アスペルガー医師ロンの日常

医師でもあり、アスペルガー症候群当事者でもあり、更には911GT3&ロードスター乗りでもあるワタクシのささやか(?)な日常

FATE OF NORNS

 ロンマニアの皆様、こんにちはm(_ _)m


「力が弱いと思っているから暴力に出る。自分の優位性への執着が手段を選ばせないのだ」

By 遥洋子


 といった今日この頃、皆様はどうお過ごしでしょうか。


サヨク時代の終焉

 遂にと言うか何を今更というか、ようやく朝日新聞が【慰安婦問題の報道に関する虚偽を認めた】んだそうである。この慰安婦問題云々に関してはマジメに勉強してるブロガーさんたちが既に色々議論してるので、不マジメ&不勉強がデフォのワタクシは余計な事を言わないでおくとしよう(笑)ワタクシが感じたのは「サヨクの影響力って、もうココまで低下したんだなぁ〜(^_^;)」って事である。コレが十数年前だったら、著名人が「吉田証言はデタラメだ」などと言おうモンなら、新聞やテレビやラジオや雑誌なんかがスクラム組んで一斉に引きずり落としにかかってたのを思い出すのである。たとえ「私がデタラメという根拠は云々」って話をしたくても、サヨク側の質量作戦でムリヤリかき消されていたのである。


 やっぱ何だかんだ言って、ネットの力は大きいと思うのである。ネットの良さは「何でも言える」事もそうであるが、ソレ以上に「誰でも言える」事のが大きいと思うのである。ネット初期の頃はHP開設したりブログ立ち上げたりするのにも手間がかかった→モノを言うためにはソレなりの手間&暇&気概が必要だったが、SNSが普及しだしてからソレも非常に容易になってるのである。今思えば、TwitterFacebookみたいな簡易SNSが流行り出した頃と、サヨクが凋落し始めた頃ってのは、よく考えりゃ被ってたりするのである。前にも言ったように、その発信された全ての情報に価値があるかと言われたら答えは「ノー」だし、明らかに価値が無いどころかマイナスなのも少なくないが、ソレでも一部の人間だけが情報を独占するよりも良いってのがワタクシの見解である。


*ギターvsブルドーザー

 自民党復活、特定秘密保護法集団的自衛権、消費税アップ、そしてこの慰安婦問題。流石にテメェの影響力が低下してるのが分かってるせいか、サヨク連中もテメェ等のアピールに必死なようである。つい最近【怒りのブルドーザーデモ】なる催しモンがあったそうである。曰く、ニッポン共産党がジジババばかりになっちゃったんで、若者を取り込むために色々やってて、その一環がコレなんだとか:



コレ観たワタクシの素直な感想は「ダメだこりゃ┐(´∀`)┌連中何にも分かってねぇ」ってトコである。ソレを一番よく表してるのがブルドーザー(正確にはホイールローダー)に書いてあった”THIS MACHINE KILLS FASCISTS”の言葉である。この言葉をホイールローダーに書いてあった事が、ソレ即ち「サヨク連中が何も分かってない&本質が何も変わってない」って事の何よりの証左なのである。


 因みにこの言葉には【元ネタ】があったりするのだが。聡いロンマニアの方ならば「この言葉はギターに書いてあったからこそ価値があるのであり、ホイールローダーに書いたら本末転倒」って事がお分かり頂けると思うのである。でもって、コレが元ネタの曲である:



どう考えても武器となり得ないギターに「この機械はファシストを殺す」って言葉を書く。つまりコレはウディ・ガスリーの「たとえ相手が最低最悪なファシスト共だとしても、俺は俺の武器である音楽のみで立ち向かう」っていう実に高潔な宣言なのである。よーするにレイジ・アゲインスト・ザ・マシーン(以後RATM)のコレと同じなのである:



でもホイールローダーは使い方によっちゃ人を殺せる。つまりホイールローダーにあの言葉を書くって事は、物理的な暴力をチラつかせてるって事なのである。物理的な暴力をチラつかせる事の何が愚かかって、つまりこーゆー事である:

ホイールローダーにあの言葉書いて物理的暴力をチラつかせる

ホイールローダーに書かれた何という禍々しいショドー!子供達しめやかに失禁!コワイ!」と通報される

ソレをキッカケに「市民の安心のために」を口実に一網打尽にされる

世間に権力の横暴を訴えるも「そりゃあんな言葉をあんなモンに書いてちゃしゃーないべ(´Д`)」と支持を得られない

( ゚Д゚)マズー

ギターにこの言葉書いて音楽で勝負する

「良い歌じゃん(^▽^)」と世間での認知も広まりメッセージも浸透する

脅威を与えてないんだから一網打尽にしようが無い

仮にしたとしても「非暴力のミュージシャンに何たる横暴o(`ω´*)o」と世間の反感を買う

(゚д゚)ウマー

というワケである。だからワタクシは「何も分かってない」って言っているのである。行動が本末転倒なのもそうであるが、何より自身の言葉を正反対の意味で用いられたウディ・ガスリーに対する冒涜だからである。正しい目的のためならば何をやっても良いワケじゃない。だからこそ音楽なのである。


*音楽と政治

 音楽で政治を扱う事について、ワタクシは概ね「是」である。ただし「シッカリした音楽であれば」の話である。上記のRATMもそう、ザ・クラッシュもそう、グリーン・デイもそう、U2もそうだけど、彼らの歌は政治的云々以前に、純粋に音楽として素晴らしいのである。音楽として素晴らしいから「政治には興味ないけど良い曲だから聴いてみよう(^▽^)」ってなるし、何百人に一人ぐらいは政治主張に賛同してくれるモンなのである。ワタクシの主張はRATMの主張とは正反対であるが、ワタクシはRATMの音楽は大好きだし、実際目の前に現れたら「RATMъ(゚Д゚)グッジョブ!!」って言うであろう(笑)いわば「素晴らしい好敵手」ってヤツで、優れたメッセージは考えるキッカケを与えてくれるからである。


 だが政治的な邦楽ミュージシャン、テメーはダメだである(笑)言っちゃ悪いが、ワタクシは邦楽でそういうのを聴いた事が無い。やれツイッターやブログや雑誌で何を言っただの、デモに参加しただの、ライブで延々と説教を始めただの、そんなんばっかである。ソレで「俺達はこんな真剣になってメッセージ届けているのに、誰も聞いてくれない!」なんて言われても、そりゃお前らが悪いって話である┐( -"-)┌ミュージシャンならば、先ずは政治に無関心なリスナーでも飛びつくような曲を書きやがれって話である。そうすれば、政治的メッセージの賛同者なんて後から幾らでも付いてくるのである。さて文句ばっか言ってると血圧が上がるので(笑)コレぐらいにしておこうと思う今日この頃であった。