アスペルガー医師ロンの日常

医師でもあり、アスペルガー症候群当事者でもあり、更には911GT3&ロードスター乗りでもあるワタクシのささやか(?)な日常

WITCHCULT TODAY

 ロンマニアの皆様、こんにちはm(_ _)m


「スポーツは人格を作らない。人格を照らし出す」

By ヘイウッド・ヘイル・ブルーン


 といった今日この頃、皆様はどうお過ごしでしょうか。


*オリンピックの是非

 オリンピックについては賛否両論色々あるが、ワタクシは賛成に一票である。確かに解決しなきゃならん問題が山積みなのはその通りであるが、でもやっぱスポーツは観てて楽しいからである。そんなスポーツのソレであっても極限まで鍛え上げられた肉体は例外無く美しいし、ソコから繰り出される極限までムダを削ぎ落とした動作や技術の数々は息を飲むぐらい素晴らしいモンなのである。ワタクシは学生の頃は部活(中坊時代は空手、高坊時代はチェス、大坊時代は漕艇)やってたから、その域に達するためにどんだけの苦労が要るのかがイヤと言うほど分かるのである:

例えばボートのコレである。傍から見れば簡単そうに見えるが、実はそうじゃないのである。あのレベルで綺麗に漕げるようになるためには、最低でも地球三周分は漕ぎ込まないとダメなのである。8人で漕ぐタイミングとオールの高さと漕力をシッカリ揃えて、始めてあのレベルで傾く事無く真っすぐ速く艇が進むのである。あともう一つ、漕ぐ動作ってのは楽そうに見えて、実は相当きつい。何せ2000mを8分弱で全力ダッシュするようなモンだから、漕ぎ終えたらヘロヘロになるし、ワタクシも大坊時代は散々ヘロヘロになったモンである(;´ρ`)


 あと更に言えば、肉体は鍛え上げるのも大変だけど、維持するのはもっと大変なのである。筋肉ってシロモノは継続的に負荷をかけないとすぐ衰えちゃうモンだし、当然その間はトレーニングの時間だけでなく、食習慣や生活習慣にも様々な制限がかかるから、堪るストレスは並大抵のモンじゃないのである。オリンピックで負けた選手はよく「また4年後に」っていうのだが、ソレ即ち「その厳しい生活を更に4年続ける」って意味でもあるのである。特に20代後半の選手ならば、その上更に年齢による衰えと戦わなくちゃいけないのである(;´Д`)だから同じスポーツを嗜む者として、ワタクシはオリンピック出場選手を尊敬するし、スポーツの最高峰であるオリンピックの存在の重要性を訴えるのである。


*柔道とJUDO、どうして差がついたのか・・・慢心、環境の違い

 そしてこのオリンピックの次期になると必ず言われる事が、上記のサブタイについてである。最近、なぜニッポン柔道が勝てなくなったのか。ニッポンが弱くなったから?ワタクシの答えは「柔道が世界中に満遍なく普及して、海外の選手層が厚くなったから」である。何故当初はニッポンが勝てたかって、ニッポン以外の選手層が薄かったからである。ソレが時代を追う毎に海外の選手層がドンドン厚くなって、何時の間にか柔道大国の地位はニッポンからフランスに取って代わられていて、でもってニッポン人に比べ体格に勝る欧米人がニッポン以上に分厚い選手層の中で代表を争ってるワケだから、そりゃ強いに決まってるのである。


 でもニッポン人の意識は前の東京オリンピックの時のまんまだから、未だに「ニッポンの柔道こそが世界最強」と信じて疑わないというか、柔道発祥の国として意地でも認められんのであろう。だから毎年この時が来る度に、この類のネタが話題になるのである:

そう、あの【リオ五輪の柔道男子100キロ超級決勝のソレ】である。こういうのが出る度に「柔道とJUDOは違う」とか「こんなのは認められない」とか「武道の精神からかけ離れている」とかいう声がニッポン中から上がってくるのであるが、コレに対するワタクシの見解は「オリンピックに出るって事はJUDOルールを受け入れるって事であり、相手がそのルールに則ってやってたのならしゃーない」である。確かにニッポン的美学によれば美しくないのだろうけど、相手がニッポン人でなければ必ずしもそうじゃないのだから、オウンリスクを背負う限りは何も言えないのである。


 厳しい事を言うようだが、もしも「柔道の伝統ガー」「嘉納治五郎の精神ガー」って言うのならば、ロビー活動なり何なりで国際柔道連盟での政治力を増やすなりして、ソレを勝ち取るしかないのである。言っちゃ何だが「正しい事をしていれば皆分かってくれる」ってのはほぼニッポン限定の価値観であり、柔道を国際化した段階でソレは通じないのである。ソレが出来ないのならニッポンは国際柔道連盟から脱退して、ニッポンだけで”真の柔道”とかを貫き通すかである。政治闘争もイヤ、孤高を貫くのもイヤなら、大人しく国際柔道連盟の決定に従うしかないのである。国際化した時点で何をどうやっても「他国のJUDO人口>>>ニッポンの柔道人口」になるのは火を見るより明らかなのだから、そりゃ何も対策しない方が悪いのである。


*騎士道vs武士道

 あとこの件でワタクシが気になったのは、何ちゅーか「ニッポン柔道側の傲慢さ」ってヤツである。確かにニッポン柔道が掲げる武士道や、所謂「柔よく剛を制す」って思想はワタクシも素晴らしいと思うし、尊重もする次第である。が、海外にだって勝利や勝負に対する価値観があり、海外のJUDO選手もソレに対する矜持ってモンがあるのである。ニッポン的な「たとえ負けても美しくあるべき」って価値観もアリだけど、同じように海外の「負けたら全て終わり、勝ってナンボ」って価値観もアリだとワタクシは思うのである。ソレを考慮する事無く「海外で生まれた価値観は認めない。柔道はニッポンの武道なんだから、ニッポンの価値観に従え」って突き付けるのを、ワタクシは傲慢だと思うのである。


 そう、柔道に限らず何かを国際化するって事は、ただ単純に競技そのものを広めるだけではないのである。ニッポンとは異なる海外の土壌から生じる新しいモンを認めて受け入れ、互いに吸収し合う事で互いに更に進化する、ソレが国際化の本質だと思うのである。だから「柔道ガー」とか「JUDOガー」って分けて語るのは、ワタクシに言わせれば鎖国メンタリティーの最たるモンなのである。どっちが素晴らしいかではなく、どっちも一長一短なのである。すべき事はニッポン柔道に拘る事でもなく、JUDOを敵視する事でもなく、互いの良いトコを吸収して柔道を更に進化させる事だとワタクシは思うのである。まぁ柔道属性の無いワタクシがコレ以上語ってもアレなので、さっさとお暇するに限る今日この頃であった。