んでるという事は、つまりそういう事なのである。

 あと2ペダルだと何が良いって、変速が速い、シフトミスをしないってのもだけど、一番はやっぱり「変速に使う集中力を他に回せる」って事だと思うのである。その集中力の余った分だけコーナリングに回せるから結果としてタイムも良くなるし、何よりシフトミスからくるトラブルや各方面注意に使える集中力が増えるぶんだけ安全になるのである:

【86対決】ATとMTではどっちが速い?プロドライバーが検証! BRZ
無論、MTの良さ(軽量級のクルマには有効、メンテ性や信頼性やコスパに優れるなど)は否定しないから、敢えてMTを選ぶ人を否定する気は毛頭無いのである。が、MTが無いだけでその車種を拒絶するって考えは、ワタクシはソレ違うんじゃないかと思ってる次第である。スポーツカー、特にピュアスポーツカーにとって楽しさは重要だけど、速さはソレ以上に重要。その事は変わらない今日この頃であった。

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FEEL THE BLADE

 ロンマニアの皆様、こんにちはm(_ _)m

「私は意見の一致を求める政治家ではない。信念の政治家だ」
By マーガレット・サッチャー

 といった今日この頃、皆様はどうお過ごしでしょうか。


*星間戦争と人間工学
 スターウォーズガンダムの共通点は何か?ワタクシの答えは「好きな人はトコトン好きになれるけど、そうでない人には何が良いのかがサッパリ分からない」ってトコであろうか(笑)どっちも物凄い数のグッズが売られてて、外伝の数もえらい事になってるからには、やっぱハマる人にはすんごい面白いんだと思うのであるが、生憎ワタクシはどっちも良く分からんのである(^_^;)そうそう、スターウォーズを象徴するアイテムは何かと問われたら、恐らく十中八九「ライトセイバー」って答えが返ってくるだろうけど、アレのレプリカをワタクシは手に取った感想は「すんげぇ扱い難い('A`)」ってトコである(爆)何ちゅーか、ゴテゴテし過ぎてて握り難くて構え難いのである。


ライトセーバー 戦闘シーン

 こうやってチャンバラする時にライトセイバーの柄をシッカリ構えようとすると、意味不明な突起が掌に食い込んで、痛い上に均等に力が入らないのである。ぶっちゃけた話、ホムセンで売ってる3×3角材の方がまだ握り易いと思うぐらいにである。アレは未来の科学が超進んでる世界の話なんだから、少しぐらい人間工学を考えたデザインにしても良かったと思うのである:

これが230万のライトセーバーだ!【スターウォーズ】
まぁ最初の作品(エピソード4)が登場したのが1977年で、その時代はまだ人間工学云々は民間レベルでは然程普及してなかったんじゃないかと思われる&アメリカにゃ剣術の伝統が無いから「実戦で扱い易い剣と柄の在り方は云々」って発想が乏しかったんじゃないかと思われるが、まぁワタクシは抑々スターウォーズにゃソコまで関心は無いので、コレ以上考えてもムダであろう(笑)

*コンセンサスの弊害
 ワタクシが思うに、いじめやら虐待やらの学校云々が関わってる諸問題云々が何時まで経っても改善の方向に向かない理由ってのは、何もかも学校に押し付けてしまってるからじゃないかと思うのである。ワタクシだけでなく色んな人が「いじめは窃盗や暴行事件でもあるんだから、警察か弁護士に頼めば良いじゃん」って考えるのであるが、ソレを声高々に主張すると「学校の自治ガー、公権力の教育への介入ガー」って騒ぎだすサヨク連中が居るから困ったモンである┐(´д`)┌サヨクとその”大義”については以前のブログでも述べた事があるので、今回は省略させてもらう次第である。


千葉 小4女児死亡 野田市教委 ”父からいじめ”アンケートのコピーを父親に

 そういったサヨク大義云々、サラリーマン的な教師や教育委員会云々もそうだけど、一番の問題はやっぱり「コンセンサスに対する拘り」じゃないかと思うのである。ニッポン人にとって最も美しい物事の解決法は何か?答えは「悪者が心から反省する事」である。悪者が反省して心を入れ替えて、また今まで通り皆で仲良くコミュニティーの中で一緒に過ごす事。コレがニッポン文化的に最も望ましい解決法である。次に美しいのは「普遍的正義な”お上”が正しく罰を与えて平和的にコミュニティーから追放する事」である。なぜ水戸黄門がアレだけ長い間人々から支持されたかって、その美徳が詰まっているからである。


ザ・ヒストリー・オブ 印籠 水戸黄門 印籠の秘密とは?

