アスペルガー医師ロンの日常

医師でもあり、アスペルガー症候群当事者でもあり、更には911GT3&ロードスター乗りでもあるワタクシのささやか(?)な日常

序曲 

 今日はタイトルの由来からお話しようと思います。ワタクシが医師になったのが2001年4月、当時ワタクシは脳神経外科ではなく心臓血管外科の新人として東京の某大学病院に入局しました。外科(特に心臓とか重要な臓器のそれ)は「医者は3日3晩寝ずに患者を診てナンボ」の世界です。今ではそういった精神論、根性論的な要素は少なくなってきたものの、古い世代の先生方には未だこうした「外科系マッチョイズム」を信奉する人が少なくないのも事実です。

 特にワタクシが入局した医局はその道ではかなり名の知れた医局でした。仕事は文字通りハードで2日に1度は寝ずの番、緊急など入ろうものならそのまま3連直です。それがワタクシにとってのケチのつきはじめでした。元々、学生時代から「居眠りが多い」「変なところで寝る」と言われていましたが、当時は自分の気がたるんでいるだけと思い込み、「社会人になれば気が引き締まる」と思っていたら大間違いでした。

 当直中、少しでも楽な体勢になったらそのままグッスリ。大事なカンファでも余裕で寝てしまう、しかも5m前に座っているのは他ならぬ主任教授。ひどい時には手術中にもコックリコックリいってしまう始末。相対的な睡眠不足のせいで集中力は劇的に低下。まず普通の人ではやらかさないような凡ミスをこれでもかと言わんばかりに連発。さて、貴方が上司ならこのような部下に仕事を与えるでしょうか?与えませんよね、普通は。勿論ワタクシも例外ではありません。

 ワタクシも当時は「気合が入っていない」とばかりにあの手この手を試しました。頬をつねる自分の足で反対側の脛を蹴るなんてのはまだ良い方。仕舞には額が割れるほど頭を強く壁に打ち付ける、鋭利物で自分を切りつけるといった事までやりました。勿論これで解決などするはずもなく、かえって逆効果でした。上の人間はワタクシが完全に頭がおかしくなったものと思い二年前の忘れもしない2002年10月9日。出張先である愛媛の某県立病院の医局で、同じ大学病院殻の出張者であるS先生により”死刑宣告”を告げられました

「出て行け、もう二度と来るな」

 当時1年の予定だったワタクシの出張予定もいつの間にか前倒しされていました。早い話”追放”です。もう頭の中真っ白になりました、心の中には”絶望”の二文字以外何も残っていませんでした。唯一つ幸運だったのは、愛媛に引っ越した際に、一般財団法人創精会 松山記念病院の精神科に看護士として勤めていた人を知っていたことでした。ワタクシは藁をもすがる想いで正気を失う前に彼女に連絡しました、そして同病院を受診しました。そこでの検査の結果、同病院精神科科のN医師により次のような診断が下されました:

ナルコレプシー、およびそれに伴う抑鬱状態」

 パンドラの箱ではありませんが、ワタクシの心の底から新たに「希望」の2文字が現れました。これは病気だった→時間はかかるけど、治療すれば治る→もう一度やり直せる、と言った希望です。

だが、これは新たな希望であるのと同時に、これから始まる新たな苦悩の序曲でもありました。