アスペルガー医師ロンの日常

医師でもあり、アスペルガー症候群当事者でもあり、更には911GT3&ロードスター乗りでもあるワタクシのささやか(?)な日常

THE GLORIOUS BURDEN

 ロンマニアの皆様、こんにちはm(_ _)m


「自分の知識をひけらかしてばかりいたら、成長にとって必要な自らの無知を自覚することなど、どうしてできるだろうか」

By ヘンリー・デイヴィッド・ソロー


 といった今日この頃、皆様はどうお過ごしでしょうか。


*真のプロフェッショナルとは

 その絶対数こそ少ないが、今までワタクシは様々な分野で「モノホンのプロフェッショナル」と呼んでも差し支えない人に何人か出会ってきて、その人達から受けた影響も数知れないのである。そういう人達には共通の特徴が3つほどあるのである。1つ、質量共に圧倒的な知識を持っていること。2つ、ソレらの知識にはムダが一切なく、全てが実践のために有用な「生きた知識」だということ。3つ、その「生きた知識」を誰にも教えていないということである。何ちゅーか、コレらの「生きた知識」に比べれば、ワタクシが掻き集めたオタク的知識なんていうのは、いわば砂金を取るときにザルから零れ落ちた砂みたいなモンである(笑)あの人達が凄いのは、その「砂金」を大量に持ってるからである。


 知識と実践ってのは、いわば食材と料理人との関係みたいなモンである。良い食材を山ほど集めたって調理しなきゃ意味が無いし、かと言ってどんなに優れた料理人でも材料がなけりゃ美味いモンは作れない。料理の腕を上げていけば、今まで何気なく使っていた食材の新たな側面を見出せる→食材はそのままでも、バリエーションや味は幾らでも広がるモンなのである。ワタクシがココ数年クルマのチューニングを最低限に留めてるのもそのためである。今の愛車が”最上級の食材”なのもそうであるが、ソレ以外でもそうしていたであろう。まずは”料理人”としての腕前を上げなければ、ロンマニアの皆様に召し上がっていただく最高の”料理”は作れないからである(笑)


 ココまで書けば、何故その「生きた知識」は誰にも教えないのかがお分かり頂けたと思う。アレは「教えない」のではなく「教えたくても教えることは不可能」だからである。料理なんかでもそうであるが、味加減だとか火の通し方だとかいうのは同じ材料でもTPOによって全然変わる→ソレを見極めるための微細な感覚ってのは、自分で実際にトライアル&エラーを重ねて身に付けていくしか方法がないのである。だからどの様な分野であれ無闇矢鱈に知識やノウハウを教えたがるヤツってのは、200%間違いなくニセモノなのである。なにせソイツ自身が事の本質を全然分かっていないのであるから。


*ソレでも勉強は大事

 とは言え、ワタクシも勉強する事を止めたワケではない。単に方向性が変わっただけである。新しい知識を身に付けるためではなく、今までも知っていた知識から新しいモンを引き出す、いわば”再発見”のためである:

最近はクルマ本を読む量も減ったモンである。毎月購読してるコレと、あと2〜3冊程度。特にコレは質の高いネタが多いので重宝しているのである。再発見した知識を実践に応用し、使えないモンは切り捨て&使えるモンは更に掘り下げて、その掘り下げた知識を再度実践応用する。学校の勉強が何故苦痛なのかと言えば、ソレを実益としてフィードバックできないからである。ソレさえできれば、勉強って実は面白いモンなのである。

灼眼のシャナ〈22〉 (電撃文庫)

灼眼のシャナ〈22〉 (電撃文庫)

でもソレばっかやってると肩が凝るので、時にはこうした息抜きは必要である(笑)気が付いたら「灼眼のシャナ」シリーズも本編はコレで最終巻、長年のファンとしては寂しい限りである(´・ω・`)でも最終巻らしく、作者の気合が伺えるのである。久しぶりに熱い展開のオンパレードで、気が付いたら400ページがあっちゅー間に終わってしまったのである。あとはもう1冊番外編を挟んでこのシリーズは完全終了なのであるが、早くも楽しみなのである。


*生きた知識と死んだオタク

 昔は何故オタクと呼ばれる人々が注目を集めたのかというと、昔はネットもケータイもなかったからである。だからマニアックな知識を求めるためには、自分の手と足と口を使うしかなかったのである。色んな店や場所を自分の足で駆けずり回って、欲しいモンがあったら自分の言葉で交渉して、売ってないモンは自分の手で作るしか方法が無かったのである。動機は何であれ、その行動力には一見の価値がある。だからオタクに注目したのである。そういうアクティブな人ってのは、オタクであろうがなかろうが、大概は魅力的な人間である場合が多い。新興宗教の教祖なんかもソレである(笑)


 今のオタクが忌み嫌われているのは、今はネットもケータイもあるからである。レア物もヤフオクで容易に見つかるし、痛車はカッティングシート作ってくれる業者も簡単に見つかるし、仲間もミクシィとかで簡単に見つかる。昔はあった多少の行動力すらも必要ないのである。つまり、その気になればフツーの人だって同じことが出来る→ただ単に人よりも多く知識を持ってるだけ&人よりも多くカネを積んでるだけのオタクには何の価値も無くなってしまってるからなのである。ホントに価値があるのは、自らが行動して身に付けた自らの”生きた知識”であるということ。ソレを踏まえて今後も精進したいと思う今日この頃であった。