アスペルガー医師ロンの日常

医師でもあり、アスペルガー症候群当事者でもあり、更には911GT3&ロードスター乗りでもあるワタクシのささやか(?)な日常

REACH

 ロンマニアの皆様、こんにちはm(_ _)m


「子供が何かをやりたいと言ったら、とにかくやらせてみる。絶対反対しないのです。親が反対したら、その子は親の人生を生きることになる。その途端、責任は親に来ますよ。やらせてみれば責任は子供のものになる。子供自身が責任を持つことを理解しているならやらせればいい。日本人の最大の問題は、責任感が全然無いことだ」

By 大前研一


 といった今日この頃、皆様はどうお過ごしでしょうか。


 走行会まであと2週間である。サーキット走行は初めてでないのと、もう既に2回ほど走っているコースなので緊張感とか不安感は殆ど無く、むしろ"師匠"の教えを実践してみたり、ショップの人に走りを見てもらうなりプロドライバーに"トリックマスター"を乗って頂くなり(出来れば、の話ではあるが^_^;)して今までワタクシには観えなかった部分を見てもらったり、車種問わず同じショップの常連さんと仲良くなるキッカケが出来る事を期待したりだとか、とにかく試してみたい事が無数にあって楽しみなのではあるが、いかんぜん緊張グセが抜けないのが困る(;^_^A)緊張する事なんか何も無い事は重々承知の上にも関わらず、である。


 今考えると、ワタクシはこの悪癖で結構(てゆーか、思いっきり/苦笑)損をしているのではないかと思うのであるが、まぁ宜しくやっていくっきゃない。物心付いた頃から今まで人間関係についてロクにチャレンジ&エラーやってなかったのであり、ライヴで生きていこうと思うんだったら何時かはそのツケを払わなきゃいけないワケであって、今がその時・・・・・と、分かっちゃぁいるのだが、いざライヴに挑むとなると上手くいかんのである。何せ"超"が付くほどの高回転型脳ミソであるモンだから、脳ミソのrpmがパワーバンドまで中々乗らなくてトークやギャグが冴えない。その上要らんトコでナードが発病して痛恨のシフトミス→ただでさえ上がりにくい脳ミソrpmが更に落ちて、立て直すため必死にアクセル煽る間に話題に乗り遅れる。これまたクルマ同様「死ぬ気で踏め」がセオリーなのだが、中々踏ん切りがつかんのである。


 とまぁ、個人的な話はコレぐらいにしておくとしよう(笑)クルマを弄るっていうのはホントに難しいモンである。まぁ、今まで散々弄りまくったワタクシが言っても説得力無いのは重々承知の上なのだが(爆)ワタクシが思うに、ココが「ギーク系走り屋」と「ナード系走り屋」だと思うのである。前者は"断固とした自分"がある(でも敢えて自己主張はしない場合が多い)から、あくまでも自己流をベースにしながら他人やショップや資料を程好く柔軟に取り入れる事が出来るから、結果"ホントに自分の走りに合ったクルマ"をカスタマイズできる。後者は"断固とした自分"が無い(そのくせ自己主張がやたら激しいヤツが多い)から、ショップやカタログスペックや他人の言葉に流れやすく、結果"クルマに乗っている"のではなく"クルマに乗せられている"のだと思うようになってきたのである。


 はい( ・◇・)?ワタクシで御座いましょうか?ココは1つ「ギーク系走り屋になるために努力しているナード系走り屋」で手打ちを願えないモンでしょうか(笑)あっという間に限界にブチ当たるカートとは違って、実車の場合限界までブチ当たるまでが大変なので(厳密に言うと、大変にしてしまった/爆)分からない事が多過ぎるのである。例えばリアデフ用LSD1つとっても「どれぐらいのイニシャルトルクで組めば良いのか、純正か社外製か、1.5wayか2wayか」だけで星の数ほど選択肢があって、しかも正確な答えが無いに等しい。結局の所、ある程度のライヴな情報を参考に、チャレンジ&エラーを繰り返すしか方法が無いのである。


 LSDでさえコレなのだから、よくもまぁ恐れ多くもECUに手を出してしまったモンである(笑)今まで無事でいられてアーメンハレルヤピーナッツバターである(爆)んで、思いっきり関係ないのであるが、試しに某コミュニティー掲示板で「ECU」と検索かけてみると:

ECUについて「何処が良いか」と質問するトピ主

初っ端から長文で自分の知識押し付けるナード君登場

しかも一ヶ所だけでなく、複数のECU関連トピに同じ内容のカキコをしていたりする

それ以外にもナード君複数発見

そもそも「人の意見を聞く」という発想自体が無いナード君同士言い争う

言わなきゃいいのに、叱咤するコメント入れて燃料投下するヤツ出現

燃料投下されて益々燃え盛るナード君達

荒れたトピの残骸

orz

やっぱりチューニングはライヴに始まり、ライヴで追求され、ライヴに帰結してナンボだという事を改めて自覚し、自省の念に駆られる今日この頃であった。