アスペルガー医師ロンの日常

医師でもあり、アスペルガー症候群当事者でもあり、更には911GT3&ロードスター乗りでもあるワタクシのささやか(?)な日常

AN OVERDOSE OF DEATH...

 ロンマニアの皆様、こんにちはm(_ _)m


「負け犬じゃない人は、成功者にライバル心を持つ。こいつよりも上に行ってやると思う。自分が負けていることを自覚できているからだ」

By 高橋がなり(元ソフト・オン・デマンド代表取締役


 といった今日この頃、皆様はどうお過ごしでしょうか。


*ステーキ定食の在り方

 レストラン行ってステーキ定食頼んだら、肝心のステーキ肉は何とたったの150gしかないのである( ̄Д ̄;)そんでもって、欲しくも無いのにサラダやらスープやらパンやらデザートやらドリンクやらの副菜が少ないくせに矢鱈と種類豊富で、満足感は少ないくせに値段は3英世もする。アタマに来たんで「こんなトコもう二度と来ねーよヽ(`Д´)ノ」と担架切って別の店を探したものの、精々副菜のバリエーションが違うだけで「少ない主菜&矢鱈多い副菜&ムダに高い」の基本構造は変わらないのである(;´Д`)唖然としたので「何でこうなるんだo(`ω´*)o」と聞いたら「客は料理の味じゃなくて、店と雰囲気で選ぶから」「女性や老人や子供も取り込むため」「他の店もそうしてるから」という余りにも消極的な返事ばかり┐(´д`)┌


 余りにもくどい例え話でアレなのだが(笑)コレが今のニッポン製品に対するワタクシの素直な感想である。ワタクシに言わせれば、ステーキ定食で一番大事なのはステーキであり、ソレ以外は全てオマケなのである。ステーキとライスだけで良いから、値段を2英世まで下げて、肉を300gに増やす。あるいは4英世しても良いから、肉を500gに増やす。コレだったら、ステーキ定食を求める人→つまり肉をガッツリ食いたい人のハートを鷲掴みすること請け合いナシである。ワタクシはそう思うのであるが、どうやら売る方はそう思っていないのである。何故なら「少数だけどホントに好きな人に熱烈に愛される」よりも「浅くても数多くの人に好かれる」方が利益を出し易いからである。


 ソシャゲーもそう、アイドルもそう、ソレ以外も殆どそう。今のニッポンのヒット商品って「兎に角ライト層に幅広くアピールする」「イノベーションなんていらない。新しく見せかければ良い」「中身は伴わなくても”皆もやってる”っていう強迫観念的同調意識を刺激して買わせる」「コンテンツは長続きしないから短時間で畳みかけるように売る&素早く撤収する」の4つで説明付いちゃうのである( ̄〜 ̄;)昔みたいに「進化の副産物としての利益」じゃなくて、最初から利益オンリーなのである┐( -"-)┌ワタクシはソレが大嫌い故、身の回りからニッポン製品は年々減り続ける一方である。今んトコ、クルマが最後の砦になってるのだが、ソレも14年モデル次第で雲行きは怪しくなるのである(笑)


*「負けるもんか!」の真意

 さて、何時もながら長すぎる前置きはコレぐらいにしとくとしよう(笑)サブタイの意味であるが、ワタクシは負けず嫌いな人間は嫌いじゃないのである。ただしソレは「今回は負けたけど、次は勝つぞー(* ̄0 ̄)/」という気概を伴うモンであればの話であり、ワタクシが知る限りにおいては残念ながら少数派である。ワタクシの知る限り”負けず嫌い”って呼ばれるヤツの大半は「ただ単に負けを認めたくないだけ」である。弱いヤツは負けた惨めな自分を受け入れられないから反省もしないし、敗因の分析もしない。勝つための力も持っちゃいないし、ソレを磨くための努力もしない。ソレを「戦い続ける意思」だとか「頑固者」だとか「一途」という言葉でオブラートしてるのである。


 格闘技に例えれば、関節技が脱出不可能なぐらい完璧に決まっているのに、ソレでも尚「タップアウトしなければ負けじゃない!」って言ってるようなモンである。そんな事したら関節をブッ壊されるか、壊れなくてもタイムアウトと共に判定負け。つまり負けを認めなくとも、最終的には負けてしまう。ソレが負けを認めない事の愚かさである。モノホンの負けず嫌いってのは格闘技でもそうであるが、関節技を抜けられないのなら素直にタップアウトする人の事だとワタクシは思うのである。人生は格闘技と違って何回でもやり直せるし、何時再選を挑んだっていいし、何だったら別の道でチャレンジしたって良い。負けない事に拘り過ぎて、視野を狭くしてムダな時間を消費するなんてアホ臭いとしか言い様が無いのである。


 あともう一つ、負けを認めないヤツの何が愚かかって、そういうヤツの言い訳は大概「自分の正しさが何時か/誰か/何処か/何故か/何か証明される」だからである。本来の負けず嫌いみたいに「次はどうやって勝ちを掴みに行くか」っていう能動的なモンじゃなく「自分は間違っちゃいない。だから自分さえ根を上げなければ、きっと認められるはず」っていう根拠の無い他力本願。ソコがダメなのである。でもソレを指摘すると「窮鼠猫を噛む」って諺の如く逆ギレして来たり、ブログとかで泣き喚いて同情を誘ったり、中にはツイッターとかで「自分がこの世から居なくなって欲しいと思ってる人はRT」とか書くヤツまでいたりするのである(^_^;)当然、面倒くさいんでワタクシは関わりはしないが。


*新語「勝ち好き」

 故にワタクシは「負けず嫌い」の他に「勝ち好き」って言葉を新たに作るべきじゃないかなと思うのである。自分の至らなさと共に敗北を受け入れて、次に勝利するための具体的な目標を掲げ努力する人。テメェの弱さ故にテメェの負けを受け入れられず、何の具体性も無い他力本願の妄想に浸って現実逃避するヤツ。天と地ほどの差があるこの二つを同じ「負けず嫌い」で一括りにしたら、前者に対して失礼だとワタクシは思うからである。ワタクシが思うに、誰だって最初は弱いのである。じゃあどうやって強くなるのかといったら、負けを受け入れて強くなるのである。その事に気付きさえすれば、負けを認める事が苦痛にならなくなるってのがワタクシの経験上のソレである。


 ワタクシが何故この事に熱くなるのかと言えば、ワタクシの親族に実際そーゆーヤツ居たからである。ソイツは上記にあるようにプライドが高過ぎて負けを認められず、悪い事は全て他人や世の中のせいにして、自分に忠告してくれる上の人間を全て拒絶して、立場にモノ言わせて下の人間を黙らせてたのである。そうやって自分の殻に閉じこもって、何の結果も出せず年だけ取って、ある日突然病で倒れたのである。病で満足に起き上がれなくなって、死が目の前に迫ってて、もう逆転のチャンスはゼロだとやっと悟ったソイツは、残り少なかった理解者に対しひたすら号泣したんだそうである。でもって、病に倒れてたった1週間で、ソイツは亡くなってしまったのである(´-ω-`)勝ちたいんだったら負けを認めるっきゃない。そう確信した今日この頃であった。