アスペルガー医師ロンの日常

医師でもあり、アスペルガー症候群当事者でもあり、更には911GT3&ロードスター乗りでもあるワタクシのささやか(?)な日常

RESURRECTION

 ロンマニアの皆様、こんにちはm(_ _)m


「”希望を持って生きねばならぬ”という価値観は捨てた方がいいし、本当はこの世は生きるに値しない。でも子供に向かってそんなことは言えないので”とりあえず生きてみて下さい”と言うのが私の本音です」

By 宮崎駿


 といった今日この頃、皆様はどうお過ごしでしょうか。


*4ドアの是非

 ワタクシのカーライフってのは、元を辿ればインプレッサから始まったのである。だからGDBを降りた&既にWRX-STIは別の車種となった今でも新型は気になるし、ソレなりにチェックはしてるのである。でもって何時の間にか【インプの新型が登場した】のである。一応、一通り見てみたワタクシの感想は「唯一の良いCVTは廃棄処分されるCVT」の一言で終了である(笑)昔のスバルはどんなグレードにもMTを設定してあるのが売りだったのであるが、気が付けばVABとBRZぐらいになってしまったみたいなのである( ̄〜 ̄)別にワタクシはMT至上主義だというワケではない。CVTがダメなのである(笑)もう全グレードCVTってだけで、残念だが新型インプは評価するに値しないのである(-_-)



 あとインプとは関係無い話なのであるが、何故国産車は何処のメーカーも4〜5ドアに拘るのかサッパリ理解できんのである┐( ̄ヘ ̄)┌クルマを1〜2人でしか使わない&荷物も然程積まない人だってソレなりに数が居る筈だから、もっと2〜3ドアのバリエーションがあっても良いと思うし、実際欧州メーカーの主要車種は4〜5ドアと2〜3ドアの双方を揃えてる事が殆どだからである。特にVABなんて殆ど独りモンのキモヲタぐらいしか乗らないんだから、後部座席を用意するだけ資源のムダである(笑)ワタクシもGDB時代、後部座席に人乗せた回数は指で数えられる程しかないし、R35も同様である。特に軽自動車なんかは2+2にした方が断然乗り易いとワタクシは思うのである。


*望んで生まれた労働環境

 さて話は変わって、件の電通社員の自殺事件からもう結構経ってるのであるが、未だにその手の続報が絶えないのである(^_^;)中には【電通への怒りを署名活動にぶつけよう】って呼びかけてるヤツも居るぐらいである。ソレに対するワタクシの意見は「署名するのはご自由に。でもワタクシはするだけムダだと思うからしない」といったトコである。だって考えてみてほしいのである、この手の過労死事件はずっと昔から数多く報道されてきてて、報道されてない案件はソレ以上にあると考えられるであろう。にも関わらず今に至るまで殆ど何も変わらずこの手の問題は解決されていないし、そしてソレはコレからも変わらないだろうとワタクシは考えてるからである。


 何故かと言えば、ソレがニッポン人の望みだからである。ニッポン社会の中枢を占める団塊の世代には「自分達はこの働き方でニッポンを経済大国にしたッ!ニッポンを豊かにしたんだッ!」って自負があり、中枢の人間でなくても「公務員か大企業の正社員になって、ソコで定年まで勤めあげて、上手く出世して、退職金をガッツリ貰う。コレこそが最高の人生ッ!組織や上司に気に入られて出世するためなら、残業でも何でもやってやるッ!!」って価値観が強く残っている限り、ただ単純に怒りをぶつけたって何も変わらないのである。たとえ新しい法律が出来ても、誰かが必ず抜け穴を見つけ出して、また元の木阿弥である。繰り返し言うが、長時間残業はニッポン人が自発的にやってる事なのである。



 あともう一つ、とあるロンマニアの方もワタクシと同意見で、その方曰く「ニッポンのトーチャン達は家事や子育てを手伝わされるぐらいなら会社にいた方が良いと考えてるし、ニッポンのカーチャン達は自分が働くぐらいなら家事や子育ての方がマシだから、皆が望んで今のニッポン社会がある」と仰っていたが、ホントその通りだとワタクシも思うのである(^_^;)余程のブラックでない限り残業代は出る→トーチャンがソレを家事や子育てしない免罪符に出来るし、その残業代があればカーチャンも働かないで済む→働かない代償として家事や子育てを一手に引き受けられるから、ある意味ウィンウィンな関係が出来てしまってるのである。やっぱ言っちゃ何だけど、過労死を生むような長時間労働は、元を言えばニッポン人が望んでたからこそ生まれたのである。


*魚獲りのススメ

 そう、このニッポン人の根本的な価値観や思想が変わらない限り、法律諸々を変えたって何も変わらないのである。所謂「寄らば大樹の陰」的な思想を捨てて、何処の会社でも何処の国でもやっていけるようなスキルを身に付けて、テメェのケツはテメェで拭く生き方をする。そういう考え方をする人が大多数ならば、そりゃ企業の方から変わらざるを得ない状況になるのであろう。でも、ニッポン人にその生き方はできない。何故なら年功序列集団主義が根強く社会に残っていて、そしてソレに乗っかって生きる気楽さを知ってしまってるから、無制限の自由が持つ無制限の責任の重みには耐えられないのである。自由にさせろ楽をさせろ、でも責任は取りたくないし迷いたくない?ムリな話である┐(´д`)┌


 魚を分け与えれば3日生きられるが、魚の獲り方を覚えれば一生食べていける。老子の言葉であり、ワタクシが最も好きな言葉の一つである。そうテメェで自由に魚を獲れさえすれば、会社に言われるがまま過労させられなくて済むのである。でもこの電通の事件で怒るヤツは、決して魚の獲り方を覚えようとはしない。ソレどころか「もっと分け前を増やせ、でもきつい代償は払いたくない」って言ってるのであるから、そりゃ国や企業に舐められて当然である。国や企業に振り回されたくないのであれば、ソレに依存せず自分で生きていける術を身に付けるしかないのである。さて、明日も当然の如く仕事なんで、さっさと休むに限る今日この頃であった。