アスペルガー医師ロンの日常

医師でもあり、アスペルガー症候群当事者でもあり、更には911GT3&ロードスター乗りでもあるワタクシのささやか(?)な日常

今年の抱負

 強いて言えば「一年を何事も無く過ごすこと」ですかねぇ。医者になってから今まで、過眠症に翻弄されてロクな年越しをした事が無いものですので、ハイ。2001年は過眠症だとは気付かれないまま「どうせお前がやる仕事なんてもう無いんだから」とダメ研修医の烙印を押されて終わり。2002年は出張病院からの追放及びナルコレプシーの診断、およびその他のゴタゴタで不本意な形で東京に戻って終わり。2003年はこれまた過眠症と診断されその事が主任教授の目に付き、すったもんだの末に12月半ばに退局を申し出て終わり。そして2004年は過眠症から来る肉体の易疲労感、それに伴う情緒不安定感の悪化から一時現場を離れる事となった状態で終わり。

 最初ナルコレプシーと診断された時から言われていたんですけどね、外科系は諦めたらどうだ、って。昨年(と言ってもほんの12時間前のことですが^_^;)脳神経外科の仕事を上記の理由で一時休職した時にもやっぱり言われました。お前は身体に障害を持っているんだ、夢があるのは分かるけど現実の事も考えろ、今は面白くなくても何時かは遣り甲斐も見つかる、お前はまだ若いんだから、エトセトラエトセトラ。

 そんなことは百も承知です。しかしですね、ワタクシにはそれは出来ないんですよ。それってつまり、この「居眠り病」とか言う別名を持つ最高にバカバカしい病気に対して敗北宣言をするようなものですから。ワタクシには、それだけはどうしても受け入れられないんですよ、たとえ不器用だとか世渡り下手とか何と言われようと。この世には安定した生活以上に大切なものがある、とワタクシは信じて止まないんですよねぇ。

 前にも言ったと思うんですが、もしもこの病気に対する根治術があって、それがたとえ死亡率20%、重い障害が残る確立はそれ以上だと言われても迷わず受けて、そして再び心臓血管外科としての道を歩もうとしたでしょう。それが不可能だったから脳神経外科に移った今の自分がいるわけです。極端な話、自分の病気も何とか出来ない人間が、他人の病気を診る事など出来ない。と、ワタクシは考えちゃうんですよねぇ。それだったら医者辞めてガンショップで働いた方がはるかにマシ、と。

 最初、医師免許を受け取った時、「自分は何の為に医者になったのかな〜〜〜」と考えたりもしました。大きい声で言える事ではないのですが、ワタクシ自身二世医師で、物心ついた時から何となく「自分は将来大きくなったら医者になるものだ」と考え、実際その通りの人生を歩んできましたから。でも今ははっきり言えます、自分はこの病気(睡眠障害)と闘うために医者になったのだ、と。

 とりあえず今年の初めは神経放射線科のローテーターとして始めることになりました3ヶ月、あるいは半年かここ(神経放射線科)で修行を積んでから脳神経外科にまた戻るつもりです。地下室篭り、ってところがちょっと昔を連想させますが、何とか頑張って今度こそ地上に上がれるようにしたいです。

今年も宜しくお願いしますm(_ _)m。それではまた。