アスペルガー医師ロンの日常

医師でもあり、アスペルガー症候群当事者でもあり、更には911GT3&ロードスター乗りでもあるワタクシのささやか(?)な日常

PUMP UP THE VALUUM

 ロンマニアの皆様、こんにちはm(_ _)m


ビートルズは、欲しいだけの金を儲け、好きなだけの名声を得て、何も無い事を知った」

By ジョン・レノン


 といった今日この頃、皆様はどうお過ごしでしょうか。


 いつも通りマイペースで話題に乗るのが遅いのだが、今回はひじょ〜〜〜に珍しく医学の話(笑)ES細胞研究の第一人者であった韓国ソウル大学黄禹錫教授の研究が、予想通りというか何というかインチキだったとの事である。実はワタクシ再生医学に携わったことがあるため、ES細胞についての基本的なノウハウはある程度知っている。初めて論文が出てきた時も、恐らく同じ研究をしている人達なら全員(゚Д゚)ハァ?!と思うはずである。


 クローニングを含め再生医学というものは動物が高等であればあるほど難しいのである。ワタクシが所属していた研究室ですらイヌが限界だった。その他の世界の研究所でも良くてブタまでである。だかこの事件はヒトである、ヒトのクローン胚からのES細胞である。コレがモノホンだったら、再生医学の歴史がいきなり100年はタイムスリップしてしまう程のものである。こりゃ「サイエンス」程の超メジャー誌の注目と同時に、世界中から疑問を持たれるのも当然といえば当然である。


 どれだけ凄いのかというと、クルマで言えば70リットルサイズのバッテリーで100時間動く段ボール箱大の300馬力・40.0kg-m動力モータが出来た、というぐらいのモンである。もうプリウスがあっという間に過去の遺物になるだけではなく(爆)リーンバーンエンジンとか水素ガスエンジンとかの省エネエンジンが一気にバカバカしくなってしまうのがお分かりであろうか。ヒトクローン胚のES細胞とは、もし現実ならそれほどのモンなのである。


 しかし常に世の中を斜めから見るワタクシは(斜)この事件の別の面を見てしまう。そこで思ったのは「あ〜、やっぱりこの人(黄教授)もやっぱり"アイドル"だったんだなぁ」と。"韓国のアインシュタイン"というアイドルを演じ続けて、その極限まで達して、遂に現実との乖離から起こる反作用で潰れてしまったんだなぁ、と。


 従兄弟が言っていたのだが、人間社会というものはテレビ番組みたいなものだという。ブラウン管に写るためには何らかの"役"を演じなければいけない。逆に言えば、その役を上手く演じられれば演じられるほどテレビに映る時間も長くなるし、上手くすれば主役になれるのである。俳優やアイドルなんかが正にそれである。


 俳優やアイドルは笑うシーンではその気がなくても笑わなければいけないし、悲しくなくても泣くシーンでは涙を流さなければならない。私生活なんかでも、どんなに2ちゃんねるウォッチが好きでも「趣味はテニス」ってすらっと言わなければいけないし、どんなに納豆とくさやが好きでも「好物はイタリア料理」と言わなければいけない(笑)。絶えず紳士淑女であり、ファンのためなら腱鞘炎になるまでサインを書いて、手がグローブみたいになるまで握手をする。


 視聴者は例えそれが偶像であり虚像であると意識的/無意識的に感じたとしても、それを敢て求める。何故なら、テレビの主役はテレビに映らない人々が求める"理想の人物像"の投影、アイドルというものは自分からなるものではなく、視聴者に望まれてなるものなのである。たとえ皆の目の届かない所で納豆とくさやを頬ばりながら2ちゃんねるウォッチをしていようと(爆)視聴者にとってはテニスとイタリア料理をこよなく愛する永遠のヒーロー/ヒロインなのである(核爆)


 で、その裏で当然出て来るのが役を演じられない"大根役者"である。「役を演じられない」というのはテレビではそれ自体が罪に近い物である。中には自然体が逆にウケる人もいるかも知れないが、大半が視聴に耐えられないモンである。"自然体"と聞こえは良いかも知れないが、逆に言えば視聴者にとっては見たくない人間の業を見せ付けられるようで不愉快に感じる。古人曰く「真実は重過ぎて誰も背負いたがらない」という。真実の姿を晒す=親近感が得られるわけでは必ずしも無いのである。


 で、"役"を演じられない人はどうすればいいのか、とその従兄弟に聞いたところ「画面から消えるしかない」そうである。つまりはADやカメラマンや照明さんや衣装係に徹する"縁の下の力持ち"になるというのが答えである。更にその従兄弟は「"縁の下の力持ち"と言っても、その力が凄い物だったら、縁の上にいる人間と同等か、それ以上の価値があるよ」と。


 女性のロンマニアの皆様には大変失礼な喩えではあるが、アメリカでは「たとえ売春婦に堕ちたとしても、世界一の売春婦になってやる」という言葉があるのは、競争社会で多文化国家であるアメリカという社会を物の見事に語っている言葉である思う。実際にアメリカだけでなく日本にだって"世界一の売春婦"はいっぱいいる。最大の問題は、「自分は売春婦である」という事を胸を張って堂々と言えるかという事が問題である。が、そこまで行くとまだ躊躇いがある大根役者な自分を思う今日この頃であった。