アスペルガー医師ロンの日常

医師でもあり、アスペルガー症候群当事者でもあり、更には911GT3&ロードスター乗りでもあるワタクシのささやか(?)な日常

THE WILD, THE WILLING AND THE INNOCENT

 ロンマニアの皆様、こんにちはm(_ _)m


「人間の素質はみんな同じである。ただ環境が差別を生むだけである」

By ゲオルク・クリストフ・リヒテンベルク


 といった今日この頃、皆様はどうお過ごしでしょうか。


*逆差別もまた差別

 サブタイの言葉は、ワタクシが差別を語る時に好んで用いる言葉の一つである。ワタクシは色んな意味でマイノリティーな人生を送ってるため、この手の差別に遭遇する事が少なくないのである。だからこそ「差別はNG」がワタクシのモットーの一つなのであるが、その注釈として上記のサブタイがあるのである。こう言っちゃなんだが、世の中には逆差別が少なくないのである。特に先進国みたいに法整備や民主主義がシッカリ機能してる国とかじゃ「弱者の味方する俺/私カコ(・∀・)イイ!!」って考えでロクに内容を見ず弱い側に付いたりして、そして数が多ければ得られる力も多いから、ルサンチマンの一環として強者叩きの為に弱者に付くヤツが実に少なくないのである。



 その一つがこの番組である。もしこの番組の「障害者」と「健常者」を逆にしたら今頃とんでもなく炎上していて、番組のプロデューサーどころかテレビ局の社長まで辞任に追い込まれてた事であろう。だからこそワタクシは「逆差別もまた差別」と主張するのである。何故なら差別に逆差別をぶつけたって、相殺されてプラスマイナスゼロにはならないからである。ソレどころか蟠りが大きくなって、互いの距離がさらに広がるだけだからである。ただ単純に互いに干渉されたくない、分かってくれる人だけ分かれば良いって考えてるのなら話は別だが、生憎ワタクシはそう考えてはいないのである。ワタクシが目指してるのは「障害者に理解ヲー」のその先にある社会だからである。


*立ち上がり重視のスピードウィーク、速いクルマづくりのテクノロジー

 そう、ワタクシが目指してるのは「差異を意識しない社会」である。背が高いor低い、足が速いor遅い、歌が上手いor下手を語るのと同じ感覚で障害や出身を語る、そんな社会である。だから意識的に「障害者ガー、健常者ガー」と語る内はまだまだなのである。さて、この手のネタはウケが悪いので、ネタを変えようとしようジャマイカ

レブスピード 2017年2月号 (REVSPEED)

レブスピード 2017年2月号 (REVSPEED)

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 三栄書房
  • 発売日: 2016/12/26
  • メディア: 雑誌

やっぱ季節が季節だけにカスタム系の記事は減って、専らサーキット攻略系とタイムアタック系の記事が増えるのは、毎年のこの雑誌のお約束である。でもやっぱ本格的にNDで走るようになったせいか、最近はチューニング系の記事やらタイヤ系の記事やらが気になってしまうのである(笑)まぁ取り敢えずシーズン中は走る事に集中して、弄るのはシーズン終了後である。


Top Gear JAPAN 006 (トップギアジャパン)

Top Gear JAPAN 006 (トップギアジャパン)

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 三栄書房
  • 発売日: 2016/12/26
  • メディア: 雑誌

何だかんだ定期的に発売されるようになって、何時の間にかワタクシの愛読書の一つになりつつあるのである。やっぱ外国の雑誌はニッポンのソレとは切り口が違うから、同じクルマに関する記事でも観点が変わってて面白いのである。でもやっぱ、新しいNSXの感想は余り芳しくない事が気になる次第である(^_^;)因みにR35の初登場時に「次の911になる前にコレ買っとけ」って大絶賛したのもこの雑誌である。


年末のお約束のコレである。毎年買ってるから分かるんだけど、レースの世界ってホント日進月歩なのである(^_^;)毎年の様にトレンドが変わるし、効率やパワーや速さは毎年の様に上がっていく。やっぱレースってのは、長年やり続けてないと勝てないんだって事が良く分かる話である。



*脱・社会的ひきこもり

 こう言っちゃなんだが、今の障害者を取り巻く情勢ってのは、障害者をアンタッチャブルなモンにしようとしてるような気がしてならないのである。このままのやり方で行けば、多分差別は減るであろう。差別が減ると言っても「可哀想だから、差別は悪い事だから」って理由で減るのではなく「アイツ等と関わると色々と面倒だから」という理由でである。そうなると理解は進んでも、距離は更に広がってしまうってワケである。そうやって住み分ける事が良いのかと問われたら、ワタクシは断然「ノー」と答える次第である。人が成長しようと思ったら他人との関わり合いが、特に意見を違える立場の人々とのソレが重要なのであり、その事は障害者でも健常者でも変わらないからである。


 そう、障害者が障害者だけ&理解してくれる人間のみで固まるってのは、社会的に見ても不健全だからである。だからこそ、差別を逆差別で相殺する事はNGなのである。コレはワタクシが前々から言ってる事であるが、理解と受容は別の話なのである。理解されたからといって受容されるとは限らないけど、受容は理解が無くてもなされるモンなのである。現にワタクシの周りの人達も、発達障害を理解してない人の方が断然多いのである。だから真っ先に得る事を努力すべしは「如何に理解されるか」ではなく「如何に受容されるか」なのである。まぁこんな事言ってるから最近講演とかには全然呼ばれない→講演料で荒稼ぎできなくなってるので(笑)少しは反省しようと思う今日この頃であった。