アスペルガー医師ロンの日常

医師でもあり、アスペルガー症候群当事者でもあり、更には911GT3&ロードスター乗りでもあるワタクシのささやか(?)な日常

SOLAR SOUL

 ロンマニアの皆様、こんにちはm(_ _)m


「自分の顔が自分で見えないように、自分の心も自分では見えない」

By 田口ランディ


 といった今日この頃、皆様はどうお過ごしでしょうか。


*3浪ならおk?

 以前ネタにした東京医大の受験の件であるが、女性の点数を意図的に落としてただけでなく【3浪以上の男子までも抑制してた】らしいのである。ワタクシの見解は前にも言ったように「ゴールは兎も角、スタートラインに立つチャンスは全ての人に平等でなくてはならない」っていう理由で女子の入学抑制を批判していて、この件も厳密に言えば「たとえ3浪以上であろうともスタートラインは平等でなくてはならない」って事で反対な筈なのであろが、何故だろう、ワタクシは「3浪だったら抑制しても良いかも知んない(;´Д`)」って思ってしまうのである(笑)何故そう思うかといえば、世の中には盲目的に医者になりたいヤツや、盲目的にテメェのガキを医者にしたいヤツが余りにも多過ぎるからである。



 医者になれれば高収入で生活が安定する、だからなりたい。我が家は代々医者だから、息子or娘も医者にしたい。純粋な医学への興味?患者さんへの献身?ンなモンはハナッから無い。大変アレな言い方であるが、医大/医学部に行きがってるヤツには、こういうヤツが実に少なくないのである。学力が十分あって国公立へ入れるヤツならまだ良いが、問題は偏差値底辺のトコへムリヤリ入ろう/入らせようとしてるヤツである。何浪もして入学して、何回も留年しながら卒業して、国試でまた何浪もして、いざ医者になっても色んな苦労を抱え込む。ハッキリ言うが、そんなん誰も幸せにならないのである。本人も、家族も、患者さんもである。故に原則ダメだと分かってても「3浪以上なら抑えて良いかも」って思ってしまうのである。


*心の盲目って何ですか?

 いきなりでアレなのであるが、今のワタクシの気分は最悪なのであるε-(ーдー)ネタではなくマジな話である(笑)他人に何かされたのであればソイツにバシッと言ってやればスッキリするのであるが、自分がやらかしたのだとそうはいかないのである。しかもソレがワタクシ自身のアスペルガー故のやらかしときたから、自己嫌悪は当社比3倍である(´ヘ`;)具体的に何をやらかしたかはプライバシー云々故に語れないが、分かり易く言うと「心の盲目、心の近眼故に」と言ったトコであろう:

宣伝乙と言われればソコまでだが(笑)ワタクシの言う「心の盲目、心の近眼」についてはワタクシがこの雑誌に書いたので、そちらの方を参考にして欲しいのである。まぁ何ちゅーか、非言語的コミュニケーションが困難だってのは色々大変なのである(^_^;)


 例えばの話、目が見える人が立ち入り禁止の芝生に入って怒られたとしたら、怒られた人はどうするであろうか。まず自分の足元を見て他の場所には芝生が生えてない事が分かり、周囲を見回すと「芝生中は立ち入り禁止」って看板があり、ソレを見て「芝生の中には入って行けない」「逆に言えば芝生でなければ何処を歩いてもおk」って目の見える人は分かるのである。が、コレが目の不自由な人だったらどうなるかって話である。ただ単に「入るなッ!」怒られただけじゃ、次はどうしたらいいのかが分からなくなってしまうのである。だからどんなに気を付けても目の不自由な人は何度も芝生に入っちゃうし、その所為で「アイツは人の言う事を聞かないヤツだ」とか「順法精神が無い」とか言われてしまうのである。


 この「芝生」を「他人とのコミュニケーション」や「社会のしきたり」に置き換えると、アスペルガー含む発達障害の「心の盲目、心の近眼」がお分り頂けると思うのである。健常者ならば口に出さなくてもor文章に書きあらわさなくても分かる「口外/文外のニュアンス」ってヤツが、発達障害者には理解できないor理解し難いのである:

だから健常者ならば1〜2回怒られれば分かる「ソレがダメならじゃあ何をすれば良いのか」が分からないから、同じ様な事で何度も怒られる事になってしまうのである。同じポカをやらかすだけならまだしも、中には健常者だったら絶対やらかさない様なポカをやらかすようなヤツもいて、ソレが今回のワタクシなのである(笑)何ちゅーか、何故アレをやらかしてしまうのか、ワタクシ自身も良く分からないのである(´Д`)


*言葉に表そう

 こんな場合、じゃあどうすれば良いのかって話である。1つは「引きこもる」であり、冗談でも何でもなくコレが実に多いのである(´ヘ`;)そりゃ外に出さえしなければ、他人に怒られる事が無いのは当然の話である。でもって2つ目はワタクシがやってる事であるが「目以外の感覚をフル活用する」である。怒られた時に足の裏が柔らかかったり草の臭いがしたら、ソコから「ココは芝生」「芝生は入っちゃダメ」感じに、明確に芝生だと分からなくても「取り敢えずこうすれば怒られない」って記憶数のである。ただこの方法は問題があって、覚えるのに結構な手間と時間を必要とするし、判断精度は直視よりも落ちるし、怒られる減るとはいえ回数はまだ多いのである(^_^;)ショートカットもあるにはあるのであるが、ソレを言っちゃうとワタクシの商売あがったりなのである(笑)


 こういう事情があるからこそ、発達障害の支援って困難を極めるのである。例えるならば、目の不自由な人に色の違いを見極める方法を教えるようなモンである。目の見える人が色彩に関して「何故コレはこの色だと認識できるのか?」に大して「見れば分かる」以外の事が言えないのと同様、非言語的コミュニケーションに対しても「自然と感じる事を言葉にする事なんて出来るワケがないッ!」って感じになってしまい、健常者と発達当事者の話し合いってのは延々と平行線を辿る事になってしまうのである。だから感じる事を可能な限り文章化する事で、互いの溝を埋めるようにする。ソレがワタクシの提唱する「非言語の言語化」であり・・・流石にもう疲れたので(笑)さっさと寝るに限る今日この頃であった。