ロンマニアの皆様、こんにちはm(_ _)m
「僕の辞書には"不可能"って言葉はある。でも"挑戦しない"って言葉は無いんだよ」
By マイケル・ジョーダン
といった今日この頃、皆様はどうお過ごしでしょうか。
数学の話をすると大概の人は引くので(笑)フェルマーの大定理ほどではないにしろ、何時もワタクシが不思議に思っているのは「クルマ好き+大金=フェラーリ」の数式である(爆)半世紀以上前から良い意味&悪い意味でも、自己表現のツールとしてフェラーリが用いられていたのはもはや説明不用であろう。自分の財産をアピールするのに、コレ以上分かり易い道具は無いからである。が、カネが無いヤツでもフェラーリに憧れるヤツや、カネがあって虚栄心が無くてもフェラーリを買うヤツはソレ以上に居る。コレでカネがあってクルマ好きなら尚更である(爆)もし宝くじで3億円当たったら、ワタクシは間違い無く小さくてもガレージ付きの家を建てて、本来"萌え"を感じないフェラーリを片隅に1台置く事を誓っても良いぐらいである(核爆)
無論、ネットどころかテレビすらロクに普及していなかった半世紀前とは違って、今の時代に「フェラーリ公道最速伝説」を信じてるヤツは、ある意味超能力やUFOを信じているヤツと良い勝負であろうとワタクシは思う(笑)もしもワタクシがフェラーリの大株主になったら、間違い無く人減らして最新鋭のCNC製造機械を入れるか、手作りにこだわるんだったら製作拠点をイタリアのモデナ県マラネロから日本の東京都大田区に移すであろう(爆)フェラーリよりも速いクルマが欲しいんだったら、状態の良い中古のGT−RなりRX−7なりスープラを買って、有名ドコのショップオーナーの頬を札束で叩いてやれば、フェラーリの半額で手に入るからである(核爆&殆ど実話)ソレに対抗するんだったら、ソレを上回る付加価値が必要であり、残念ながら日本車やドイツ車と比較すれば分かるように、イタリアンクォリティーじゃ国際競争力に欠けるっちゅー話である(原爆)
が、実際は言うまでも無く「フェラーリ>>>越えられない壁>>>チューンドカー」がデファクトスタンダードである。その謎が、コレ作っているうちに朧げながらだが何となく分かってきたのである:
タミヤ 1/24 スポーツカーシリーズ No.302 エンツォ フェラーリ レッドバージョン プラモデル 24302
- 出版社/メーカー: タミヤ(TAMIYA)
- 発売日: 2007/03/30
- メディア: おもちゃ&ホビー
- 購入: 2人 クリック: 36回
- この商品を含むブログ (6件) を見る
良く言われるのが「量産モデルのクォリティーはアレだけど、エンツォやF40やF50といった限定モデルはガチ」という言葉であるが、コレ組み立てるとすんごい良く分かるのである(^_^;)何時も通り作りが精巧で、実車さながらにエンジンと駆動系から組み立てるから、余計ソレが際立つのである。創始者エンツォ・フェラーリ曰く「レーシングカーとは強力なエンジンに4つの車輪を付けたもの」らしいが、ソレが何を意味するかはクルマに通じているロンマニアの方なら実体験で御存知かと思う。
よーするに「クルマの速さは最終的にはエンジンパワーとタイヤを含めた足回りで決まる」っちゅー事である。そのためにはエンジンはデカくて強力なヤツを重量バランス的に良い位置に置くに限るし、アライメントの変化&バネ下重量を考えればサスペンションは前後ともアームが可能な限り長いプッシュロッド式のダブルウィッシュボーン式にするのが良いワケである。無論、車高(重心位置)は低ければ低いほど良いし、Cd値(空気抵抗係数)を減らすためには前面投影面積を小さくする(コクピットを低く狭くする)に限る。巷で言う「軽量化に勝るチューニング無し」の言葉通り、たとえ高くついてもアルミニウムかドライカーボンでシャシーやボディーを作った方が良いワケであり、ソレを実際やっているのがF1マシン(F1マシンはCd値高いけど^_^;)を始めとしたレーシングマシン各種なのである。
