アスペルガー医師ロンの日常

医師でもあり、アスペルガー症候群当事者でもあり、更には911GT3&ロードスター乗りでもあるワタクシのささやか(?)な日常

NOTHING TO GAIN

 ロンマニアの皆様、こんにちはm(_ _)m


「結局のところ、完全に健全な親子関係などありえないのだ。親子である限り、そこには“何か”あると思ったほうがよい」

By 香山リカ


 といった今日この頃、皆様はどうお過ごしでしょうか。


*家から出ても未だ独り

 ホント、親子関係は難しいモンである( ´Д`)=3・・・と独身のワタクシが言ったトコで、説得力ナッシングなのは百も承知である(笑)でも何ちゅーか【マコーレー・カルキン、脳卒中で死期近い父親との面会を拒否】って記事を読むと、ある意味ワタクシも似たような境遇にあるようなモンなので、マコーレーの気持ちはすんごく良く分かるのである(-_-;)死に際に親に会わなかったら一生後悔する?そんな親不孝者を周りがどう思うか考えろ?そう考える人は、恵まれた親子関係にある人だけである。マコーレーは「たとえ後悔して親不孝者と疎んじられようが、俺はお前が嫌いなんだ!」ってメッセージを父親に向けて発してるのである。つまりコレは、父親に対するマコーレーの復讐なのである。


 じゃあマコーレーが何を望んでるのかといえば、ワタクシが思うに「父親からの自分へ対する謝罪」である。ソレもただ単に口だけのソレではなく、父親の威厳をかなぐり捨てるレベルでの大謝罪。無論、謝罪したトコで父親がメチャクチャにしたマコーレーの過去が清算されるワケではないし、失ったモンが戻ってくるワケでもない。が、新しい未来なら築ける可能性があるのである。もう残されてる時間は少ないだろうけど、本来ある”父と息子”のソレとして親子関係を育んでいきたい。つまり謝罪とは、長年閉ざされて錆びついた心の扉を開けるための鍵なのである。錆びついてるから鍵を開けたトコで開くとは限らないし、開いたとしても人が通れるようになるためには労力も時間も要るが、でも鍵を外さなきゃ扉は決して開かんのである。


 でもワタクシも似たような境遇にあるから何となく分かるが、この手の親ってのは「自分がやった事は間違いだった」なんて決して思わんモンである(-_-;)子供の人生を支配したがるような親ってのは、ほぼ例外なく「自分は絶対に正しい」って思い込んでいるのであり、そう思い込んでるからこそ「自分の思う通りにやれば、きっと子供は上手く育つだろう」って”愛情”の下にが子供を支配するのである。つまり悪意だとかそんなんじゃなく、善意と愛情で支配してるのであり、ソコが問題なのである。だから自分の下を離れていった息子に対しても「きっと自分の言いたい事を分かってくれるはず」って信じてるから「会いたい」って言えるのである。


*子育てとルサンチマン

 子供に過度に厳しく接する親もそうであるが、その反対に子供に対し過度に甘く接する親も、根底にあるモンは同じだとワタクシは思うのである。ソレは「自分の理想とする完璧な子供像」ってのが根底にあるって事である。でもって、その手の毒親にとって、子供にソレを達成する事が生き甲斐になってるのである。厳し過ぎる親はネガティブな事をムリヤリ強制させるという手段で、甘やかしすぎる親はネガティブな事を親自身が排除するという形ではあるが、共に「子供にはこう育ってほしい」っていうテメェの勝手な願望を押し付けている事には変わらないのである。ワタクシが言うまでも無いが、ソレは愛情でも何でもなく、ただの一方通行なエゴである。


 じゃあ何故毒親がそんな事をするのかというと、答えは「ルサンチマン」だとワタクシは考えている。親自身の未熟さや過ちや実力不足による結果を受け入れられず、ソレを他人や社会や世の中のせいにして、そのルサンチマンを子供に託してるってワケである。つまり自分のやり方で育った子供が将来大成功を収めれば、ソレ即ち「自分のやり方は間違っていなかった、間違ってたのは他人や社会や世の中の方だった」って間接的な証明になるから、そういう親は子供に自分のやり方を押し付けるのである。もしこの様な親に出会う機会があったら、試しに酒を交えながら小一時間語ってみると良い。多分話の中身の殆どが他人の悪口か、世の中に対する不平不満になる筈だから。


 上記マコーレー・カルキンも多分ソレだとワタクシは思うのである。父親は元舞台俳優であり、名前を知られてないって事は売れない役者だったのであろうし、口にこそ出してないが本人はその結果を受け入れられなかったのであろう。だから息子のマコーレーにはこの上ない期待をしたし、息子が成功する事で「世の中も俺が正しかったって事を認めてるはずだ」って考え、ソコから更に「息子が成功すれば成功するほど、俺の正しさが益々証明される」って考えた挙句暴走してしまい、結果マコーレーの人生をメチャクチャにしてしまったってオチだったのであろう( ̄〜 ̄)父親の行動が「純粋に息子のため」ではなく「父親自身のルサンチマン解消のため」って気付けば、そりゃ絶縁したくなる気持ちも分からんでもない。


*オリジナルvsオリジナル

 コレの何が愚かかって、親のエゴを押し付けてる点もそうであるが、ソレより何より「自分自身のコピーを作ろうとしてる」って点にあるのである。書類でも音楽でもプログラムでも何でもそうであるが、コピーやレプリカってのはどんな形であれ程度の差こそあれ、必ずオリジナルより劣化する。だから百歩譲って子供を自分の思い通りに育てられたとしても、子供は決して親の望むような成果を上げる事は出来ないのである。でもって親は”本来の自分”を再現して欲しいから、自ずと自分が今まで築いてきた以上の結果を望む。つまり前提として完全に矛盾してるのだから、そりゃ上手く行くはずがないのである。人にあれこれ言う前に、先ずは鏡見てみろって話である。


 そう、オリジナルを上回りたいのであれば、オリジナルを作るしか方法がないのであり、ソレが子育てのあるべき姿だとワタクシは思うのである。親の役目は衣食住を保証する事と、義務教育をシッカリ受けさせることと、人や社会の道を踏み外さないように監視する事と、成人するまで全責任を負う事。ソレ以外は全部子供に任せるべきだと思うのである。ソレで失敗したり挫折したりしても、ソレは子供自身が負うべき試練であり、親は最低死なない程度の最小限のサポートで十分だとワタクシは考える・・・という事を独身のワタクシが長々と語ったトコで説得力皆無どころかマイナスなので(笑)早く子供を持った親の気持ちがリアルで分かるよう精進したい今日この頃であった。