アスペルガー医師ロンの日常

医師でもあり、アスペルガー症候群当事者でもあり、更には911GT3&ロードスター乗りでもあるワタクシのささやか(?)な日常

THE UNSPOKEN KING

 ロンマニアの皆様、こんにちはm(_ _)m


「自信とは、自分の能力や技量で物事が達成できるかどうかの見通しのことです。そして、見通しを立てるのは想像力です。自信のない人に共通しているのは、想像力に乏しいことです」

By ジョセフ・マーフィー


 といった今日この頃、皆様はどうお過ごしでしょうか。


*良く考えよう、クルマは大事だよ

 クルマ好きにとって、クルマは単なる移動の道具ではないのである。言うならば己の分身、魂のドッペルゲンガーである(笑)古今東西、クルマってのは家に次ぐ高額商品であり、だからこそホントに自分に合うモンだけを買う→自ずと自らのキャラクターが反映されるのである。だから世界史にクルマが登場して以来、クルマにこの上ない愛情を注ぐ人(通称エンスージアスト、略してエンスー)が後を絶たず、ソレがクルマ産業&クルマ文化&モータースポーツを支えているんだろうと思うのである。でもって最近【山口県立宇部高校で愛車に体操服落とされて教師キレた】という事件が起きた件についてであるが、ワタクシに言わせれば「この教師はクルマ好きなんかじゃない」の一言に尽きるのである。モノホンのクルマ好きなら、そのクルマのTPOを十分弁えているからである。ちょっと調べてみた所、この教師の乗ってた高級車とはどうやら【ポルシェ・カイエンS】だという話であり、もうこの時点でこのアホ教師がクルマ好きでない事は明らかである。


 一応ポルシェのクルマではあるが、カイエンってのは実用車である。同社のフラグシップである911ターボやGT2・GT3、及びそのクラスのスーパーカーに乗ってるような金持ちのオーナーが、普段使いの下駄として乗るクルマである。下駄なんだから使い倒すのが当たり前だし、汚れるのは至ってフツーの事である。つまりテメェのクルマの価値や正しい用途が分かっていない時点で、このアホ教師はクルマ好きではないと言えるのである。百歩譲って「ソレでもこのクルマは俺の宝物だから」という言い分を認めるとしても、ソレなら何故職場への足として使ってたんだって話である。そんなに汚れたり触れられたりするのがイヤなら、不特定多数が大勢いる学校なんて場所に乗りつけるべきではないのである。普段は車庫にちゃんと収納しておいて、職場へは別の方法で行けばいいのである。まぁテメェの愛車をテメェで管理できていない&収納するにしても下駄に対してそーゆー扱いをした時点で、どちらにしろクルマ好きではない事は間違いないのだが。


*クルマと自信の相互関係

 もう一つこの件で言える事は、このアホ教師は自分に自信が無いって事である。自分に自信が無いから身分不等応なクルマに乗るし、クルマでしかテメェの威厳付けが出来ないからソレで通勤するし、自分にはクルマしかない事を分かってるから汚された→自分を否定された気分になってキレるのである。上記で「クルマ好きにとってクルマは己の分身」と書いたが、ソコには1つだけ落とし穴があるのである。ソレは「クルマはカネさえ出せれば、自分以上の付加価値を上乗せ出来る」という事である。でもって、カネはムリすれば結構捻り出せるモンである。つまり本来の意味である「クルマは(主であるオーナー自身の身の丈に合った)己の分身」ではなく「己は(ブランドがあって社会的地位もある)クルマの分身」って感じに主従関係が逆転してるのである。自分に自信のあるクルマ好きだったら、自分のクルマをバカにされても「ソレが今の自分」って受け入れられるのである。ソレが出来ないって事は、自信が無いからである。


