アスペルガー医師ロンの日常

医師でもあり、アスペルガー症候群当事者でもあり、更には911GT3&ロードスター乗りでもあるワタクシのささやか(?)な日常

THE ART OF BALANCE

 ロンマニアの皆様、こんにちはm(_ _)m


「みんな人に期待したり、”なぜ英雄は出ないのか”などと、そんな事ばっかり言っている。自分こそがとは誰も言わない」

By 岡本太郎


 といった今日この頃、皆様はどうお過ごしでしょうか。


*理想的な我が分身

 民衆が英雄に求めるモンは何か?ワタクシはその一つに「理想的な自分の分身である事」があると思うのである。心理学用語で「同一化」っていうのであるが、自分の勇気の無さや実力の無さをから来る鬱屈した気持ちを、ソレを持つ人に陶酔する事により解消しようって心の在り方である。分かり易いのが野茂英雄のソレである。野茂があの独特なトルネード投法を用い、屈強なメジャーリーガー相手に三振の山を築いて、実績を以って自分を追放した旧態依然のNPBに風穴を開け革命を促す。ソレは個性出したくても怖くて出せず、力が無いから強い相手と戦えず、権力に対し泣き寝入りしかできないサラリーマンにとっては、正に「自分がやりたかった事を代わりにやってくれる英雄」なのである。


 そして自分がダメであればダメであるほど、その英雄により深く陶酔すれば陶酔するほど、英雄が得た栄光がより強く自分のモンの様に感じられるってワケである。アイドルやロックスターの追っかけやってるヤツが偉そうな口利く割には豆腐メンタルで、常軌を逸脱して音楽やコンサートに没入して、スターが死んだら後追いするようなヤツまで出てくるのも、つまりはそーゆー事じゃないかなとワタクシは思うのである。だから英雄ってのは実績もそうであるが、出てくるタイミングも重要なのである。ジミ・ヘンドリクスはあの時代に生まれたからこそ英雄になれたのであり、もし現代に生まれていたら「ギターの超上手い黒人」って感じに、評価はされるけど英雄にはなれなかったんじゃないかなと思うのである。


 あともう一つ、英雄に重要なのは「同一視するに丁度良いこと」だというのがワタクシの考えである。例えば朝青龍とか亀田興毅なんかは「強いっちゃ強いんだけど、こんなDQNを自分の分身にゃできねぇよ(´Д`)」ってなるし、かといってミハエル・シューマッハセバスチャン・ローブだと「完璧超人過ぎて、何つーか自分とは違うナマモノって感じ(´Д`)」ってなるのである。アイルトン・セナ長嶋茂雄があんだけの英雄になれたのは、やはりこの二人が余りにも人間的だったからだと思うのである。完璧そうに見えても何処か抜けていて、強いんだけど何処か脆さがあって、時折理屈の付かないような行動をする。そんな人間だからこそ「自分と同じだ!」って気持ちにさせるのではないであろうか。


アバターたちの冬季五輪

 そう、人はゲームで言うトコの自分の分身、つまりアバターとしての役割を、モニター前に居るスポーツ選手に求めているのである。そういう意味で考えると浅田真央キム・ヨナってのは、其々の国の人々にとっちゃ実に理想的なアバターなのである。両国民がフィギュアスケートであんだけ大騒ぎするのも、その後【採点を巡って一部のヤツがバカやらかす】のも、つまりそういう事である。連中は判定が正しかったか否か以上に、キム・ヨナを通じて栄光体験を味わう事が出来なかった事に対して怒ってるのである。そうでなければ、向こうはこっちを知らないであろう赤の他人のためにココまでやろうとはミジンコ程も考えんはずである。人間ってナマモノが必死になるとすれば、ソレは常に自分のためだけである。


 まぁ何ちゅーか、愚かだとしか言い様がないのである┐(´д`)┌こんな事したって判定が覆るワケでもないし、百歩譲って覆ったってテメェの栄光には決してならないし、ソレより何より「この事で一番迷惑を被るのは他ならぬキム・ヨナ」って事が全然分かってない。まぁこんなバカなことした連中にとっちゃ、キム・ヨナの栄光や、今後の彼女の幸せなんてどうだっていいのである。テメェの忠実なアバターとして働いて、何も出来ないテメェに変わって栄光や名声を代理達成してくれりゃ、別にキム・ヨナでなくっても誰でも良いのである。ホント、愚かだとしか言い様が無いのである┐( -"-)┌だからワタクシはテレビでオリンピック見る場合は、競技部分しか見ない事にしてるのである。


*ヨソはヨソ、ウチはウチ

 どんなに些細なソレでも全然構わんから、テメェの栄光はテメェで掴むべし。ワタクシはそう思う次第である。ワタクシにとっての英雄とは「栄光への手本」である。どんな分野でもそうであるが、栄光を掴んだ人間ってのは「栄光を掴むための何か」を確実に持ってるのである。ワタクシは英雄たちの活躍をつぶさに観察し研究し、ソレを自分のモンとして取り入れたい。だからワタクシは英雄が何処の国籍かなんて考えた事すらない。大事なのは「その英雄がワタクシにどのような手本を示してくれるか」だけである。上記の「人間ってナマモノが必死になるとすれば、ソレは常に自分のためだけ」ってのは、言うまでも無くワタクシもそうなのである(笑)


 あとアバターに栄光を代理させる事の問題は「栄光を得られる保証は無く、得られたとしても自分の望むようなソレとは限らず、得られなかった時のストレスがハンパ無い」って事である。得たいモンを自分で制御できないんだから、そりゃそーなる筈である。でも自分で掴みに行けば確実に得られるし、自分の欲しいモンだけを狙い撃ちに出来るし、得られなかったとしても何時でも再チャレンジできるからストレスも少なくて済む。結局アバターに栄光を代理させたいヤツの根底にあるのは「自分が傷つきたくない」ってソレであり、ワタクシの知る限りでは傷ついたって大した事は無い。世の中、度胸のある人間のが楽しく生きられる。つくづくそう思う今日この頃であった。