アスペルガー医師ロンの日常

医師でもあり、アスペルガー症候群当事者でもあり、更には911GT3&ロードスター乗りでもあるワタクシのささやか(?)な日常

T.C.B.T.

 ロンマニアの皆様、こんにちはm(_ _)m


「人は他人と暮らすために生まれてくるようなものさ。親と暮らす時間はごく少しだよ。親にとっては都合よく暮らしていく子供に育てるのではなく、他人と心地良く暮らす事の出来る子供に育てなくちゃいけないね」

By 神津善行


 といった今日この頃、皆様はどうお過ごしでしょうか。


*オフ会に行きたくない理由

 オフ会は全く行かないよりも、行った方が色々な経験が出来るから、一度は行っても損は無い。が、オフ会にのめり込むのは明らかに損である。ワタクシは昔オフ会とかによく顔を出していたのだが、最近めっきり行かなくなった理由がコレである。確かにオフ会は同好の士が集まるから自分に関係ある話や経験が沢山できるし、同じ趣向の人間とのコネも作る事が出来たりするのである。が、中にはこの「仲間を作りたいッ!」って気持ちが強過ぎるヤツも少なくなく、そういうヤツは概して「私を見てッ!私を理解してッ!私を褒めてッ!」って類の自己肯定感を求めてくるのである。何故そう言えるかって、ワタクシも昔はそうだったからである(笑)その事が分かって以来、ワタクシはオフ会に可能な限り顔を出さなくなったのである。


 クルマとか、特にR35レベルのソレとかならば経済力がフィルターと化すから人間関係トラブルも少なくて済むのであるが、カネの然程かからん趣味のオフ会とかは結構修羅場る事が少なくなかったりするのである。オフ会に人間関係を求めてくるヤツってのは概してリアルじゃ人間関係がダメで、ソコから「趣味の世界ならば自分を分かってくれる人が居る筈ッ!」って考えてるヤツが少なくないのである。でもってカネのかからん趣味は、そういうヤツ等の避難所になる場合が少なくないのである:

最初は互の事を何も知らないから純粋な善意で付き合えるし、多少の悪印象も我慢できちゃったりする

出会いを重ねていく毎に互いの事が良く分かる様になり、互いのイヤなトコがハッキリ見えるようになる

フツーの人ならば「妥協する」「空気を読む」「謙虚になる」などのスキルを駆使して和を保つ

ところが自己肯定感を求めるヤツはこの類のスキルが不足してる場合が少なくないから、和が保てなくなる

自己肯定感を求めるヤツに自己批判は出来ないから、自ずと他人や周囲を叩くようになる

その空気がイヤになり、人間関係スキルのある人は去ってゆく

真っ当な人間関係の出来ないヤツだけが残り、分裂と集結を繰り返す

( ゚Д゚)マズー

こういうのがあるからワタクシはオフ会には出来るだけ参加したくないし、他人にも「一度か二度ぐらいは参加しても良いけど、のめり込むな」とアドバイスするのである。趣味関係で人間関係を作りたいのならば、オフ会に参加した中で真っ当な人を見つけ出し、その人達と少人数でも良いから仲良くやってくのが吉だと思うのである。


*The忖度

 こう言っちゃアレなのだが、サバゲーチームに分裂と解散と結成がやたら多いのは、つまりそういう事なのである。ワタクシは今までサバゲーチームに3つぐらい参加してて、3つが3つともそういう事になったのである(笑)当時は分からなかったのだが、今となっては「3つが3つとも、少なからずワタクシが問題起こしてたんだなぁ(^_^;)」って反省させられるのである(爆)ソレ以来ワタクシはサバゲーチームなるモンには所属しないピンゲーマーとしてサバゲーを続けているし、同じピンゲーマーのロンマニアの方々と少人数で不定期に集まってやるようになって今に至ってるのである。自己肯定感を捨てる。たったコレだけの話だったのであるが、気付くまでに随分と時間がかかってしまったモンである(^_^;)


 サバゲー以外でもアイドル関係だとか鉄道関係だとかアニメ関係だとか、オタクが集まるトコにそういった変なトラブルがやたら多いのは、そういう事なのである。言っちゃ悪いが、この手の趣味ってのはコミュ力や身体能力や忍耐力や経済力などを必要としないから、ソレ等が無いヤツが集まり易いのである、でもってソレ等が無いヤツってのは、他人を思い図る能力に乏しいモンなのである:


ワタクシがこういう事やるヤツを好きになれんのは、この手のヤツ等に「こういう事をする事によって、同好の士にも嫌悪の目が向けられるかも知れない」って発想が欠落してるからである。要するに、自己中心的なヤツだって事である。合法か否か、正しいか否か、そういう事はどうでも良いのである。どんなに清く正しくとも、自己中なヤツとは仲良く出来ないのである。


 どんなに清く正しくとも、自己中なヤツとは仲良く出来ない。実に当たり前の事なんだけど、人間関係スキルに乏しいヤツにはソレが分からんのである。そしてそういうヤツは益々趣味の世界に没頭し同じ穴の狢との結束を固め、一般世間との乖離を益々広げていくのである┐(´-`)┌最近、某学園長が使った事で(悪い意味で)有名になった”忖度”って言葉であるが、ワタクシはソレの何が悪いのかサッパリ分からんのである。その結果として悪事に身を染めたら勿論NGだけど、相手の意図を思い図る事は大事だと思うのである。相手の事を思うからこそ自分の身を正そうとするし、その事が自分自身や自分が属するモンの評価を上げる事になる。繰り返し言うが、自己肯定感はゴミ箱に捨てるべきなのである。


*世界は差別と偏見で回っている

 こう書くと「そんなのは差別であり偏見だッ!」って反発されるだろうけど、ソレに対しワタクシは「差別と偏見だけど、何か問題でも?」と答える次第である。古今東西、世界は差別と偏見で回ってきたし、恐らく今後もそうであろう。確かに根拠の無い先入観によるソレは減るだろうけど、ソレでも完全に無くなる事はないと思うのである。30年を共にした夫婦がたった3日のケンカで離婚する事がザラなように、人間の本質なんてそんな簡単に分かるモンじゃないのである。だから大まかで判断するしかないし、その大まかな判断をする際に差別と偏見は少なからず影響してしまうのである。人間の本質を短時間で見分ける技術やノウハウが発見されない限り、差別と偏見が無くなる事はないのである。



 だから何か行動を起こす時は、その行動により差別や偏見が助長されないかを考えて行動しなきゃいけないのである。例えるなら、出かける時は戸締りをシッカリして、治安の悪いトコには立ち寄らないようにするのと同様である。確かに犯罪は起こしたヤツが悪いのは当然だけど、犯罪を完全に無くす事が出来ない&警察の治安維持能力に限界がある以上はある程度の自衛が必要であり、ソレを怠る事を批判されても仕方が無いって事である。その事を知る事が社会や世の中を知るって事であり、社会や世の中を知ってこそ良好な人間関係が築けるのである・・・という事を人間関係が全くダメなワタクシが言っても説得力皆無なので(笑)大人しく撤収するに限る今日この頃であった。