アスペルガー医師ロンの日常

医師でもあり、アスペルガー症候群当事者でもあり、更には911GT3&ロードスター乗りでもあるワタクシのささやか(?)な日常

EVERY MAN FOR HIMSELF

 ロンマニアの皆様、こんにちはm(_ _)m


「賢い人には一言で足りる。言葉は多くても、その用はなさない」

By ベンジャミン・フランクリン


 といった今日この頃、皆様はどうお過ごしでしょうか。


*リアルvsポーザー

 どんな分野においてもそうだが、アタマの良い人の文章は面白いモンである。ワタクシが新たに何かに対して興味を持つキッカケってのは、大概その分野のアタマの良い人による、その分野の分かり易くて深い説明を聞いた/見た/読んだ場合が殆どなのである。内容の濃さと説明の分かり易さは相反すると思われがちなんだけど、実は両立するモンなのである。その反対に、アタマの悪いヤツの文章は何時読んでも苦痛である(-_-;)特にワタクシが一番嫌うのは、自分はアタマが良いと思ってる頭の悪いヤツのソレである。もう何ちゅーか、読んでる/見ている/聞いてるだけで異様に疲れてイライラしてくるのである(x_x;)ホントもう話の内容が無いよう・・・本格的に秋が来て冷え込んできた中、大変失礼しました、ハイ(笑)


 では「ホントにアタマの良い人」と「アタマが良いふりをしてるヤツ」の違いは何処にあるのか。ワタクシの知る限りをまとめると、こんな感じである:

          ホントにアタマの良い人                        アタマが良いふりをしてるヤツ
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 要点だけをキッチリ抑えられるから話が短い          何が要点かが分かってないからムダに話が長い

 相手のレベルに合わせて言葉を選んで話す          相手のレベルが分からないから終始自分ペース

 平凡な言葉で非凡な事を言う                    平凡な事を非凡な言葉で言う

 「理解できないのは自分の説明が悪いから」と考える     「理解できないのは相手のレベルが低いから」と考える

 同じ事してるように見えて、実は少しづつ進歩してる      ホントに同じ事の繰り返しで、進歩が全く無い

 思考が柔軟で、色んな考え方を理解&吸収できる       思考の柔軟性が無いから、同じ考え方に固執する

 反論されても相手の話を良く聞き、適切に返せる        反論されたら適切に返せないから、逆ギレする

 論破されても「いい勉強になった」と教訓にできる        論破されたらいじけて拗ねる

 失敗や敗北を受け入れて、反省して糧にできる         失敗や敗北を決して認めず、謎理論で勝利宣言する

 基本的に謙虚でポジティブ思考                   基本的に傲慢でネガティブ思考

この通りに考えると、ワタクシがまだまだ未熟モンである事がお分かり頂けると思うのである(笑)ワタクシはオタクだけどオタクが嫌いなのは、つまりこーゆー事なのである。オタクって人種は概して「知的な自分」をアピールしたがるのだが、その殆どが知識量だけ多くてソレを処理する知性が追いついてない、上記の「アタマが良いふりをしてるヤツ」と化してるからである( ̄〜 ̄;)ググれば分かる事を延々と並べたてて、でもまとまってなくてムダが多いから、話聞いてて疲れるのである。


*自由はタダに非ず

 話は変わって、ようやく【閃の軌跡】が終わったから【グランド・セフト・オート5】やり始めて1週間経つのであるが、予想通りの神ゲーだった事を手始めに報告するとしよう。このシリーズの何が面白いのかを一言で説明すると、ズバリ「リアルで抱えてるドス黒い衝動を、自分の思うが儘にブチ撒ける快感」といったトコであろうか;

人間誰しも果てしない欲望だとか、口に出すのも憚られるようなドス黒いモンを、多かれ少なかれ心ン中に持ってるモンである。スピード制限を無視してクルマをアクセル全開でカッ飛ばしてみたい、銀行強盗して大金得て高級品を死ぬほど買いたい、ムカつく偽善者を思いっきりブン殴りたい等々。このゲームの魅力ってのは、そのカタルシスを最大限に解き放つ事にあるのである。


 よくこのゲームに対する反対論として「一般人を殺して楽しむのは如何か」ってのがあるが、要点からしてズレてるとワタクシは思うのである。このゲームは「ゲーム性を高めていった結果として、一般人も死ぬようになってしまった」のである。例えば「銀行強盗して大金得たい」って目的果たすなら、銀行内に一般人がいなきゃ変だし、警察が駆けつけないのも変である。でもって銃撃戦になれば警官が死ぬのは当たり前だし、流れ弾に当たって周囲の一般人が死ぬのも当たり前である。つまりこのゲームの「一般人が死ぬ」ってのはゲーム性やリアリティを追求した上での結果論であって、決して目的にはしていないのである。


 ヤクザを題材にしたゲームを作ってるニッポンのゲームクリエイターが、このGTAシリーズを事ある毎に批判してるらしいのであるが、ハッキリ言って「嫉妬乙」としか言い様が無いのである。このクリエイターの作った「ナントカが如く」シリーズも一応1〜3までやったのであるが、何ちゅーか「自由とは何か」が全く分かってないのである。自由とは「やりたい事をやる」ではなくて「やってはダメな事をやらない」という事なのである。英語の格言に"Freedom is not free"とあるが、正にソレである。ソレがGTAシリーズでは見事に再現できているが、かの「ナントカが如く」では全く再現されていないってのがワタクシの感想である。まぁこの「ナントカが如く」に限らず、和ゲーは殆どそうなのであるが。


*籠の外の苦労

 よく不自由な様を表現するのに「籠の中の鳥」というが、果たしてホントに不自由なんだろうかって話である。では、その鳥を籠から放ったらどうなるのか?エサも自分で探さなきゃならなくなるし、巣も自分で作らなきゃならないし、天敵の攻撃を自分で凌がなきゃならないし、別の人間に捕まって再度籠に入れられるなんて事もある。だから自由にやるってのは一見気楽に思えるけど、実はすんごいリスクが高いのである。外人、特にアメリカ人はその事が良く分かってるから、洋ゲーにおいてもソレがちゃんと再現されているのである。確かに籠の外は厳しいけど、上手くやる方法さえ見つかれば、籠の中のなんぞ比べモンにならんぐらいの成功が得られる。ソレこそが洋ゲーの魅力だとワタクシは思うのである。


 でもニッポンでモノホンの自由を提示すると「不親切だ」とか「義理人情に欠ける」とか言われてしまうのである┐(´д`)┌よーするにニッポン人の本音ってのは「モノホンの自由が欲しい」のではなく「より大きな籠&より美味しいエサと水をよこせ」ってトコなのである。だから和ゲーとかで「自由度が高い」って言っても、ソレは基本的に「籠の中で」という制限がついていたりするのである。でもってワタクシが求めてるのは籠の外のソレであって、籠の中ではないのである故、プレイするゲームは専ら洋ゲーになってしまったってワケである。さて、コレ以上話を続けると「ロンもやっぱりアタマ悪い」って言われかねないので(笑)さっさと撤収するに限る今日この頃であった。