アスペルガー医師ロンの日常

医師でもあり、アスペルガー症候群当事者でもあり、更には911GT3&ロードスター乗りでもあるワタクシのささやか(?)な日常

FUELED BY HATE

 ロンマニアの皆様、こんにちはm(_ _)m


「この世にあるもので、最も公平に分配されているのが良識である」

By ルネ・デカルト


 といった今日この頃、皆様はどうお過ごしでしょうか。


*不平等は格差に非ず

 2016年度の政治的イベントで最も大きくなるモンと言えば、今年中に大規模な戦争が起こらない限りは、ほぼ間違いなくアメリカ合衆国大統領選挙になるであろう。ワタクシは政治属性が薄いので、ココんトコの詳しい話は政治属性の濃い他のブロガーさんに任せるとしよう。ただいくらワタクシには関係無いとはいえ、やはり気になるモンは気になるのである。やきう属性があれば巨人ファンでなくても巨人の4番が誰だか気になったり、アイドル属性があればバリバリのもののふでもAKBのセンターが誰だか気になるのと一緒である(笑)何せ世界最強の国のリーダーの意向次第で経済が変わり、経済が変わればクルマの売れ行きが変わり、クルマの売れ行きが変われば今後乗るクルマも変わるのであるから、気にならん筈が無いのである(爆)


 一応主要候補(トランプ、クルーズ、ヒラリー、サンダースなど)の公約や主張を一通り目を通してみた&ココ最近のニュースや支持率も見てみたけど、1つ確実に分かるのは「アメリカ国民もこのアホみたいな格差社会を何とかしたい」って事である。曰く「格差のせいで不平等になってる」との事であるが、ワタクシはそう思わないのである。何故なら・・・

  • 格差のせいで不平等になってる → まちがい!
  • 平等だからこそ格差が生まれる → せいかい!

・・・という事だからである。人間に限らずどんなナマモノもそうであるが、各々違った得手不得手を持って生まれるモンである。だから競争がフェアであればフェアであるほど、チャンスが平等であれば平等であるほど、得手の人に富と名声が集中するようになる→結果として格差になるのである。だからマジメな人間が報われる社会ってのは、実は格差社会なのである。


*コンバットブロス

 だから格差問題の解決ってのは、実はすんごいジレンマなのである。格差を無くそうと思ったら意図的に不平等にしなければならず、不平等なシチュエーションにおいては誰も積極的に競争しないから、結果として社会が活力を失い全体が衰退する。このジレンマに一番上手く折り合いをつけられる候補者が勝つのではないかとワタクシは思うのであるが、そんな事は年末になってから再度論じればいいだけの話なんで(笑)話題を変えるとしようジャマイカ

PEACE COMBAT (ピース コンバット) Vol.11

PEACE COMBAT (ピース コンバット) Vol.11

ワタクシはクリス・コスタに興味は全くないんで、肝心の特集についてはパスである(笑)この前ワタクシが参加した【Gardenフェスティバル】に関する記事があって、ワタクシが少しだけ写ってた事だけは伝えておくとしよう(爆)コレだけに限った話じゃないが、どうもガン&ミリタリー系の雑誌は電子書籍化されないから面倒臭いのである( ̄〜 ̄)電子書籍だったら、うっかり買い忘れる事も無くなるのであるが。


新刊が出てきたので買ってきた次第である。やっぱ新車だけあってNDネタが結構多いのであるが、生憎カスタマイズも方向性が殆ど決まってしまってるため、参考になるモンが余り無いのである(^_^;)4点固定と車高調入れればもうNDの主なカスタマイズは終了であり、後は弄った事による細かい不具合の修正だとか、消耗品をどうするのかとか、そんなんしかないのである。マフラーは純正の音が気に入ってるし、元々NDは非力だからパワーアップしてもたかが知れてるんで、ホントやる事が余り無いのである。


*なぜ出る杭は打たれるのか?

 話を元に戻すとしよう。だから巷で「ニッポンが格差社会化した」って言われてるのは、この平等さと無関係ではないのである。やっぱ昔と比べても、ニッポンは随分と平等に自由になってるのである。ちょっとした不正や不平等があるとマスコミに叩かれるし、ネット社会やグローバリズム化によって海外の実例と比べられるようになってきてるし、アメリカとかが外圧をかけて規制云々を自由化しているし、やっぱ昔と比べニッポンはオープン&平等になってきてるのである。だからこそ実力がより一層素で評価されるようになり、技術が進んだおかげで少人数でも効率的に仕事ができるようになり、結果として優秀な少数の人間に仕事と給料が集中して、めでたく格差社会の誕生である。


 そう、昔のニッポンの「一億総中流」ってヤツは、不平等な社会だからこそ成立していたのである。社会の透明化や、機会の平等化や、物事の平等化が進めば進むほど、格差は埋めれてくるのである。でもってその事実を今のニッポン人が受け入れられるかと言われたら、ワタクシの見る限りノーである。何故ならニッポンの”和”ってヤツは格差が少ない→多少の差はあっても皆大体同じ→仲間意識があるからこそ成り立つモンだったのであり、格差が生まれれば”和”は成り立たなくなるからである。古人言うトコの「出る杭は打たれる」って言葉は、杭が伸び続ければ格差になり、格差が生まれればニッポン社会のキモである”和”が乱れる。やっぱ諺って面白いなと思う今日この頃であった。