 そう、コンセンサスに拘って自発的に平和的に問題を解決する事を至上命題としてしまってるから、本質的な解決に繋がらないのである。この解決法の何がダメかって、加害者側にその気が全く無ければ成立しない事である。上記動画のつい最近の虐待事件が正にソレであるが、相手が喧嘩上等で好戦的なヤツならば、穏便に物事を解決しようと思ったら被害者側が妥協するしかなくなってしまうのである。確かにコンセンサスで自発的に平和的に解決できれば、誰も傷付かなくて誰も悪者にならないから、ソレに越した事は無いであろう。が、世の中には例外ってモンが必ずあるモンであり、特にココ最近のグローバル化と多様化はソレを増やしているのである。

*分裂上等
 何故ニッポンにはこういう文化が生じたかって、ニッポンが島国な上に、実質的な単一民族国家だからである。つまり文化的に根本的な部分が似通ってるから、同じ様な美徳の概念が共有できてしまうのである。でもって島国であるという事は、ソレ即ち「逃げ場が無い」という事である:

部族間で争いが起こる

大陸国ならば、影響の及ばない思いっきり遠いトコまで逃げられる

互いに文化は残るから、多様化も促進される

(゚д゚)ウマー

ところが島国だと、逃げられる範囲が限られてしまう

追い詰められたら滅ぶor同化しかない

片方の文化しか栄えないから、多様性は促進されない

( ゚Д゚)マズー

という事である。ニッポンに「話し合えば分かるッ!」って言葉があるのは、ニッポン人が実質モノカルチャーで、根本的な価値観を共有してるからこそなのである。一方海外じゃ神の前では皆平等なキリスト教に、男女がクッキリ分かれているイスラム教に、同性でも身分の違いがあるヒンズー教、何をどーやってもコンセンサスに辿り着けない連中が居るのである。なぜ諸外国じゃ民主主義や多数決があるのかって、つまりそういう事である。

 だからこうした学校の諸問題を根本的に解決したいのならば、分裂上等でやれば良いのである。幸い昔とは違って、今のニッポンは多様性も人権も発言の自由も認められているのである。気に入らないのであれば組織を抜けたって良いし、組織から追い出したって構わないのである。その代わり所属を変える事や内外から人が行き来する事に対しもっと寛容になるべきだと思うし、必要があれば争う事を厭わない覚悟も必要だと思うのである。今は自由と民主主義とマルチカルチャーの時代だから、コンセンサスはもう耐用年数を過ぎつつある。益々以ってそう思う今日この頃であった。

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SONS OF THE JACKAL

 ロンマニアの皆様、こんにちはm(_ _)m

「独創的なアイディアにはみんなが反対する。変な考えは一人でないと通らない」
By 中村修二

 といった今日この頃、皆様はどうお過ごしでしょうか。


*雪は嫌い
 明日は雪なんだそうである('A`)昔ガキの頃は、あんなに楽しみだった積雪が、オッサンになった今となってはウザい事この上ないのである(笑)サーキットへ走りに行けない、サバゲーにも行けない、通勤も面倒になる、寒い所為で風邪もひき易くなる、暖房の温度を上げなきゃならんから電気代も嵩む等々、雪が降って良い事なんて何一つ無いのである(爆)ワタクシ的に理想的な冬は、ただ寒いだけで雪が降らない事なのである。サバゲーは寒くても何とかなるし、サーキットは寒い時が最もタイムを出すのに適してるから、やっぱ雪なんて要らないのである。


三連休初日は関東広域で雪 東京都心も道路に積雪の恐れ

 まぁワタクシはバリバリのインドア派なんで、三連休中に雪が降ろうが痛くも痒くもなかったりするのである(笑)インフル罹ってた時もそうだったのであるが、ゲームしまくってたお陰で療養生活が全く苦にならなかったのがワタクシ自身恐ろしく感じるのである(爆)だからその時、ワタクシは誓ったのである。今後の人生、ネトゲは絶対やらないぞ、と(核爆)多分箍が外れてしまったら、ワタクシは間違いなくネトゲ廃人になってしまうであろう。ならばネトゲには近づかない方が吉であり、ワタクシ自身を守る為でもあるのである。

