アスペルガー医師ロンの日常

医師でもあり、アスペルガー症候群当事者でもあり、更には911GT3&ロードスター乗りでもあるワタクシのささやか(?)な日常

9TH EMPYREAN

 ロンマニアの皆様、こんにちはm(_ _)m


「愚か者の脳味噌は哲学を愚行へ、科学を俗説へ、芸術を衒学へと要約してしまう。ゆえに大学教育がある」

By ジョージ・バーナード・ショー


 といった今日この頃、皆様はどうお過ごしでしょうか。


*名前と教養レベルの因果関係

 幸いワタクシの周囲にはそういうのはいないのであるが、世間には【子供にマンガキャラ由来のDQNネームをつける親その1】や【その2】がいるそうである┐( -"-)┌百歩譲って、著名人だとか愛読書から子供の名前を取るのは別に良いとワタクシは思う。マイケル、ジョン、ピーター、ジェイコブ、マリア等等、欧米じゃ石投げたら当たるような名前は全部聖書由来だし。製菓会社のロッテの由来がゲーテの「若きウェルテルの悩み」に登場したヒロインのシャルロッテから取られているのは知る人ぞ知る話だし、ぶっちゃけた話、欧米によくある「ジュニア」ってのも「自分が一番大好きなのは自分」という気持ちの表れである。


 問題はその名前の元ネタである。その名前をつけるって事は、ソレ即ち「自分が知りうる最高クラスの名前がソレ」って言う意味である。つまりマンガやアニメキャラの名前つけるヤツってのは、マンガとアニメ以上の作品を嗜んでいない→その名前つけられて子供が迷惑するのもそうであるが、ソレ以上に世間に対して「この子の親は教養レベルが低い」って言ってるようなモンであり、子供どころか親まで不幸になるのである。他人に迷惑をかけていないから別に良いじゃない?全く読めない名前、一度で覚えられない名前を事務処理しなければいけない人の事を考えた事があるであろうか。いちいち本人に確認しなければいけないし、間違えやすいくせに間違えると大概逆ギレする。正に迷惑そのものジャマイカ(笑)


 ウチの”師匠”が前に言っていたのであるが、個性ってシロモノは自分で出すモンじゃないそうである。個性ってのはソイツが自分自身をシッカリ見つめ、自分の長所を引き伸ばした結果として自然発生するモンだというのが”師匠”の教えである。某ポップスの歌詞に「ナンバーワンにならなくていいから、自分だけのオンリーワンになれ」とあるが、ワタクシがこの国の独裁者だったらその歌は発禁処分モンである(笑)オンリーワンってのは、この上なく突き抜けたナンバーワンのことなのである。ジミ・ヘンドリックス然り、ミハエル・シューマッハ然り、イチロー然りである。ソレを分かってないヤツが「個性、個性」と喚いて、テメェの肥大したエゴを爆発させてるのである┐( ̄ヘ ̄)┌


*右脳にガツン

 まぁ何ちゅーか、今の日本人が個性を求めたがる理由は分かるような希ガスのである。どんな分野でもそうであるが、今の日本は左脳社会なのである。突き抜けてはいないけど全般的に優秀なヤツが幅を利かせて、効率第一で世の中を作ってるのである。確かに合理的なのである。確かにミスも最小限で安心できるのである。こういう風にやっていけば、老後も安泰なのは間違いないであろう。でも、感動が無いのである。人間はグルメしなくったって死にゃあしない。でも人はグルメを求める。ソレこそが「人間は左脳のみに生きるに非ず」だという事の証明なのだとワタクシは思う。


 コレはカルチャーだとかエンターテイメントとかにも言えることなのであるが、今の日本のソレは右脳にガツンと来るようなソレが無いのである。では「右脳にガツンと来るようなモノ」とは何かと問われたら、その一例としてコレを挙げよう:

前々から気になっていた【オークリー・ジュリエット】であるが、結局買っちゃったのである(笑)通販専門店だから元々安く、今は超円高で米国直輸入モノ→本来5.98諭吉するシロモノが3.86諭吉まで値下がりしていたのであるから、そりゃアンタ買うっきゃないって話である(爆)ソレにこの差額で浮いた2.12諭吉は、次回3本目のオークリーに回す事だって出来るしネ(核爆)


 ただ単にサングラスとしての効率や性能を求めるんだったら、コレより安くて使い勝手の良いモンなんぞ幾らでもある。でもコレを見たワタクシの右脳が「コレじゃなきゃc(`Д´と⌒c)つ彡ヤダヤダァ!!」と必死に訴えるのである(笑)フレームの端麗なフォルム、美しい色合いのレンズ、所有欲をこの上なくそそる特別メダリオン付きのケース、オーバースペック過ぎる偏光レンズ。全く持ってムダが多くて非合理的なのだが、ソレが逆に「所有する喜び」を掻き立てるのである。最近ゲームにハマり過ぎてドライブ行くのが億劫になっていたのであるが、コレのお陰でまた走りたくなってきたのである(爆)


*右脳人間のススメ

 クルマに例えるなら、フェラーリみたいなモンである。アレこそ正に右脳にど真ん中ストライクなクルマだからである。高級車属性のあるロンマニアの方ならご存知かと思うが、合理性だとか安心感という面に関してはフェラーリは最悪に近い。ぶっちゃけクルマとしての総合的な出来なら国産スポーツカーの方がずっと上である。でも国産スポーツカー乗りとフェラーリ乗り、女の子が股を開いてくれるのはどっちだって話である(笑)ただ単に「フェラーリ乗り=金持ちの勝ち組」って図式もそうであるが、ソレ以外にも「フェラーリを所有できる→その手の”感動”ってシロモノにカネ出すのを惜しまない粋なヤツ」って図式が出来上がるからでもある。


 クルマにしろゲームにしろテレビにしろ何にしろ、今の日本製品は左脳人間が作ったシロモノばかりである。就職を出身大学で選び、結婚相手を年収で選び、融資を担保で選ぶ。ソレは方法論としては間違っていない、極めて合理的でリスクの少ない方法である。が、ソコから先細りする一方の日本の状況を打破するイノベーションだとかブレイクスルーだとかは決して生まれない。なぜならソレは右脳から生まれてくるからである。グローバル展開するアメリカ製品だとかの凄いトコは、この右脳&左脳のバランスが素晴らしいことなのである。自分も右脳人間でありたい、そう思う今日この頃であった。