アスペルガー医師ロンの日常

医師でもあり、アスペルガー症候群当事者でもあり、更には911GT3&ロードスター乗りでもあるワタクシのささやか(?)な日常

BIG GAME

 ロンマニアの皆様、こんにちはm(_ _)m


「賢者とは何か。法に対して自然を、慣習に対して理性を、世論に対して自己の良心を、謬見に対して自己の判断を対立させる人間である」

By セバスチャン・シャンフォール


 といった今日この頃、皆様はどうお過ごしでしょうか。


*迷った時の処世術

 決断とはどうあるべきか。もしも「お、俺はどうしようもなく○○萌えなんだ(*´Д`)たとえ世界を敵に回してでも、俺は○○と心中するぞォォォォォォヽ(`д´)ノ 」って強固な信念があるんだったら(笑)迷わずソレにすべきである。だがもしも強固な信念が無い場合には、果たしてどうすれば良いか。ワタクシの答えは「マトモな人が多くいる側に付く」である。ココで大事なのが「数の多い方」でも「正しい方」でもなく「マトモな人が多くいる」という点である。というのも多数決は場の雰囲気に流されるし、正義ってのは絶対的じゃないからである。でもマトモな人達なら安易に雰囲気には流されないし、間違っていたとしても道を正し易いし、一緒に徒党を組んでも裏切られ難い。つまりマトモな人達のコミュニティーに所属していた方が、長い目で見れば平和で安定していられる可能性が一番高いのである。信念や理想が無けりゃ、次に来るのが平和と安定だからである。


 逆に言えば「マトモじゃない人の多くいる側には付かない」という考え方も出来るのである。ワタクシがナマポ改革やアベノミクス新自由主義に対して賛成側の立場を取るのは、つまりそういう事である。ナマポ改革やアベノミクス新自由主義が大好きだからではなく、反対派側にマトモじゃないヤツが多過ぎるからである。自分の魅力の無さや実力の至らなさを他人や社会や国のせいにして逆恨みして、人の話をロクに聞かずテメェの独り善がりな正当性ばかりを主張して、かと言って本気で社会を変える覚悟も打算も無く、やってる事はルサンチマンの発散だけ。ワタクシの知る限り、反対派ってこんなヤツらばかりである。この手のサヨク連中が頻繁に内ゲバや内部分裂を繰り返すのは、偶然ではなく必然なのである。こんな連中のコミュニティーに所属していたって、平和も安定もありゃしないって話である。


*夏草や、ロリコンどもが、夢の跡

 同様の理由で、ワタクシは児童ポルノ法(以後児ポ法)改正案について賛成側の立場を取る次第である。ツイッターなんかで反対派がどんなヤツ等かを調べてみれば分かると思うが、見事なまでにオタクとサヨク関係者ばかり。ソイツ等が寄って集って反対するって事は、賛成側に付くのが良いって言うのがワタクシのジャスティスである(笑)ぶっちゃけた話、ワタクシ的には規制されようが規制されまいがどっちでも別に構わんのである。児童ポルノとかいう気持ち悪いモンは地上から無くなった方が良いと思うし、自主的に消えてくれるんだったら尚更良い。同人誌もエロマンガも読まないんで、無くなったって一向に構わない。無論、表現の自由が大事なのはワタクシも重々承知している。ただしソレは「人間を更に高い次元に押し上げる場合において」である。ナボコフ手塚治虫のソレなら良しとされるのは、そういう要素があるからである。


 大概の国でポルノがタブー化されていて、その中でも児童ポルノはタブー中のタブーとされてるのも、つまりこーゆー事である。よーするに芸術作品とかにあるような「性欲という人間的な本能の先に何を見出すか」って高みを見出すソレじゃなくて、単純に低次元な性欲の捌け口にしかなってないからである。児童ポルノの場合、性欲の捌け口に加え「支配欲」だとか「幼児性」だとか「(大人の女に相手にされない)劣等感」とかやらが加わるから、大人のソレに比べ尚一層低次元なのである。表現の自由が保障されてる他の先進国においても、ポルノ特に児童ポルノが厳しく規制されてるのは、つまりこういう事なのである。無論、必要悪としてやるのなら構わん。ただしアンダーグラウンドでコッソリやれって話である。コミケや一般的販売店なんかで堂々と買えるのは、ワタクシ的に反対である。ソレが自主的に出来ないのであれば、規制も止む無しである。


 故にワタクシには児ポ法に反対する理由が全く無いのである。権力が自分に都合の悪い人間を弾圧するのに使われるから危険?ふとした密告で自分が社会的に抹殺される?権力はクソだから力を与えちゃいけない?ソレこそ、ワタクシにとってどーでもいい話である。ワタクシにはワタクシを恨んで密告するような友人知人はいないし、国家権力や警察から睨まれるような事もしていない。何ちゅーか「妄想乙」としか言い様が無いのである┐( ̄ヘ ̄)┌ こーゆー考え方って、根本に社会不信や人間不信があるからこそ出てくるモンであり、そーゆーのが無ければ殆ど出て来ない。でもってワタクシは前々から言ってるが、オタクが社会や世間から疎んじられる理由ってのは、その殆どがオタク自身にあるのである。テメェの事しか考えられない、テメェの好きな事以外には関心も示さないじゃ、皆から好かれようなんてムリな話であり、ソレを逆恨みするなんて以ての外である。


*ストップ・ザ・逆恨み

 ワタクシがコレについて前々から言ってる言葉が「世の中を変える前に、先ず自分から変われ」である。世の中は変わるかどうか分からないし、変わったとしても自分の望む方向かどうかは分からないし、望む方向に変わるとしても結果が出るまで時間がかかる。その点、自分は変えようと思えば変われるし、自分の好きなように変えられるし、変えたら確実に結果が出るからである:

自分を変える

ビッグな人間になる

ビッグになれば人が集まってくる

人が集まれば力になる

その力で世の中を変える

(゚д゚)ウマー

というワケである。世の中を動かす言葉って「正しいか否か」よりも「誰が言ったのか」の方が重要視される事が実に多い。だったら世の中を変えるためには、自分を変えるのが実は一番有効なのである。リスク上等で自分から動かなくちゃ、得られるモンを得られやしないのである。ましてや安全地帯からツイッターリツイートしまくるだけなんて、時間のムダ以外の何でもない。虎穴に入らずんば虎子を得ず。昔の人はやっぱ良く分かってたんだと実感する今日この頃であった。