アスペルガー医師ロンの日常

医師でもあり、アスペルガー症候群当事者でもあり、更には911GT3&ロードスター乗りでもあるワタクシのささやか(?)な日常

IRON FIST

 ロンマニアの皆様、こんにちはm(_ _)m


「他人の自由を否定する者は、自ら自由を受けるに値しない」

By エイブラハム・リンカーン


 といった今日この頃、皆様はどうお過ごしでしょうか。


 時代の流れというモンは、何時もながら早いモンである。若いロンマニアの皆様の中で、ベータマックスという記憶媒体を御存知の方が果たして何人居ることであろうか(笑)実は我が家はVHS派じゃなくて何とベータ派だったのである。思えばあの頃からマイノリティー路線まっしぐらであった(爆)んで、記憶媒体は何時の間にか何世代も交代していて、今じゃBlu-rayやらHD-DVDやらに取って代わられようとしているのである。小さい頃ビデオが壊れた時に、デッキを開けて絡まったリボンと格闘していた頃をありありと思い出す(核爆)ビデオテープもそうであるが、これまたニッチな記憶媒体であるLDという形で実家に貯まっている数々の「思い出の作品」は果たしてどうしたものやら(原爆)


 話を強引に変えて(笑)こーゆー事を書くとブーイング必至なのは重々承知の上なのであるが、最近「オフ会」っていう類のイベントがあまり面白く感じないのである。最初は「同じ趣味を持った仲間と出会えて話をする」という事が実に楽しかったのである。理由は簡単、周りに趣味を同じくする人がいないからである。曰く、アニメの話をすると皆ドン引きする。曰く、愛車のスポーツカーで出勤すると走り屋呼ばわりされる。曰く、話下手で周りに上手く溶け込めないから「趣味」というキッカケが欲しかった、等等である。よーするにネット社会が普及した今では、コミケとかショップで勇気を絞って全くの赤の他人に「友達になってください」っていう負担が軽くなるからだとワタクシは考える。ワタクシなんかもそうであるが、皆その一言を切り出すのが非常に困難なのである。


 それがバーチャルだと簡単に出来る。理由は「顔や素性が解らない分気軽に話せて、尚且つ断られてもダメージが小さいから」ではないかとワタクシは考える。ライヴだと名前も顔も簡単に覚えられる上にそれらを変える事が出来ないが、バーチャルだとそれが簡単に出来る。よっぽどの相手じゃない限りはIPアドレスだけで素性が割れるなんて事は無いから、メルアドと本名と本拠地さえ言わなければ個人を特定されない。だから皆大胆になって、言いたい放題言えるのであろう。実際、バーチャル由来のオフ会なんかではライヴで会う時もHN以外の個人情報を晒さない人もいたりする。もう1つの利点は「失敗したらリセット出来る」事であろう。バーチャルで総スカン喰らっても、HNとメルアドを変えて別のサイトを探せば良いだけの話である。


 話が逸れてしまったので元に戻そう。何がオフ会を面白くなくさせるか、と問われればその点でほぼ説明出来るだろうと思う。1つ目は「特定のコミュニティーで集まった人達は、大概その話しかしない」という事であろうか。最初の内はソレで良いかも知れないが、その内慣れてきて自分で色々解る様になってくると次第に物足りなくなって、頭の回るヤツなら「自分でやったほうが早い」って事に気付くはずである。趣味を含めどんな分野でもそうであるが、切磋琢磨という類の行動は大概1人でやるモンであり、同じような志を持った人とは否応無く同じ場所で会う事になるから、その時に話をして互いに自分1人では困難な点について論議すれば良いだけである。よーするに「趣味が同じ」という理由だけで、ただ集まってワイワイやるのには飽きてきた、という事である。何故飽きてくるのかと言うと、この後説明しよう。


 2つ目の理由としては「名前や素性を晒さない」事であろう。コレがバーチャル由来の付き合いの最大の利点であり、尚且つ最大の欠点だと思うのである。ロンマニアの皆様にお尋ねするが、皆様は本名も何処に住んでいるかも知らない相手に「100万円貸してくれ」って言われたら貸すであろうか。言うまでも無く貸さないであろう。得体の知れない相手に自分を曝け出す事はマトモな人間だったらしないであろうし、相手だってこちらが何も曝け出さなかったら同じ事を考えるであろう。つまり、これがバーチャルの限界なのである。どんなに電脳世界内で毎日のように親しく会話しあっても、例えるなら戦場で互いに背中を預け合うような仲には決してなれないのである。つまり「同じ趣味の仲間」の枠組みを超えて、お互いを「個人」として認め合い先に踏み込みたいのならば、素性を隠したままでは限界があるという事である。


 というワケで、ワタクシがオフ会に消極的になってしまった理由を総括すると「ワタクシが欲しいのは間違った道を歩もうとした時に顔を思いっきりブン殴ってでも止めてくれる"友達"であり、どーでも良い世間話でストレスを発散して傷を舐めあうだけの"ホモだち"ではない」という事である。結局、そのためにはライヴで互いの瞳の奥を覗き込む事でしか成立しないのである。顔も名前もメルアドも住所も電話番号も、更に言えば心の中まで曝け出す勇気が無けりゃホントの意味での"友達"を作る事は出来ない。最近、そう思うようになってきたのである。もっと言えば色んな意味で刺激してくれる1人の"友達"の方が、一時的な慰めしかもたらさない100人の"ホモだち"よりも遥かに良い、とも思うようになってきてる。


 念のため言っておくが、ワタクシは決して「オフ会は無用の産物だ」って言っているワケではない。ライヴでの言葉の積み重ねのキッカケとしての場所と機会としては、ワタクシはオフ会の意義を認めるつもりである。が、そのままそれ以降もワイワイガヤガヤやるだけのために集まるのは如何なものか、という疑問を投げかけただけである。が、実はコレには大きな問題が1つある。そういう偉そうな事を言っているワタクシ自身が「コレで沢山の"友達"が出来たか」と問われたら「ノー」としか言えない点である(笑)同性の"友達"もそうであるが、それ以上に異性の"友達"をこの上なく大いにキボンヌな今日この頃であった。