アスペルガー医師ロンの日常

医師でもあり、アスペルガー症候群当事者でもあり、更には911GT3&ロードスター乗りでもあるワタクシのささやか(?)な日常

ANGST

 ロンマニアの皆様、こんにちはm(_ _)m


「不幸に対する特効薬はありません。ただ昔から退屈な忍耐とか、あきらめといった美徳があるのみです」

By アルドゥス・ハックリー


 といった今日この頃、皆様はどうお過ごしでしょうか。


 この仕事をやっているうちに常々思うことは「相手の気持ちになって考える」という事が如何に大事かという事である。はい( ・◇・)?「そんなの当たり前じゃねーか」と仰いましたでしょうか。ところがどっこい、恥ずかしながら現実はそうじゃない事が多いんです、ハイ(苦笑)これはその人の問題もあるのだが、医師になるための道がこれまた世間離れしているのである。


 ワタクシもそうなのですが、ドクターっていう生き物は受験勉強のし過ぎで脳ミソがドロドロになっている上、進学校→医学部→病院と同類の生き物と閉鎖的な環境でしか接しないモンですから、イッちゃっている人も少なからずいたりするのです、ハイ。おかげで"師匠"からも「お前には人の心が分かるドクターになって欲しい」といわれる始末である。


 これはマイミクのT氏からも言われたことなのだが「自分がその事に全く賛同出来ないとしても、その事については理解しなければならない」と言うものである。たとえばワタクシは「俺は○×峠最速の男だ」なんて言う奴とは友達どころか近づきたくも無い。ルールを守っていない奴なのだから当然である。が、ワタクシは峠を攻める楽しさは自分もそれに近いことをやったことがあるから解るつもりである。この「賛同しないけど解る」がやはり不特定多数の人間と仕事をするにあたって重要なのである。


 別の例を挙げると、独断と偏見であるがワタクシはミニバンが嫌いである。アレはハッキリ言って邪魔である。駐車上に停める時も、ミニバンが両側にあると切り返しが大変で仕方が無い。前を走られると視界が狭くなるし、坂道停止でもATしか知らないせいかこちらのピッタリ真後ろに止めてくる。高速道路でやたら煽ったり、マナーの悪い走り方をするのも大抵ミニバン乗りである。しかも殆どの場合あんなデカいクルマなのに一人で乗っている場合が殆どであり、狭い日本を更に狭くしているとしか思えないのである(笑)


 が、そんなミニバンでも、それに乗っている人の気持ちは解るつもりである。3ナンバーの割に室内は広くて大量の荷物や人を乗せられるし、燃費も良くて税金の優遇も受けられる。その上最近のミニバンはスポーツカー並みの馬力を持っているものが多いから速く走らせても楽しめる。それに値段も100万台ぐらいでオプション満載。ワタクシみたいにクルマに特別な感情を抱いてなければ、これほど使い勝手の良い車種は無いのである。


 が、そんなワタクシでも理解出来ないクルマがある。VIPカーである。ベースの高級セダンが持つラクジュアリー感を、バカでかいホイールとシャコタン、それに五月蝿いだけで何の効果も無い砲弾型マフラーでブチ壊しにして、いったい何がカッコいいのかがサッパリ解らないのである。多分ラップカルチャーの影響であろうと思うが、乗っているヒップホップの兄ちゃん達はその文化の由来を果たして知っているのであろうか。


 VIPカーの由来はヒップホップ創世記に成功したラッパー達(主に黒人)が不動産を買えなかった事に由来しているのである。あの時代はまだ黒人への偏見が強かったことや、つい最近までスラムに住んでいたような人間を受け入れたくないという事もあって、不動産を買おうとしても周囲の白人住民がカネを出し合って先に買い占めて黒人を締め出していたのである。


 で、カネがあっても不動産が買えない場合はどうするかと言えば、動産を買うのである。それがキャディラックリンカーンに代表される最高級セダンであったり、指輪やネックレスなどの貴金属だったりするのである。彼らは家を買えない代わりにそのクルマを家代わりにして、応接間のように内装を改造したりしているのである。そんでもって大抵このタイプの最高級セダンは速く走れるようには出来ていないから、ホイールをインチアップして、車高を下げて、排気を上げるためにマフラーを太くしたのである。
(注:ワタクシも正確に調べ尽くしたワケではないので、間違ってたらスンマセン)


 本場アメリカですら白人がラップをやったりすると「あいつら(白人)にヒップホップが解ってたまるか」なんて言う人がいるぐらいであるから、果たしてアメリカより海の向こう、人種概念の薄い飽食日本でヒップホップカルチャーの真髄を理解できる人が果たしてどれだけいるのであろうか、というのがワタクシのVIPカーに対する疑問の根幹である。と、今日もまた要らん事をエセ人類文化学的に語ってしまった今日この頃であった。