ロンマニアの皆様、こんにちはm(_ _)m
「”叱る”と”褒める”というのは同意語だ。情熱や愛情が無いと、叱っても、ただ怒られているという捉え方をする」
By 野村克也
といった今日この頃、皆様はどうお過ごしでしょうか。
*親vs悪
何ちゅーか、最近は子供を叱らない方法が流行ってるみたいなのである。中には【たとえ万引きしたとしても、優しく諭せ】などと言う評論家もいるぐらいである。ワタクシはどちらかというと、叱らない方法には賛成である。ただし「人間の本質がホントのホントに善ならば」である。でもってワタクシは、人間の本質が善だなんてミジンコ程にしか考えちゃいない(笑)確かに人間の本質には善はあるんだろうけど、いかんぜん悪の部分が多過ぎる( ̄〜 ̄;)ワタクシは親の役目とは「自分の子供の”悪”の部分を明確に否定してやる」事だと思っている。子供のやる事が”悪”でなければ、あとは何をやったって自由である。
法律?ルール?不文律?表面上なら何とか出来るかも知れないが、心の中まで縛る事はムリである。完璧なルールなど存在せず、悪意のあるヤツはその穴を必死で探そうとするだろうからである。でもって、心の闇に踏み込む事は、他人には出来やしない。何故なら他人の心の中に踏み込むって事は、ある意味ソイツの人生に関わる事→命懸けでやる必要があるからであり、赤の他人にはソコまで踏み込む意義は殆ど無いからである。じゃあ誰がやるのか?答えは「親がやる」である。自分の分身だからこそ踏み込む権利と義務があり、命を懸けて自分の子供の心の闇と対峙するのである。こう言っちゃアレだが、この「叱らない子育て」とかやらにぶら下がってる親連中ってのは、子供と真摯に向き合えないだけなんじゃないかなとワタクシは思うのである。
*暑さでネタ切れ
書いてサブタイの如くである(笑)何せ暑い、暑すぎるのであるι(´Д`υ)こんな日にFSWやもてぎ行こうモンなら、確実に車内でミイラになる事必至である(^_^;)ただ前回走った時ついうっかりエアコン切らないまま走ってしまったのであるが、何と30分の走行枠中エアコンがシッカリ効いていたのであるy(爆&実話)流石にこの時期に試す気にはならない&コンプレッサーに馬力喰われるんでオススメは出来ないが、暑い時には有効な手段な気がしないでもない。さてネタ切れの時は、毎度おなじみのコレである:
アスペルガー医師ロンのど〜でもいい話・その84:本物のカウボーイ
年老いたカウボーイが、バーでウイスキーを飲んでいると
一人の女性が隣に座って彼に聞いた
「あなたは本物のカウボーイですか」
男はこう答えました
「ええそうです。これまでの一生をずっと牧場で過ごしてきました
毎日毎日馬を駆り立て、柵の修理をし、牛に焼き印を押して来たので
今のような私になったんでしょうな」
すると女性は意外な告白をして来ました
「そうですか。私はレズビアンなんです
これまでの一生をずっと女性の事ばかり考えて過ごして来ました
朝、目が覚めるとすぐ女性のことを考えます
シャワーを浴びてもテレビを見ても、毎日女性のことばかり考えて来たので
今のような私になったのだと思いますわ」
その女性が立ち去って暫くすると、一人の男性が隣に座って彼に聞いた
「あなたは本物のカウボーイですか」
「ずっとそうだと思って来たんですが、どうやら私はレズビアンのようです」
アスペルガー医師ロンのど〜でもいい話・その85:びっくりニュース
Q:世界を最も驚かせるニュースとは?
A:チリ東西分裂
アスペルガー医師ロンのど〜でもいい話・その86:偉大な作家
昔、男の子がいた。
大きくなったら「偉大な」作家になりたいというのがその子の望みだった
「偉大な」とはどういうことかと尋ねられて、その子はこう答えた
「世界中の人が読むようなもの、読んだ人が本当に心の底から
反応するようなもの、みんなを叫ばせ、泣かせ、嘆き、苦痛や絶望、
怒りに悲鳴を上げるようなものを書きたいんだ」
彼は今、マイクロソフトでエラーメッセージを書いている
アスペルガー医師ロンのど〜でもいい話・その87:希望
某所に手のつけられない荒くれの死刑囚がいて、看守達もほとほと手を焼いていた
そこで神父様が呼ばれたその神父様なかなか良く出来た人で、彼と独房で会う時に
聖書の中に小さな紙切れをしのばせていた
最初は「声を出すな。お前を救う作戦が立っている」とか言う感じで
彼はそれを見て神父はグルだと思い、自分のボスが助けてくれると確信していた会う度にメモが増えていった
「作戦は順調」とか「もうすぐだ」とか
そして最後の日に渡されたメモにはこう書いてあった
「作戦決行は最後の瞬間」
彼にとってこの世で最後の日
最後の夕食を食べ神父に最後の祈りを聞いてもらい
看守に引き連れられて電気椅子に向かい
最後に顔の前にカバーがかけられる瞬間まで彼は笑顔だった
彼の死後、荒くれだった彼をどうやって大人しくさせたのかと問われた神父は
その看守に答えました
「私は彼に『希望』を与えたんです」
・・・といった今日この頃であった。