アスペルガー医師ロンの日常

医師でもあり、アスペルガー症候群当事者でもあり、更には911GT3&ロードスター乗りでもあるワタクシのささやか(?)な日常

MIRROR OF MADNESS

 ロンマニアの皆様、こんにちはm(_ _)m


「名声を獲得できないうちは、名声を信ずることはできない。自分の体は清潔にして、よく光らせておくのがよい。あなたは窓だ。透明にしておかないと世間がよく見えない」

By ジョージ・バーナード・ショー


 といった今日この頃、皆様はどうお過ごしでしょうか。


*便利は正義

 蒸気機関車から電車へ、プロペラ機からジェット機へ、ブラウン管から液晶テレビへ、便箋からeメールへ、CDからダウンロードへ、LANケーブルからWi-Fiへ、そしてガラケーからスマホへ。世の中ってのは、常に便利な方向に流れていくのである。何せ人間が知るべき事、面白い事、未だ分からない事はこの世の中には余りにも多過ぎるのであるが、ソレに対してソレ等全てを知るために人生は余りにも短過ぎる。だからムダな時間は可能な限りカットしたい&使える時間は可能な限り有用に使いたいというのが人間の性であり、そのために欠かせないのが「便利さ/利便性」なのである。だから【iPhoneの失敗を予想した4人】ってのは、ソレが分からなかったから時代を読み間違えたのである。例え高くついても、ヒトは便利な方を選ぶ。時間をカネに変える事は容易であるが、その反対は不可能だからである。


 だからワタクシは電気自動車(以後EV)は「成功するか否か」ではなく「いつ成功するか」だと考えているのである。人間というナマモノは必ず便利な方向に流れ、技術革新を以ってデメリットを解決している。当初はアタッシュケース大だったケータイも今やポケットサイズだし、サッカー場ぐらいの面積が必要だったパソコンも今やA4サイズ。だからEVがガソリン車を航続距離でも出力でも上回るのは時間の問題だとワタクシは考える。静粛性が高い、レイアウトの制限が少ない、メンテナンスが容易、高出力化が容易、低速トルクが非常に優れている等々。バッテリーや価格を除けば、EVのメリットは非常に大きいのである。ワタクシがジジィになる頃には、未来の走り屋たちはヒール&トゥを知らないどころか「エキマニって何ですか?」って真顔で聞いてくるんじゃないかなとワタクシは思うのである(笑)


*くたばれスポーツマンシップ

 今日も旬のロンドンオリンピックネタである・・・ワタクシは殆ど観てないのがアレであるが(笑)良い意味でも悪い意味でも、ニッポンじゃ金メダリストの地位は”適切”だとワタクシは思うのである。金メダリストに対する社会からの敬意が少ないとも言えるし、逆に考えれば「スポーツの実力とサラリーマンとしての実力は別」という公平な判断とも言えるのである。ニッポン以外のアジア諸国じゃ、金メダリストは文字通り「国民的英雄」である。業績は生涯称えられ、国から一生食えるだけの巨額な報酬がもらえ、政財界からも豪邸だの高級車だの様々な形でボーナスが与えられ、しかも指導者や地元スポーツ協会の役員といった地位も約束されている。不況で金メダリストがリストラされたり、経済的な事情で金メダリストが総合格闘家やプロレスラーになる国なんて、アジアじゃニッポンぐらいなモンである(爆)


 だから【バドミントン女子ダブルスの無気力試合で4組8人が失格】というニュースに当初は驚きはしたけど、3秒もすれば「まぁその3ヵ国じゃメダル取れるのと取れないのじゃ天と地ほどの差があるから、やってる側としては”スポーツマンシップなんかクソ喰らえ!”ってなるわな(´・ω・`)」って変に納得したりする(笑)もしニッポンの選手がコレやって金メダル取ったとしても「そんなやり方で金取って嬉しいのか(#゚Д゚)ゴルァ!」てな具合にバッシング喰らう事必至であろう。良くも悪くもニッポン(とその他メダル常連の主要先進国)からすれば、オリンピックはあくまで「スポーツの最高峰」であり、ソレ以上でもソレ以下でもないのである。だから純粋にスポーツとして楽しむことが最優先されるのである。ただ単に選手たちを「スポーツマンシップに欠けている!」と非難するのは簡単なのであるが、その根底にある「先進国と発展途上国のメダルの価値の違い」を考慮しなければ、議論は永遠に平行線のままになるとワタクシは思うのである。


 というのも金メダルを望んでるのは選手だけじゃなくて、国も望んでるからである。自国民が金メダルを取ったら嬉しいのは万国共通であるが、発展途上国じゃ意味が格別だからである。普段は階級や部族や人種に分かれていがみ合ってる国民も、オリンピックじゃ「○×人」という名目で一体となって応援する。オリンピックに熱狂してる間、国民は社会問題や貧困の辛さを忘れられれ、僅かな間でも社会や政治に対する怒りや不満を逸らすことができる。自国に対する誇りを更に強化する事によって、他国とのイザコザにおいて国民に自信を与えられる等々。利益を与える事により国民から自発的な信頼を受けられる先進国とは違い、ソレを殆ど与えられない発展途上国じゃ「金メダルの価値」ってのは計り知れないのである。だから【中国の金メダリスト養成所がアレな件】についても、別に驚く事じゃない。子供たちはメダルを得る事で貧困から脱出でき、国は金メダルで国家発揚ができる。酷い話であるが、一応ウィンウィンの関係が成り立ってるからである。


*スポーツは楽しんでナンボ

 だからと言って、ワタクシが上記養成所みたいなのを容認するのかと言われたら、答えは当然「断固としてノー!」である。理由は簡単、そんなのやってて楽しくないだろうし、やって楽しくなけりゃ観ても楽しくないからである。スポーツは何故古代ギリシャの時代から現在に至るまで続いているのか?答えは「単純に楽しいから」である。競技に打ち込むことで己を極限まで鍛え上げ、鍛え上げた先に見える”何か”を人生の糧として役立てる。そして競技という形で、同様に”何か”を見出した他人と交わる事で、お互いの”何か”を更に進化&深化させる。だからスポーツは楽しいのである。どんな形であれ”何か”を見出した人の話はメチャクチャ面白い。ソレに比べ、知識一辺倒のオタクの薀蓄の薄い事軽い事┐(´д`)┌ そんな”何か”を見出した人と仲良くなるためには、スポーツをやるのが一番手っ取り早いのである。


 ココまで書けば、ワタクシの言いたい事はお分かりであろう。そんな養成所で言われるがままにスポーツやったヤツには、技術はあっても”何か”が欠けているのである。分かりやすく言えば、今のニッポン車と同じである。優秀な大学出た優秀な人間が作っているから性能も優れていて信頼性も高いが、ゾッコン惚れる”何か”が決定的に足らない。買ってから3年〜5年は乗るけど、ソレ以上は乗りたいとは思わない。単なる「目的達成のための道具」であり、ソレ以上でもソレ以下でもない。こう言っちゃアレだか、この手の養成所上りがコレなのである。スポーツを引退したら速攻で商売初めて、以後練習所には一切現れない。数年後には脂ぎってメタボったオッサン/オバサンに豹変していて、口を開けばカネの話ばかり。こんなヤツを尊敬できるであろうか?断然「否」である。スポーツは現役やってる時よりも、引退した後の方が圧倒的に長い。だからスポーツマンはその時に備えなきゃいけない。改めてそう思う今日この頃であった。