アスペルガー医師ロンの日常

医師でもあり、アスペルガー症候群当事者でもあり、更には911GT3&ロードスター乗りでもあるワタクシのささやか(?)な日常

TURBO

 ロンマニアの皆様、こんにちはm(_ _)m


「女は異国の土地である。どんなに若いころ移住したとしても、男はついにその慣習、その政治、その言語を理解しないだろう」

By コヴェントリー・パットモア


 といった今日この頃、皆様はどうお過ごしでしょうか。


スバルについての謎

 何だかココ最近、雑誌とかメディアとかネットとかでの異様なスバルとマツダageの空気を感じるのである。まぁどっちも「大手3社以外の中小メーカー」「独自路線で結果を出してる」「大手が生産拠点を海外へ移す中、頑なに国内生産に拘ってる」ってトコが、ニッポン人の心に強く響いてるのであろう。マツダは分かる。ディーゼル不毛の地であるニッポンにおいて、世界トップクラスのディーゼルエンジンを持ち込んで普及させたんだから、ソレは純粋に称賛に値する事である。あと従来の田舎臭さ全開のデザインから、赤が良く似合うモダンで情熱的なデザインになった事も、コレまた称賛に値する事である。が、スバルに関しては、正直な話「?」である。


 ぶっちゃけた話、ワタクシは今のスバル車にageまくられるほどの魅力があるとは思えんのである( ̄〜 ̄)確かに”商品”としての魅力は上がったかも知れないが、でも”クルマ”としての魅力は全然減ってるっちゅーのがワタクシの正直な感想である。では、そういった世間の評価に対する考えだけど・・・

  • 走りへのこだわりガー → MTはドンドン消えて、代わりに走りをスポイルするCVTなるモンを増やしてる
  • 技術力の高さガー → アイサイトが上手く行っただけで、そのアイサイトも古い技術の集まり
  • 水平対向エンジンの低重心ガー → ポルシェのが二枚も三枚も上だし、そもそも言われるほど低くない
  • シンメトリカルAWDガー → アウディのが二枚も三枚も上だし、そもそも左右対称なんて全然珍しくない

・・・といったトコである。無論、スバルのクルマ作りが平均的なメーカーのソレよりも若干上なのは認めるが、ただ言われるほどじゃないってのが正直な感想である。個性的なのは良いがソレに依存し過ぎてて、走行性能や燃費や新技術と言った基本的な部分での進化が遅れてる。ワタクシはそう考えてる次第である。


 まぁやっぱ、トヨタ筆頭株主になった事による、マーケティングと宣伝広告の進化によるものだとワタクシは思うのである:

欧州を捨ててブランド化を止めて、従来の路線に戻る

アメリカや中国市場の盲点となってる「安くて使い勝手の良いAWD」で勝負をかける

アメリカや中国で売れる

国内向けに「アメリカでバカ売れ」とか「売り上げが過去最高を更新」とか「スバリスト増加中」って宣伝を打つ

ニッポン人は権威に弱いから、この広告に飛びつく

ニッポンでも売れる

(゚д゚)ウマー

という事じゃないかと思うのである。ワタクシが以前ネタにした、VABが発売された時の広告攻勢なんかが正にソレであろう。先に外国でVABを発売したのも、後にニッポンで売る時に「海外でも大絶賛!」ってやりたかったんじゃないかとワタクシは睨んでる。幸い、海外もワタクシと同じ認識であったが(笑)


移民のあるべき姿

 さて話は変わって、テロ問題のキッカケともなってる移民問題についてである。まぁコレについても世界中のマジメなブロガーさん達が侃々諤々やってるので、ズボラなワタクシは不マジメにやるつもりである(笑)何故移民問題が起こるのか?簡単な事である。海外からやって来た連中が欧州文化に溶け込む姿勢を殆ど見せず、ソレをサヨクが政権取ってる欧州の連中が「人権ガー」といってスルーし続けて、ソレが拗れに拗れた結果が先日の新聞社へのテロ凸である:


ワタクシは前々から言ってるのであるが、全ての民族が平等に共存できる社会なんて、今の人類にゃ作れんのである。その国の伝統的な文化を幹に据えて、ソコに(幹をジャマしない程度に)独自の文化を枝葉として付加する。ソレが移民社会のあるべき姿だとワタクシは思うのである。


 よーするに移民の理想的な姿って、日系人のソレなのである。日系人は見た目はニッポン人だけど、中身は完全に滞在してる国の人間のソレである。一世はある程度しゃーないとして、二世三世と世代を重ねる毎に移住した国への同化が進んでいき、最後には完全にその国の一員となる。無論、見た目云々を言ってくるバカは一定数残るかも知れんが、同化してる人や、同化しようとしてる人に対する差別ってのは殆ど聞いた事が無い。こう言っちゃアレだが、もし何処かの国へ移民したいというのならば、その国の文化に溶け込む事を前提として行くべきなのである。そうでないのなら、自分の国に残ってた方が断然オススメである。下心ってのは、思ってる以上に見破られ易いモンだからである。


寛容って何ですか?

 でもこういう風に「日系人が理想」だとか「郷に入っては郷に従え」的な事を言うと、サヨクが「話し合いガー」とか「寛容さガー」とか「人類平等ガー」とか言ってくるんだけど、ちょっと待てって話である。そういった話し合いだとか寛容さだとか平等意識ってモンは、相手にもソレがあってこそ成り立つモンである。握手ってのは互いに手を開いてるから成り立つモンであり、握り拳と握手なんて出来んのである。だから移民側にキリスト教文化を受け入れる姿勢(戒律の緩和、風刺に対する寛容など)が無けりゃダメなのである。もしも「本国側のが一方的に妥協すべきだ」というのならば、ソレは立派な逆差別である。でもってルサンチマン交じりの逆差別をやるから、ワタクシはサヨクが大嫌いなのである。


 というワケで、移民問題に対するワタクシの結論は「同化する意志と寛容の精神があるのなら、移民には賛成」ってトコである。ニッポンに帰化したスポーツ選手や文化人が良い例であるが、彼らはニッポンを心底愛していて、ニッポンのために働いてくれる。そういう人達が来るんだったら、100万人どころか1000万人でも大歓迎である。が、もしも「ニッポン行けばカネ貰えるし、水も安全もタダ。ニッポン文化?シラネ( ´_ゝ`)」ってのなら、ワタクシも「母国で頑張ってどうぞ」って言う次第である。繰り返すが、寛容と平等は互いに持ち合ってこそ成り立つモンなのである。さて、今日はもう遅いので、コレぐらいにしておこうと思う今日この頃であった。