想像するまでも無いが、市販車でソレやったらヒト以外何も乗せられん上に使い勝手は最悪のモンとなるし、たとえ現役F1レーサーであろうとも、F1マシンでドライブしたり買い物行きたいとは思わんはずであり(笑)故にスポーツカーやスーパーカー作っている各社はあの手この手を尽くして「スポーツ走行性能を落とさずに、且つ快適性を大幅にアップさせる」事に苦心しているワケである。以前"師匠"が"最近のクルマはメタボ入っていて好きになれない"と仰られていたが(爆)ワタクシが思うに快適性や使いやすさ、ソレに最近ブームのエコロジーという名の「内臓脂肪」を摂ったが故に、スポーツカーやスーパーカーのメタボ化が進んだのではと思うのである(^_^;)
で、ソコんトコを一切妥協しないのが上記フェラーリの限定モデルであり、エンジンと足回りを最大限活かすための設計&道交法に対応させるためのデチューン云々は先日の【フェラーリF40】ネタで述べた通りであるが、この【エンツォ・フェラーリ】はソレに輪っかかけてシャレになっていなかったりする(笑)写真だと分かりにくいが、現在のF1テクノロジーの主流である「空力」の要素が「市販車でソコまでやるか、フツー( ̄Д ̄;)」ってぐらい車体の前後左右上下+シャシー内部といった7面に現れているのである。この「7方向の視点でクルマを見れる」ってのが、プラモデルの面白さのキモの一つだとワタクシは思うのである。無論、空力の面も含めて妥協するのはドライバーの方であり(爆)隣にR35やF40の同スケールのソレを並べるとひじょ〜〜に良く分かるのである。R35でも十分乗り降りしにくいのに、F40以上に【エンツォ・フェラーリ】はえげつないほどコクピットも出入口も狭いのである(核爆)
無論、どんなリアルな模型でも実物には敵わないのは百も承知だが、生憎ワタクシには実車を買うために8000諭吉をポンと出せるほどサイフの余裕は無い(笑)が、実用性殆どゼロ&信頼性は「?」&約8000諭吉というベラボーな値段にも関わらず399台があっちゅー間に完売したのは、今更だがワタクシが思うに、コレは「商品」ではなくて「芸術品」なのであるからだ、と。1個ン十諭吉するような陶芸家の茶碗は無数にあるが、ソレをメシを食うヤツがいないのと一緒である(爆)フェラーリだけでなく、ランボルギーニやマセラティといったイタリア車もそうであるが「メーカー」を「芸術家」と、「オーナー」を「パトロン」と言い換えれば、ある意味クルマとして考えると「???」だが、全て納得いってしまったりする(核爆)
で、コレまたワタクシの独断と偏見であるが、以前からワタクシは「日米と欧州のクルマ文化のソレには壁がある」と言ってきたが、この点においてもそうなんじゃないかと思うのである。何ちゅーか【コルベットZ06】や【R35GT−R】なんかがそうであるが、欧州のソレが「クルマの"美"を徹底追求したシロモノ→茶碗の話であるように基本"実用"は度外視」なのに対して、コルベットやR35は「道具としてのクルマの最延長線→根本に"日常においての実用"がある」のではと思うのである。値段を始め各種費用は高くつくが、ある意味性能相応のソレであり、プライスタグを見ない&乗り降りしにくい事を除けば(笑)あとはフツーのクルマと同じように使えるのである。
コレまた以前"師匠"が仰っていた話であるが、曰く「俺がコルベットを好む理由の一つが"ジーパンで乗れる"っていう所」という事である。ワタクシが思うに、ソコにはコルベットの「根底にある日常性」ゆえなのではと思うのである。フェラーリやランボルギーニをジーパンで乗ったら似合わないのは"非日常"のツールの中に、ソレとは水と油の関係である"日常"を持ち込むアンビバレントさ故だと思うのである。ブランド物のスーツに身を固めてカローラに乗るとメチャクチャ違和感があるのも(爆)コレまたさっきとは反対のパターンの「"日常"と"非日常"のアンビバレント」で説明付くワケである(爆)まぁ、ソレ言ったらワタクシがやっている事全てがアンビバレントになってしまうので、とっとと撤収するに限る今日この頃であった。