アスペルガー医師ロンの日常

医師でもあり、アスペルガー症候群当事者でもあり、更には911GT3&ロードスター乗りでもあるワタクシのささやか(?)な日常

NO ONE RIDES FOR FREE

 ロンマニアの皆様、こんにちはm(_ _)m


「夢を現実にするのは人である」

By ウォルト・ディズニー


 といった今日この頃、皆様はどうお過ごしでしょうか。


*ムダ使いって何ですか?

 大金叩いて【ラ・フェラーリ】買って、ソレをサーキットやらワインディングなどで徹底的に乗り回して、1年待たずしてポンコツにする。メチャクチャ贅沢だが、決してムダ使いではない。何故なら1年足らずとは言え、その間にフェラーリの真髄とも言えるこのクルマを骨の髄まで堪能し尽くせたからである。近所の中古車屋で【ワゴンR】を買って、後にも先にもたった一回乗っただけで、あとは一年以上ほったらかし。メチャクチャ質素ではあるが、ムダ使いそのものである。何故ならカネ出した分を全く回収できてないからである。ココまで書けば分かると思うが、ワタクシは贅沢が大好きなのであるが、ムダ使いは大嫌いなのである。素晴らしいクルマに何百諭吉&優れた足回りに何十諭吉使うのは惜しくないが、中古でもクソゲーを買ってしまった時には途轍もない敗北感を味わってしまうのである(笑)他人はどう考えてるのか分からんが、コレがワタクシのジャスティスである(爆)


 その価値観で【サウジの王子が190000諭吉でディズニーランドを3日間貸切にした】を判断すると、難しいが「ギルティー」である(笑)何故かと言えば、確かにその190000諭吉は堪能し切れたが、ソレによりこの王子の価値が下がってしまったからである。190000諭吉もあれば、もっと価値のある事が色々できたはずだからである。慈善事業や寄付などは言うまでもなく、芸術家のパトロンになったり、優れたレーシングドライバーのスポンサーになってあげたり、ソレを資金にして自ら先鋭的な事業を立ち上げてもいいし、自分の名で奨学金を設けたっていい。ディズニーランドで遊ぶだけじゃ3日間で終わってしまうが、後者に使えば三日どころか、上手く行けば永遠に価値の残るモンが出来るかも知れなかったのである。こんなカネの使い方しか出来ないから、アラブの王族は世界中でバカにされるんだって話である┐(´-`)┌


 因みにワタクシだったらこう使う。10000諭吉でデカいガレージ付きの家を買って、20000諭吉でガレージに入れるクルマを買いまくって、30000諭吉を勉強やファッションなどの自己投資に回して、40000諭吉を元手に投資なり株なりを始めて増やすのを試みて、残りは全額定期預金で封印する。まぁこういう風に考える時点で、ワタクシもやはり庶民だって事であろう(笑)ただ何ちゅーか、何故サウジアラビアが豊かなのに一流国家になれないかが良く分かった希ガスのである。よーするに「豊かなのに一流国家になれない」のではなく「豊かだからこそ一流国家になれない」のである。ニッポンが何故ココまで成長出来たのかと言えば、ニッポンには何もないからである。何もないからこそカネの有効利用や、ニッポン人単体のポテンシャルを磨き上げられたのである。でもってこの人的ポテンシャルの差こそが、一流国家とそうでない国家の最大の違いだとワタクシは考えているのである。


*少年よ、(具体的な)大志を抱け

 5歳の子供が「ぼくのゆめは、おおきくなったらF1チャンピオンになることです」と作文に書いたのなら「夢は大きくなきゃね(^o^)」って周りも和む事であろう。ただし15のガキが「僕の夢は、大きくなったらF1チャンプになる事」と言ったのなら、もうその時点で国内のカートの主要大会は優勝しまくっていて、FJ1600なりF3なりにステップアップする計画が立っていなければならない。でもって25歳になる頃には、F1のソレなりのチームのシートを持ってなきゃダメである。夢を語るヤツは実に多いのだが、夢を叶えるための具体的なステップを描けてるヤツが少ない事少ない事┐(´д`)┌こう言っちゃアレだけど、コレまた”滅びの美学”ってヤツの弊害だと思うのである。現実見てショボいけど具体的な小さな夢を選ぶ人よりも、過ぎたデカい夢に挑んで爆死するヤツのが美しくて潔いと称賛される。でもってマジで散ると、その時点で感情的になって思考停止しちゃうんだよねぇ('〜`;)


 その点、本田圭佑は立派だと思うのである。コレは【本田圭佑の小学校卒業文集】であるが、12歳の時点で既に「プロとは何たるか」を理解していたのである(^_^;)12歳の子供が「世界一のサッカー選手に、なりたいというより、なる」とか「世界一の選手になるためには、世界一練習しなきゃダメ」なんてスラっと言えるモンじゃないぞマジで( ̄Д ̄;)今現在、ココに書いてある夢の大半が実現できてる(あるいは出来そう)なのは、偶然じゃなく必然だとワタクシは思うのである。でもって、同じような事を 【イチローのの小学校卒業文集】や【石川遼の小学校卒業文集】にも言えるのだが、3人が3人とも「絶対なるっていう強い決意」「決意を実行するための現実的かつ具体的なステップ」「夢を実現するためには何を犠牲にしなければいけないか」がシッカリ書けているのである。この上ない蛇足であるが、ワタクシの幼稚園卒業文集には「大きくなったらタクシーの運転手になりたい」と書いてあった事をお伝えするとしよう(笑)


 今のニッポンは何が問題かって、夢に過大評価か過小評価かの両極端に分かれてしまってる点である。過大評価については、上記にある通りである。特にサヨク系やオタク系に多いのだが、非現実的で具体性の無いソレを「夢」と定義づけるのである。つまり「果てしなくデカい夢を追いかけてる自分は、ショボい目標しかない有象無象共よりも偉い<(`^´)>」って上から目線に立つのもそうだけど。もう一つは「自分は未だ夢を追いかけてる最中→何も達成できてなくても、追いかけ続ける限り負けじゃない」っていう感じに、テメェのお花畑的思想を正当化するためである。でもって過小評価ってのは、巷に良くある「将来は公務員」っていう安定志向のソレである。夢を追っかけて失敗したら大いに傷つくし、傷ついたら変なレッテル貼られるから、だから敢えて夢を低く申告する。そうすれば達成感に欠けるのがアレだが、挫折だけは味わわない&安定した生活は遅れるってワケである。どちらにしろ、夢を叶えるって難しい。つくづくそう思う今日この頃であった。