アスペルガー医師ロンの日常

医師でもあり、アスペルガー症候群当事者でもあり、更には911GT3&ロードスター乗りでもあるワタクシのささやか(?)な日常

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 ロンマニアの皆様、こんにちはm(_ _)m

「餓えた犬は肉しか信じない」
By アントン・チェーホフ

 といった今日この頃、皆様はどうお過ごしでしょうか。

集団主義者の生き様
 ポリコレだとかサヨクだとかフェミニズムだとか環境屋だとかLGBTQだとかBLMだとか、そういった類の活動には1つの共通点があるのである。ソレは「携わってるヤツ等の殆どが集団主義者」という事である。でもって強者および強者側の人間、特に先進国のソレってのは、根底に個人主義があるのである。個人主義者の場合、最も重要なのは「個人の最大公約数の幸福を追求すること」であり、ルールや法律の厳守は幸福追求の潤滑化において重要であり、主権が侵害されない限り他人は不干渉が基本であり、自由の行使に伴うリスクはテメェ持ちである。自由を使いこなせる人間にゃ天国であるが、そうでないヤツにとって厳しいのが自由主義である。

 じゃあ集団主義者において重要なのは何かって、答えは「自身の安全と安心と安定」であり、その為には集団を形成し、お互いを守り合うって事が重要になってくるのである。そしてソコから、集団主義者ならではの考え方が生まれてくるのである:

  • 人生で最も重要なのは、安定した環境の中で、安全かつ安心して生きていく事
  • そのためには法律やルールだけでなく、道徳的や倫理といった行動規範をも全員で共有する必要がある
  • その行動規範を明文化すると解釈の違いから分裂が生まれるため、敢えて曖昧にしておく
  • 問題が大きくなったその場合は、長老会や中央委員会みたいな”賢人達”が決める
  • 集団内の人間はソレ等の取り決めが正しいか否かを論じてはならず、兎に角信じなければならない
  • 信じられないのであれば、その集団に居てはいけない。異論は集団を分裂させる可能性があるためタブーである
  • 集団を守る為には、集団外で集団に仇成すヤツ等に抵抗しなければならない

なぜこの類の活動家やシンパ相手に話し合いが通用しないって、連中がハナッから話し合いを求めてないからである。もう連中の間では「何が正しくて何が間違ってるのか」は決まってて、ソレを揺さぶられる事は集団の瓦解に繋がるから、連中は必死こいて守ってくるのである。だからこの類のヤツ等を相手にするのに必要なのは「違法行為や主権侵害が無けりゃ好きにさせとく」であり、連中の意見は話半分で聞いとけばいいのである。

*ワクってきた
 サブタイに書いたように、コロ19ワクチン打ってきたのである。オミクロン株対応のヤツで、この前コロ抗体値測ったら予防率99%から90%の域に落ちてたので、念のため追加で接種したって話である。第5類になる事が決まった時に政府から支給される最後の無償ワクチンってのもあって、折角だから接種してきたのである。こう書くとSNSやら質問箱やらで変なのが湧いてくるんで事前に釘刺しておくが(笑)ワタクシのようなド末端に何を言ってもムダである。ワタクシを論破したトコで医学会は何も変わらないし、何だったら医学会の方がワタクシを切り捨てるであろう(爆)

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 もう何度も言ってる事であるが、ワクチンやマスクに文句があるのなら、やる事はただ1つである。ソレは「データ集めて論文書いて発表して、その賛否を学会に問う」である。厚労省や国の方針は基本的に従来の見解や全国の病院から得られた治療データ、および世界中の研究者から寄せられる論文を元に作られてるのであり、ソコに感情論や民意の入る余地は無いからである。医学は昔も今も、そしてコレからも科学であり、学問なのである。学問は「信じるか信じないか」ではなく「真っ当なやり方で導き出されたソレは信じなければならない」のである。

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 そう、上記の「集団主義者は云々」にもあるように、反ワクチン反マスクも根底にあるのは「ワクチンやマスクによって今までの安心や安全や安定を奪われたくない」っていう集団主義的な発想から生じてるのであり、そうすると当然だけど、学会で論文出し合って云々ってのは非常に困難なのである( ̄~ ̄)何故ならこの集団は「ワクチンやマスクは要らない」って信念を信じ合う事でメンバー同士の結束を深め安心を得る事が最も重要なのだから、どんなにエビデンスを示そうとも納得なんてしないのである。だからワタクシの見解も上記にある通り「違法行為や主権侵害しない限りはご自由に」である。

陰謀論の敷居
 人間不信や社会不信の強いヤツ、科学リテラシーの低いヤツ、脳ミソや心の弱いヤツ等々。そういうヤツの総数って、昔も今も変わってないと思うのである。ただ昔と今で大きく変わったのは、その敷居の低さである。昔はそういうカルトや陰謀論に触れる機会は少なかったし、触れるのも大概1人2人でだから、孤立に耐えられなくて結局元に戻ってしまうのである。でも今はネットとSNSが普及したせいでカルトや陰謀論に触れる機会が一気に増えて、しかもソレを共有できる仲間も簡単大勢見つけられるようになったから、敷居が一気に下がったのである:

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 でもってこういうのにハマると何が問題って、ハマるのが楽しい事がである。今まで濃厚な人間関係が無くフワフワしてた陰キャが強烈な一体感を得ると、その感動でドップリとハマってしまうのである。ンで、ハマり過ぎてヤバい事になったとしても、今度は抜けられなくなってしまうのである。抜けたら他の仲間から”反集団主義罪”で執拗に攻撃されるのもだけど、その一体感を失ったらまた元のクソ退屈なテメェに戻ってしまうからである。だからヤバいと分かってても、ワンチャン革命成就を願って進み続けるしかなくなるのである。世知辛い話だけど、弱さや無知は罪だと改めて思う今日この頃であった。.