アスペルガー医師ロンの日常

医師でもあり、アスペルガー症候群当事者でもあり、更には911GT3&ロードスター乗りでもあるワタクシのささやか(?)な日常

REIGN OF LIGHT

 ロンマニアの皆様、こんにちはm(_ _)m


「永遠の平和を期待しつつ戦うほうが、解放を念頭に置くことすらなく隷属状態でいるよりはましである」

By アウレリウス・アウグスティヌス


 といった今日この頃、皆様はどうお過ごしでしょうか。


*汝平和を欲さば、戦への備えをせよ

 上記サブタイはラテン語の警句であるが、今のニッポン社会が忘れてる事でもあると思うのである。戦と言っても武力などの物理を用いたモンではなく、あくまで「ルールやマナーや倫理や論理に反する事は決して許されないッ!」って意志の事であり、反しようとする輩に対する凛とした対応と不服従の姿勢も含むのである。でも今のニッポン社会って「ケンカは良くない云々、和の精神ガー」の考え方が行き過ぎていて、その結果として変なヤツが何時の間にか組織のトップに収まってしまってるという事態が出てきてるのである。最近話題のニッポン大学理事長然り、ニッポンボクシング連盟会長然りである。ワタクシが思うに、アレは行き過ぎた和の精神とサヨク的人権主義がヤツ等をトップにしてしまったのである。


 本来ならばそういうヤツは、そうだと分かった瞬間にコミュニティーから弾き出されるモンなのである。が、ニッポンの場合は昔から「弾き出して分裂したら弱くなるだけでなく争いが絶えなくなるから、共通の目的(数を揃えて強いままでいる)の為に表面上は仲よくしよう」って理由で、反対分子を(余程アレじゃない限りは)抱え込んだ状態で和を保とうとするのである。その結果どうなるかって・・・

反対分子や不穏分子がコミュニティーの中に居たままになる

ソイツ等が徐々に徐々に支持や理解者を増やしていく

その中で主要ポストや大きな利権なども徐々に徐々に抑えていく

気が付いたら肝心要な部分を殆ど全部抑えられてて、真っ当な人等が隅に追いやられている

最終的にコミュニティーが乗っ取られ、独裁者君臨

・・・という事になるのである。上記理事長も上記連盟会長も、恐らくこのパターンでテメェのコミュニティーを掌握したんだと思うのである。コイツ等みたいな強引で豪快なヤツってのは見方を変えれば自信と勇気が溢れてるように見えて、思わず魅かれちゃうパターンが少なくないのである。テメェの意見に自信が無くて常に他人の様子を伺うような奴なら尚更である。


*和の精神vs洋の精神

 だから見方を変えれば、あの理事長や連盟会長ってのは、実にニッポン的な人物だとも言えるのである(笑)清濁併吞で大きな和を作って「我々に対し忠誠を誓う限りは一生面倒を見ていく」って約束する事で、忠誠を誓うヤツに対し組織の庇護による永遠の安心を得るのである。忠誠を誓ってれば引退後や退職後のポストも用意してくれるし、その子供の面倒まで見てくれる。繰り返し言うが、実にニッポン的なのである(爆)だからニッポンからブラック企業や悪しき体育会系があんだけ叩かれても無くならないし、他のコミュニティーも「あそこはヤバいけど、変に揉めてややこしくなるよりかはスルーしておこう(^▽^;)」って見逃してしまい、結果当該コミュニティーが更に濁っていくのである。



 昔のニッポンだったら、コレはコレで何とかなってたんだと思うのである。が、先日も述べたと思うが、今のニッポンは黒船がやってくる前のソレとは違って、欧米的価値観をメインに据えた人間皆平等&人権万歳の民主主義国家に生まれ変わり、憲法や法律もその価値観がベースになってるのである。でもってその欧米的価値観の基礎の一つがSi vis pacem, para bellum、つまり「汝平和を欲さば、戦への備えをせよ」である。アメリカなんかが典型的なソレだけど、アメリカが自由とは言ってもソレは「アメリカの基礎的価値観が許容する範囲内で」の話であり、ソコから逸脱すれば容赦なく追い出されるし、上から下まで逸脱者と事を構える事も辞さない。つまり”敵”と永遠に戦い続けているのである。



 ワタクシは常々「自由とは”何をしても良い”という事ではなく”してはいけない事をしない”という事」と言っているが、ソレはつまりそういう事なのである。完全なる自由なるシロモノは存在せず、あるのは常に「所属コミュニティーにおける規律の許容範囲内での自由」なのであり、ソコに所属しながら許容範囲を超えるヤツは「敵」なのであり、排除の対象なのである。どうしてもソレをしたいのならソレを許容するコミュニティーに移るべきであり、国や自治体が保証すべきなのはコミュニティーを移動する自由とコミュニティーを作る自由だけであり、コミュニティー内における完全な自由ではないのである。ニッポンの場合はこの「コミュニティーを移ったり作ったりする」って概念が希薄なので、どうしても組織内の完全な自由を模索してしまうのである。


*Theアンビバレンス

 だから今、ニッポンが選ぶべき道は2つなのである。清濁併吞の和の精神で行くか、濁との不断の闘争を繰り広げてでも清を高めていくかである。ワタクシが思うに、ニッポンで「中国や韓国や北朝鮮と仲良くッ!平和憲法の精神ッ!」って言いだすヤツが結構居るのは、この「清濁併吞の和の精神」って価値観が根強いからなんじゃないかと思うのである。こういうヤツ等は中国や韓国や北朝鮮に対し断固ノーを突きつける連中を「超保守的なネトウヨが云々」って言ってるんだけど、ワタクシに言わせりゃ前者の方がずっと保守的なのである(笑)欧米的な価値観を受け入れてメインにしてるつもりだけど、でも和の精神の魅力も捨てられないから、良いトコ取りをしようとしてややこしくなる。コレがニッポンの抱えてる問題なんじゃないかと思うのである。



 でもってワタクシはどっちを取るかと問われたら、答えは「清vs濁の世界」である。ちゅーのもワタクシはブログタイトルにもあるようにアスペルガー症候群当事者であり、ワタクシの見た限りでは和の精神の社会の中には、アスペ人間の居場所はあんま無いのである( ̄〜 ̄)だったら自分に合ったコミュニティーを作り易い、コミュニティーを移り易い社会の方が理想的だし、そういう社会は清vs濁な欧米的近代社会の中に存在しうるからである。和の精神の社会って思った以上にコミュ力がモノを言う世界であり、そんな世界の中じゃワタクシ等アスペ人間は生き難いのである。さてゴタゴタがあってアップするのが遅れてしまったけど、さっさと〆ようと思う今日この頃であった。