*対案は既にあった
 よくネットやSNSなんかで、与党支持者側は「野党連中は反対するなら対案を出せ」っていうのに対して、野党支持者側からは「対案は必要無い」って言い返して、何時まで経っても平行線ってのは良くある話である。でも今の状態がダメだから新しい事をしようとしてるのに、何故「対案は要らない」になるのかが不思議だったのであるが、その答えが漸く分かったのである。なぜ対案が要らないのかって、対案が既にあるからである。ソレは「高度成長期~バブル期までのニッポン」である:

バブルの頃は良かった~ 1/2

バブルの頃は良かった~ 2/2
この頃は何ちゅーか、ニッポンが何もかにも上手く行ってた時なのである。ニッポン人が正しくニッポンらしいやり方をしていれば、世の中は”正しい”方向に向かい、暮らしは再び豊かになるかも知れない。そういう淡い期待をしてるニッポン人は少なくないんじゃないかと思うのである。

 だから対案は何かってのを厳密に言うと「昔のやり方や昔のメンタリティーに戻る事」なのである。巷で未だに「消費税ガー」「集団的自衛権ガー」「終身雇用ガー」って騒ぐ連中が多いのは、つまりそういう事である。今のボーダレスなグローバル時代にソレが合うかどうかなんて、連中は殆ど考えちゃいないのである。ただ単に「昔のニッポンはコレで上手くやっていたッ!だからこの方法に戻れば、また上手く行くようになるかも知れないッ!」って期待してるだけなのである。そしてソコを上手く利用してるのが野党連中であり、サヨク知識人連中なのであり、連中が最近使ってる「真の保守」ってヤツの正体がコレなのである。


インチキ保守・アベ政権をブッ壊せ!ー枝野幸男「立憲民主党」代表、定例会見 2018 03 01

 要するに「我々はあの頃のニッポンを目指します」って事を匂わせるだけで、今の時代の変化についてけないヤツや、自民はイヤだけど社民共産もイヤってヤツを取り込もうとしてるのである。なぜ明言しないかって、具体的に明言したら具体的に反論されてしまうからである。あの時代のニッポンはあの時代ならではの背景(ソ連がバリバリ現役だった、ネットがまだ無くて知識や情報がグローバル化してなかった等々)があったからであり、ソレを指摘されたら終わりだからである。あくまで仄めかす程度で、期待だけさせて、変化を望む国民感情の高まりを待つのである。

*好きだったのは時代
 ただこの「古き良き昔に戻ろう」って考え方、政治だけに限った話じゃないのである。スポーツもそう、音楽もそう、ゲームもそう、クルマもそう。とにかく昔を懐かしんで今のモンに対してゴチャゴチャ言うヤツが余りにも多いのである('A`)この前の新型スープラの時も「MTガー」「300諭吉台ガー」って90年代メンタリティーをそのまま引きずってるヤツが余りにも多くて、ワタクシ自身もビックリしてる次第である。あの当時のスポーツカーがMTを好んで用いてたのは、あの当時の技術とコストの兼ね合いでそうなっただけの話なのに、未だに「MTには運転の楽しさが詰まっている云々」って正当化するヤツが余りにも多いのである┐(´д`)┌

 ワタクシが思うに、そういう人達はMTがホントに好きなのではなく、あの時代が好きだったのである。若いヤツ等が皆クルマに夢中になって、MTテクニックを極め合って、チューニングやドレスアップを自慢して等々。そういう混沌とした大らかな時代が好きだったのである。今時のクルマがどんなに速くても、そのワイワイガヤガヤやる楽しさは得られないからである:

【名作バトル!】クルマファン必見〜楠みちはる先生最新作『首都高SPL』第2巻発売中。
楠みちはるの新作が正にソレなのである。湾岸ミッドナイトの頃はあんだけ極限のスピード云々言ってたのに、新作になって作風が「BNR34ガー、FD3Sガー、空冷ポルシェターボガー」に変わっちゃったのは、作者が愛してたのは純粋な速さではなく、あの時代のクルマやスピードに対する熱狂であり、そしてソレはノーマルでBNR34やら空冷ポルシェよりも遥かに速い今時のクルマじゃ手に入らないからである。でもワタクシはその時代を生きてないので、今後も構わず前に進みたいと思う今日この頃であった。

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