ロンマニアの皆様、こんにちはm(_ _)m
「僕らは結局コラージュしかできないと思うんですよ。それは仕方がない。オリジナルが存在するとしたら、僕の人生しかない。僕の人生は僕しか持っていない。それがオリジナルだから、フィルムに持っていくことが僕が作れるオリジナリティなんです。それ以外はすべて模造といっても否定できない」
By 庵野秀明
といった今日この頃、皆様はどうお過ごしでしょうか。
*続・6番目の憂鬱
よーやく【バイオハザード6】のシナリオモードを全クリアーしたのである(^_^;)一通り終わらせてみた感想としては「バイオって、何時から”プレイヤーとして”ではなく”観客として”楽しむゲームになっちゃったんだろうか(´・ω・`)」といったトコである。昔まで(大体4以前)のバイオは、プレイヤーが主人公だったのである。プレイヤーが攻略ルートを組み立てて、戦闘も自分で戦略立てて、アイテムも計画的に利用して云々という感じである。例えばである、目の前に要塞があって、ソコに強力な中ボスが待ち構えてるとする。さてどうするか:
- 不利なのを承知の上で、バカ正直に正面から挑む
- 色々寄り道して武器かき集めたりレベルアップしまくるなりして、無双できる状態で挑む
- 抜け穴を見つけ出してコッソリ侵入し、背後から暗殺する
- ミサイルなり大砲なり爆撃機なりを用いて、要塞ごと木端微塵にする
- スルーする
「自由度の高いゲームとは何か?」と問われたら、ワタクシは「上記のソレみたいに、1つの問題に対して様々なアプローチを試みれる事」と答えよう。コレを自由に選んでゲームを進められるって事は、即ち「プレイヤーはゲームキャラクターと行動を同じくする=プレイヤーは主人公」だという事である。ワタクシが洋ゲーを気に入る理由の一つが、この自由度の高さなのである。
ところが最近のストーリー重視の和ゲーってのは、プレイヤーが望む望まないに限らず(1)のルートを強制的に選ばされ、望みもしない窮地に陥らされ、望みもしない苦戦を強いられる羽目になるのである(-_-;)勿論、その窮地や苦戦を突破できなきゃ、その場でゲームオーバー。つまり「プレイヤーとゲームキャラクターとの意思は一致しない=プレイヤーは観客」って事であり、残念ながらバイオ6は後者なのである(´・ω・`)別にソレが悪いと言ってるワケではないが、何ちゅーか「ソレならアニメか映画でおk」ってのがワタクシの素直な感想なのである。まぁバイオに限らず今のガンシューティングゲームってのはオンライン対戦がメイン→ストーリーモードはオマケみたいなモンになっちゃってるので、ワタクシみたいなオンライン嫌いのオフライン専門にとっては世知辛いゲーム界になってるのである(-_-;)バイオ6にゃやり込み要素もたくさんあるのだが、今んトコやる予定はない。さっさと積んでる他ゲームのプレイに取り掛かるつもりである。
*オリジナリティーの魅力
話は変わって、やっぱ”ジョジョの奇妙な冒険”シリーズ(以後ジョジョ)は面白い。実はワタクシ、ジョジョは飛び飛びでしか(4部を半分、5部と6部はリアルタイムで全部、7部以降は読んでない)読んでおらず、かと言ってコミックス全巻揃えるのは余りにも面倒くさい&嵩張る&置き場所を取ってしまうんで、今までノータッチだったのである。が、今じゃiPadがある&書籍の種類も充実してきた→ジョジョ全巻がラインナップされてたので、買わない道理はないって話である。ぶっちゃけた話、価格が紙媒体と同じでもワタクシは苦にしない。何時でも何処でも欲しい時に欲しいだけ書籍が購入できるし、どんだけ購入したって決して嵩張らないし、要らなくなったら処分するのも簡単だし、また読みたくなったら何時でも取り出せる。売る事を前提にして本を買ってるのなら話は別だが、ワタクシは基本的に本は捨てたくないのである。だからワタクシには電子書籍が一番適してるのである。
ジョジョの最大の魅力は何かと問われたら、ワタクシは「圧倒的なまでのオリジナリティー」だと答える。画風、台詞回し、ストーリー展開、世界観、センス等々、何もかにもが独特なのである。マンガだけに限った話ではないが、作品に優劣をつける時の基準は「過去の類似の有名作品と比べて優れているのか否か」が殆どなのである。ところがジョジョにはソレが無い。比べる対象が無いから「優れてる」とも「劣ってる」とも評価できず、あるのは「自分に合うのか、合わないのか」だけである。そして「似たような作品が無い」ってことは、ソレ即ち「作風が合う読者が余所に流れない」って事でもあるのである。こち亀やゴルゴ13なんかもそうであるが、何十年というスパンで連載が続けられる理由は「固定層がいるから」なのである。でもってジョジョやこち亀やゴルゴ13の固定層ってのは「ソレが好きだから能動的に固定してる」以上に「他に似たような作品が無く、移動できないから受動的に固定している」んだとワタクシは思うのである。
もう一つ、オリジナリティーが強い事の利点があるのである。ソレは「パクられ難い」という事である。アイドルやタレントなんかがそうであるが、人気が廃れる一番の理由が「同じような芸風のライバルにファンが流れたから」である。オリジナリティーが低いって事は、同じようなヤツが多数いるって事であり、飽きられたら他に移られる可能性が高いって事である。ところがジョジョは余りにも独創的過ぎて、同じようなヤツがいない→パクれば一発でバレてしまうって話である。そうするとパクった作品には「ジョジョのパクり」というイメージを読者に強く残してしまい、決してオリジナルの評価を超えることは無い。むしろ逆に「パクりだとバレても良いからパクリたくなるぐらい、オリジナルは素晴らしい」ってイメージが残るため。むしろ願ったり叶ったりなのである。でもってコンテンツが終わった後でも、絶対的なオリジナリティーは良い悪いを超越して残り続ける。どんなに良くったって、レプリカは滅ぶのである。
*さらば紙媒体の時代
ちょっとだけ話を戻すとしよう。巷じゃ【新刊の7割が返品になるぐらい本が売れない】らしいのであるが、ワタクシはコレを「ニッポンにも電子書籍の時代がクル━━━━(゚∀゚)━━━━!!」と好意的に捉えていたりする(笑)ワタクシが思うに、今が正に紙から電子へ移行する過渡期なのである。7割返品になるんだったら、3割だけ印刷すれば良いのである:
電子書籍の時代に突入する
↓
印字だとか配送だとか紙代にかけるコストが減るから、長い目で見れば値段は下がる
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値段が下がれば本も売れるようになる
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本が売れてもゴミは出ないから、非常にエコでもある
↓
端末に初期投資がいる事以外、デメリットは皆無に等しい
↓
(゚д゚)ウマー
という事である。何ちゅーか、ワタクシは電子書籍に反対する人の気持ちが全然分からんのである。確かに図書館から本が無くなって、代わりにPC端末が置いてあるだけの光景は寂しいモンがあるかも知れないが(笑)ソレぐらいのモンだとワタクシは思うのである。紙の本として生き残るのは百科事典みたいな「形そのものに価値がある本」ぐらいになり、あと数年したらニッポンも電子書籍が主流となる時代がやって来る。そう予言して締めようと思う今日この頃であった。