 こう言っちゃアレだが、この教師に限らず”自称・クルマ好き”ってヤツに、こーゆーヤツは少なくないのである。ワタクシが何時の間にかクルマ関係のオフ会を嫌うようになったのは、GDB時代にイヤというほどソレを見てきたからである。初めてのオフ会がスバル車のソレ、しかもインプWRX-STIのソレで、当時はまだインプ&ランエボ国産最強の時代だったんだから、どれだけ強烈だったのかは説明不要かと思われる(笑)勿論一番多いのがフツーのクルマ好きとして走りの良いインプWRX-STIを選んだ人とか、サーキット遊びが好きが高じてインプWRX-STIを選んだ人であり、実際ワタクシが存じてるロンマニアの方々もそういう風に乗ってる人が殆どである。が、少なからずいるスバヲタ、特にインプWRX-STI乗りのスバヲタの強烈さは想像を絶するモンがあるのである(爆)そのスバヲタ連中にほぼ共通してたのが、上記にある「自分に自信が無い」という点なのである。


 自分に自信が無いから「クルマ好きが好んで乗る」「スバル車の最高峰」「国産スポーツカー最速」であるインプWRX-STIに乗ってるのである。そーゆーヤツは「自分のドライビングスタイルが云々、自分の使用用途が云々」といった自分本位の理由ではなく、所謂「筑波サーキットでのタイムが云々」「最大馬力とトルク云々」とかいうクルマ本位の理由で選んでるのである。自分に自信が無いから会話やブログの中身は引用、特に権威のあるソレ(有名雑誌、有名ショップのオーナー、レーシングドライバー等)の引用が殆どで、テメェの言葉でテメェの考えを述べない。自分に自信が無いから打たれ弱く、些細な悪口や批判で凹む。自分に自信が無いから気の利いたユーモアやギャグが言えず、しょーもない自虐ネタで笑いを誘おうとする。だから見下せる相手は徹底的に見下し、自慢できる相手には徹底的に自慢する。そりゃまぁワタクシもGDB時代は色々ありました、ハイ(笑)


*ヒト>>>クルマ

 こういう事を書くと「お前も人の事言えるのか」と言われるが、全く以ってその通りである(笑)ワタクシにもそういう時代はあったのである。何ちゅーか「己はクルマの分身」って感じていて「チューニングでクルマをバージョンアップさせる=分身であるワタクシ自身もバージョンアップする」って本気で考えちゃうのである。みんカラとかやってると弄る度に「良いですね」だとか「凄いですね」とかいうコメントが来たりするので、尚更「クルマが褒められた=分身であるワタクシ自身も褒められた」って錯覚しちゃったのである。ワタクシ自身のバージョンアップは並大抵の事じゃ出来ないけど、クルマのバージョンアップはカネさえあれば出来る。ソレを見切っていた”師匠”からは「お前はクルマに乗られている」って忠告を受けていて、受けた当時は何の事だか分からなかったが、今考えると「そうか、こういう事だったんだ!」って気付かされたのである。


 やっぱ大事なのはクルマではなく、ヒトなのである。その事を”師匠”から教わって以来、クルマをムダに弄る事への意味を見出せなくなったって話である。クルマをいくら凄くしても、ワタクシが同等に凄くなきゃダメなのである。ウチの”師匠”は他にも「フェラーリは高級なスーツを着て乗るクルマ」とも言っていたが、つまりそういう事なのである。だから今のクルマはノーマルで乗り続けている。現段階でも未だに「愛車>>>ワタクシ」なんだから、弄るなんて以ての外である(笑)ソレでもノーマルがヘタれたら話にならない&コストパフォーマンスを考慮した結果、やっぱ弄る事にしたのである(爆)そう、以前言ってた「例のアレ」の件に決着付けてきたのである。選んだ基準は「自分に正直になって選んだ結果」とでも言っておくとしよう。コレが成功しようが失敗しようが、どちらにしてもネタ的には美味しいので無問題である(核爆)さていくらなんでも遅すぎるので、さっさと寝たい今日この頃であった。