アスペルガー医師ロンの日常

医師でもあり、アスペルガー症候群当事者でもあり、更には911GT3&ロードスター乗りでもあるワタクシのささやか(?)な日常

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 ロンマニアの皆様、こんにちはm(_ _)m


「人は信念と共に若く、疑惑と共に老いる」

By サムエル・ウルマン


 といった今日この頃、皆様はどうお過ごしでしょうか。


*マルチカルチャーって何ですか?

 インターネットが一般に広く普及し始めた時、ワタクシは「ニッポンにもマルチカルチャーの時代がクル━━━━(゚∀゚)━━━━!!」って喜んだモンである。当初ワタクシは「ニッポン人が画一的なのは選択肢の幅が少ないせいだ。インターネットの普及により一気に選択肢が広まれば、今度こそ多様文化が定着する→オタクのワタクシ歓喜」と楽天的に捉えていた一人だったりするのである(笑)・・・が、その結果どうなったかというと、答えは「何も変わっていない。てゆーか、トレンドの画一化&オタクの孤立化は更に進んだ希ガス」といったトコである(^_^;)ワタクシの見通しが甘かったのは、趣味や嗜好ってのは「自分が何を好きなのか」と同じかソレ以上に「他人が何を好きなのか」が重要なんだという事を見逃していた事である。多数派が正しいとは限らないが、間違いなく最強の力を持っているからである。戦争ってのは古今東西問わず、最終的に勝敗を決めるのは”数”なのである。


 そう、何故多くの人が「流行」だとか「伝統」とかやらに容易に飛びつくのかといえば、ソレに群がる事で数が大きくなるからであり、数が力を与えるからであり、力は安心と安全をもたらすからである。特にニッポンのような島国&独特過ぎる文化を持つ土地柄→外国に逃げる事が容易でない場合においては、少数派である事は非常に大変なのである。だからホントの意味で自分の個性を押し出そうと思ったら、ソレなりの理由と信念が必要になるのである。自分で「何故コレを選んだのか」という意見をシッカリ持ち、どうやって少数派ゆえの非力さを補うのかをちゃんと考え、ちょっとやそっとの事じゃ挫けない強靭さが必要となってくるワケである。ホントの意味で個性的な人間が尊敬に値するのは、つまりこーゆー事である。そーゆー人は人間としての魅力(アタマの良さ、ブレない信念、打たれ強さ等)があるから、趣味や嗜好がかなりアレでも色んな人々から受け入れられちゃうのである。


*メタルバカ見聞記

 ワタクシがメタルという音楽が好きなのも、そーゆー理由から来るモンである。メタルって音楽は、演るヤツも聴くヤツも基本はみ出しモンである。色んな理由でフツーの人の和からドロップアウトした連中が、その寂しさや怒りや憂鬱さをヘヴィに歪ませたギターサウンドとともに吐き出すのである。そんなネガティブな成り立ちだから、当然(一部を除いて)メインストリームなんかにゃなれっこない。だからメタラーは「何故自分はメタルが好きなのか」をシッカリ考えるし、少数派である自分を受け入れられるし、メタル(とメタルを好きな自分自身)をバカにされたって眉一つ動かさない。ワタクシは今まで数多くのメタル好きと会ってきたが、その多くが個性的で楽しい人物だった事を記しておくとしよう。そんなメタル好き&メタル好きじゃない人にも、お勧めの映画が一つあるのである:

メタルバカで人類学者でもある監督のサム・ダンが、世界中のメタルシーンを追いかけるという映画である。興味深いのが回った国々がブラジル、ニッポン、インド、中国、インドネシアイスラエルUAEの7か国→いずれもメタルとほど遠いイメージの国々なのである。が、ソレこそがこの映画の真骨頂だったりするのである。とりあえずはコレをご参照あれ:









ご参照という割には随分ボリュームが大きくなってしまったが、ソコんトコはご了承アレ(笑)全ての国のメタラーに共通する事は、彼ら/彼女らには「メタルを愛するようになった理由」がキチンと存在するのである。例えば「ブラジル&インドネシア→長期間における独裁時代&ソレによる腐敗や貧困から生じる怒り」「インド&中国&UAE→封建的で閉鎖的な社会に対するアンチテーゼ」「イスラエル→混沌と恐怖が日常と化した土地における感情の捌け口」「ニッポン→退屈で没個性的な社会からの一時的な脱出」といった感じにである。良かれ悪かれ、メタルってのはこんな音楽なのである。聴くヤツも演るヤツも、何らかの”心の闇”を抱えているのである。が、メタルの魅力ってのは「そんな”心の闇”を音楽という形で正しく発散させる」というトコにあるのである。


 ココで”心の闇”なんて書き方をすると、あたかもソレがネガティブなモンに感じられるのであるが、ワタクシはそうは思っていない。そんなモン、人間であれば誰にだってあるからである。もしもソレを「無い」とか言うヤツがいたら、ソイツは偽善者か、あるいは自覚の無いバカかのどっちかである。でもって残念な事に、世の中の多数派である無自覚で弱い連中ってのは、その事に目を背けたがる。連中は”悪いヤツら”の非を粗探しして、相対的に自分を清く美しいモンに見せようとする。そして権力者はソレを最大限利用して、テメェのドス黒いソレをロンダリングして覆い隠そうとする。だからメタルを聴く/演るって事は、そういう連中の格好のターゲットになるって事であり、実際上記の国々のメタラー達(ニッポン除く)は実際そんな目にあっていたりするのである。たとえそんな目に合ってもメタルが好きだと公言し、その事に誇りを持ち、今後も絶対に退く事の無い気概を持っている。あの映画に出てくるメタラーがナイスガイばかりなのは(ニッポン除く/笑)そーゆー辛さや信念をサムと共有してるからなのである。


*そのまんま

 無論、メタルだって良い事ばかりではない。メタルが大きくなるにつれて、上記にあるような「多数派に混じって力が欲しい」って輩も少なくなくなったからである。ソイツ等は痛車がメディアに取り上げられて舞い上がってるオタク連中や、チューニングショップに集う信者共と同じように、少数派である事を「何の個性も意見も無い多数派とは違い、自分の意見を主張する俺カッコ良い<(`^´)>」ってアイデンティティーにしてるだけなのである。そして多数派を見下して、自分達だけの「神聖なる王国」に浸って、ソレ以外からの全てに目を瞑り耳を閉ざす。その分かり易いたとえが今やニッポンで唯一のHR/HM専門誌となった某B誌だとか、スバル車乗りだけで固まって他を排除するスバヲタ連中とかである。自分に譲れない信念や誇りがあるって事は、当然相手にも同じようなモンがあると考え、たとえソレを理解できなくとも尊敬し合う。そんな事すらも分からない哀れな連中である┐( -"-)┌


 ワタクシに言わせれば、少数派である事、マニアである事は素晴らしい事でも劣った事でも何でもないのである。価値の質が違うだけで、総量は同じだと考えている。だから必要以上に自分の趣味趣向を誇張しようとも思わないし、必要以上に自分の趣味を卑下しようとも思わない。フツーの趣味同様に「まぁ、自分はコレ好きなモンでして(^o^)ゞ」といって紹介するだけの話である。何かに属してる事を堂々と誇張する必要もないし、一人でいる事の寂しさをムダに誇張する必要もない。そのまんま、あるがままにワタクシ自身の事を述べるだけである。当然ソレだけじゃ不完全だから日々精進はしていくし、問題点を指摘されたら大人しく改善の意を表すだけの話である。よく「大事なのは信念を守る事」というヤツがいるが、じゃあ信念って絶対なのかって話である・・・とムダに話を長くするのはワタクシの悪いクセなんで(笑)お暇したいと思う今日この頃であった。