アスペルガー医師ロンの日常

医師でもあり、アスペルガー症候群当事者でもあり、更には911GT3&ロードスター乗りでもあるワタクシのささやか(?)な日常

MERCENARY

 ロンマニアの皆様、こんにちはm(_ _)m


「私はコンセンサスというものはさほど重要なものであるとは思いません。あれは時間の浪費の原因のようなものですから」

By マーガレット・ヒルダ・サッチャー


 といった今日この頃、皆様はどうお過ごしでしょうか。


 テレビをつけても亀田、ヤフー見ても亀田、みんカラ見ても亀田、ミクシィ見ても亀田。朝のスポーツ新聞は勿論の事、一般紙まで亀田。今日ほど何処へ行っても「亀田」の名前を目にしない日は無いであろう。かく言うワタクシも生中継を不覚にも見てしまったミーハーなヒマ人だったのであるが(笑)んでもって、予想通りバッシングと擁護の水掛け論が新聞で、テレビで、ネットで始まっていた。はい( ・◇・)?「じゃあ、お前さんの意見は何だ?」と仰いましたでしょうか。ワタクシの意見は「良いんじゃないの、勝ったんだし」である。


 そう、プロは勝ってナンボ、結果を残してナンボである。その他全ての価値観は"勝利"の二文字の後から付いてくるモンである。たとえ試合内容がどうであれ、公式の試合で公式のジャッジに勝利の判定を下された者が勝者であり全てなのである。勝者は全てを手にして、敗者には何も残らない。これがプロスポーツってヤツである。ハッキリ言って負けることが良いとされているのはハルウララミスター珍ぐらいなモンである(笑)勝たなければ誰もその言葉やパフォーマンスに注目してくれないのである。でもって、例の長男坊は勝利し、例のベネズエラ人は敗北した。ただそれだけであり、それ以外の何でもない。


 それはスポーツだけじゃなくどんな分野にも言える事であるとワタクシは考える。さて、ロンマニアの皆様に質問です。医者にかかるとしたら「末期ガンすら3日で治す人格破綻者」と「風邪すらマトモに治せない聖人君子」のどちらを選ぶでしょうか。ワタクシだったら間違い無く前者を選びます。医者は病気を治せてナンボ、ヤブ医者がどれほど人格的に優れていようと患者は集まって来ないのと一緒である。勿論「末期ガンを3日で治す聖人君子」がイチバンなのは言うまでも無いが、「能力」と「人格」、どっちを優先させるかと言ったら間違い無く前者が優先されるであろう。「失敗して死んでも良いから、この仏様のような先生の手術を受けたい」なんて言う人が居たら教えて欲しいモンである。


 ましてや億単位のビッグマネーが動くプロスポーツ界において、品性だとか純潔さを求める方が野暮なのである。人間、カネが絡むと多かれ少なかれロクな事をしない。一般人が一生かかっても稼げないだけのカネを頭上から浴びせられれば、そりゃ勝ちに行くに決まっている。無論、ワタクシだってそうする(笑)だからステロイド使ってホームラン世界記録を叩き出すヤツが居たり、ワールドカップ勝戦で相手国のエースに蔑視用語を浴びせるヤツが居たり、ラリーで「【コレ】は市販車に純正で付いているパーツですので、FIAのレギュレーションには違反してませんよ〜」って言って本来1枚しか付けられないはずのリアウィングを2枚付けた自動車メーカーが居るのである(爆)


 日本はそこんトコがまだ甘いような気がワタクシにはするのである。「"矛を止める"と書いて"武"」といった武士道の伝統が残っているせいか、"勝利"に対する貪欲さが外国選手と比べると少ない気がするのである。勿論、ワタクシは「ドーピングしろ」と言っているワケではなく、「そこまでやるか!」ってなぐらい凶暴で、そのためには反則スレスレ(時に反則)な事をやってくる連中に対して武士道云々を説いても無意味だという事である。上記にもあるように、いくら人格的に素晴らしくても、勝たなければダメなのである。勝って語らなければ、武士道がどんなに素晴らしくとも(世界の)人々の心には届かない、という事である。


 「いくら何でもそこまで言う必要は無いのでは」という方もいらっしゃると思いますが、残念な事にワタクシにはそう思えないのである。ワタクシは教育パパ&教育ママの下で生まれ育った、いわゆる「お受験キッズ」だったのである。そんな両親にとっての関心事は「子供が良い成績を出して医学部に入学して医者になる」、後にも先にもコレだけである。「テストは赤点だったけど、一生懸命勉強したんだよ」なんて言うのは戯言以外の何でもない。勉強している事を証明する方法はただ1つ「テストで良い点を取る」だけである。10時間勉強しても10点しか取れない子供はバカ、1時間しか勉強して無くても100点取れる子供は利口。「あぁ、世の中結果を出さないと誰も評価してくれないんだな」と子供心ながらも感じたモンである。


 思いっきり回りくどい話になってしまったが、つまり何が言いたいのかと言うと、スポーツ界(特にプロ)も所詮は人間社会の縮図にしか過ぎないのだから「せめてスポーツだけは公正であれ」なんて論理は通用しない、という事である。ホントに公平なスポーツ界を望むんだったら完全アマチュア化して、そこに利権だとか欲望だとかが絡まないようにするしかないのである。とは言っても、そんな事をしたら「食えない」って理由で誰もやりたがらないモンである。「人はパンのみに生きるに非ず」というのは聖書の有名な一節であるが、人はパンが無きゃ生きられないのもまた事実だと思う今日この頃であった。