アスペルガー医師ロンの日常

医師でもあり、アスペルガー症候群当事者でもあり、更には911GT3&ロードスター乗りでもあるワタクシのささやか(?)な日常

HAMMERHEART

 ロンマニアの皆様、こんにちはm(_ _)m


「成功した人が飛び抜けているのは、たいていの場合、特別な才能やチャンスに恵まれたからではない。その辺に転がっているチャンスを育てたからだ」

By ブルース・バートン


 といった今日この頃、皆様はどうお過ごしでしょうか。


*漁師のススメ

 魚だけを与えたら3日と持たないけど、魚の獲り方を教えてあげれば一生食っていける。中国の諺であるが、コレがワタクシの発達障害者支援の方針である。今週は昨年ワタクシも壇上に立ってスピーチした【世界自閉症啓発デー2013】の週であり、気付いたら【NHKで大々的に特集される】ようになるなど、ワタクシら高機能/アスペを取り巻く環境はココ数年で大きく変わってきているのである。このまま行けば近い将来、他の身体障害と同じようになる日も遠くはないであろう。故にワタクシは「魚を獲る方法を学ぶことが大事」だと主張するのである。でも残念な事に「もっと魚をよこせ」という声も小さくなく、そっちの方が楽だからウケも悪くなかったりするのである(^_^;)言うまでもないが、ワタクシはコレに反対である。何故なら、ソレは「自分の人生を生きている」って事じゃないからである。ワタクシに言わせれば、ソレは自己尊厳の放棄に等しいのである。


 ワタクシも当事者側の人間として、こういう事は余り言いたくないのであるが、高機能/アスペの当事者って物心付いたころから色んないじめや無力感や劣等感に苛まれていた人が少なくなく、多かれ少なかれルサンチマンってヤツを抱えてしまってるのである。ンでもって、抱えた側の言い分としては「自分は小さい頃から健常者どもや冷たい社会に散々苦しめられた。だから連中から魚を奪って何が悪い!何で自分達が苦労して連中の世の中に迎合しなくちゃならないんだ!」ってなるのである( ̄〜 ̄)魚を獲りに行くためには、このルサンチマンを何とかしなきゃいけないのだが、コレが実に難しいのである。ていうのも「他人を恨む」って行為の中には「自分の悪い点から目を逸らす」って要素も多分に含まれていているのである。自分の弱さを見つめ直すってのは健常者でも大変な事なのに、トラウマやコンプレックスの強い当事者なら尚更だからである。


*メタ思考って何ですか?

 話は変わって、先日ネタにした水野和敏氏の話の続きである。その事について【インタビュー記事があった】ので、先ずはそちらを参照して頂きたいのである。この記事の記者との対談シリーズは幾つかあるので、興味のある方は「フェルディナント・ヤマグチ 水野」で検索してみると良いと思うのである。今に始まった話ではないが、やっぱ水野氏の話は面白い。その面白さの理由はやはり「メタ思考」にあるのである。例えばの話、耳の遠い老人と話をするとしよう:

フツー思考:

  • 聴力が落ちているのなら、こっちが声を大きくして話せば良い


メタ思考:

  • 年齢的な聴力低下は高音から順に起こるから、低音域は正常な場合が多い。つまり声を低く、母音を明確にしてゆっくり話せば、声を大きくしなくても聞こえる

コレがメタ思考である。例えば上記リンク先の記事にあるエアコンの話が正にソレである。物事の解決法をより高い次元、より根本的な部分に求めているから、そういう考え方に慣れていない人、その分野の知識が深くない人にとって新鮮に映るのである。でもって、メタ思考できる人ってのは、自ずと話が上手くなるのである:

メタ思考できるようになるには、当然だが物凄い量の勉強が必要になる

物凄い量の勉強をしてる内に、その事以外の知識も自ずと身に付くようになる

そのムダな知識を上手く応用すれば、話を質的&量的に盛る事が出来るようになる

つまり単純なネタでも面白可笑しい話に作り替える事が出来る

(゚д゚)ウマー

・・・ってワケである。水野氏の話は異様に長いけど、要約するとビックリするぐらい短くなるから、ヒマな方は試してみると良いと思うのである(笑)でも何ちゅーか、水野氏の今後がひじょ〜〜に楽しみである。ヒュンダイやキアみたいなコレから伸びる弱小ブランドに身を置いて、限られた資源や予算をフル活用して下克上を仕掛けてくるのか。あるいはマクラーレンやブガッティやパガーニみたいな大手ブランドに身を置いて、予算も権限もほぼ無制限の中で一点の妥協もない理想のクルマを作るのか。どちたにしろ面白いクルマになる事請け合いナシだから、是非ともクルマ業界に戻ってきて欲しいモンである。


*豊かさは罪?

 また更に話は戻るが、発達障害者の社会参加が難しいのはこのためなのである。ワタクシが「魚の獲り方を学ばなきゃ!」って決意した理由は「獲らなきゃ飢え死ぬ」からである。医師という生業には障害者雇用という概念が無く、ワタクシの場合ワケあって働かなきゃ居場所がなくなるのと、あと働いてカネ稼がなきゃクルマ乗れないしケームも買えないしサバゲーも行けない(笑)だから「自分の弱点と向き合うのはイヤだけど、全て失うよっかは遥かにマシ」って考えて、あの手この手で考察や行動を重ねていって、そんで今に至ってるって話である。理想は確かに大事である。が、その理想が成就するのは何年後、何十年後なんだって話である。でも理想が成就するその日が来るまで、メシを食わなきゃ死んじまうのも事実である。じゃあメシが必要なのは何時か?言うまでもなく「今すぐ」であり、メシを食うために選り好みなんぞしていられないってのがワタクシの持論である。


 ニッポンって国は、そういう意味では豊か過ぎるぐらいに豊かである。働かなくても親が健在なら親に食わせてもらえば良いし、バイトを幾つか掛け持ちすれば何とか生きていけるし、ソレすら難しくてもナマポという最終にして最強の切り札がある。生存権言論の自由も、豊かでシッカリ機能する政府があるから心配する必要が無い。だからルサンチマンやり続けていられるし、やり続けている限り健常者&社会との融和は難しくなってしまうのである。健常者社会にも言い分はあって、その言い分にはちゃんと五分の理がある。当事者と健常者が互いに持ってる五分の理に耳を傾け、ソレを1としない限り、共生できる未来はやって来ないとワタクシは断言しても良いのである。もしも「自分達にも同じ分け前をよこせ。でも自分達は障害者、弱者だから、きついのは勘弁な」とか言い出したら、ソレ即ち逆差別ってモンである。メリットだけでなく、デメリットも同じぐらい受け取る事、ソレが平等だと思う今日この頃であった。