ロンマニアの皆様、こんにちはm(_ _)m
「基本を忘れるな――非常に簡単な言葉だが、この一言に経営のカギが集約されていると思う。奇をてらった企画商品が少しくらい売れたとしても、本業に対する興味と愛着を忘れないことが大切だ」
By 重光武雄
といった今日この頃、皆様はどうお過ごしでしょうか。
*硬い足って何ですか?
先日ロードスターとS660の話してたら、某ロンマニアの方から「今度の【新型シビックTypeR】どうよ?」と聞かれたので、その疑問にお答えする所存である。その答えは「ホットハッチは3ドアこそジャスティス」である(笑)ワタクシが独りモンなのと、荷物を沢山積む機会なんて殆ど無いから、運転席から後ろのスペースは殆ど必要ないからである。欧州車ハッチバックなんかはソコんトコ非常に上手で、ちゃんと1〜2名+α分の丁度良いハッチバックが多数あるのだが、生憎ニッポン人ってのは要らん機能がゴチャゴチャ付いたガラケーだとかテレビリモコンとかをありがたる民族である(爆)ワタクシ的には、ドアは3枚以外は重くなる、剛性が下がる、ホイールベースが長くなる等々、ムダ以外の何物でもないって話である。
あともう一つは”足回り”である。以前のモデル(FD2型)のTypeRなら乗った事あるのであるが、兎に角足が硬かったのである( ̄〜 ̄)バネレートは然程でもない(前4.8k、後6.5k)筈なのに、何故だか08年モデルのR35(前17k、後8k)よりも硬く感じるのである。今となって分かった事だが、ダンパーが強過ぎるのである。ダンパーが強過ぎるからブレーキング時の縮み始め&縮み終わりの時にガタンという大きな衝撃をダイレクトに感じてしまい、ソレが長く乗ってると疲れさせるのである。特に今回はニュル北タイムを猛烈に意識してるソレだから、ダンパーも締め上げてるんじゃないかと勘繰ってるワケである(^_^;)前にも言ったが、バネの硬さと乗り心地ってのは、相反するようで実は両立するのである。
*本業あっての副業
話は変わって、先日【来月25日に行われるNHK主催フォーラム】の打ち合わせにワタクシも参加したのである。ココまで大きい規模のソレに参加するのは、数年前に参加した【世界自閉症啓蒙デー】以来である(^_^;)流石に今回は規模も大きい&何と言っても天下のNHK様主催なんで、打ち合わせも多くなる次第である。でもって担当プロデューサーと話してワタクシが改めて思った事は「当事者としての講演含む各種活動ってのは副業であるべき」って事である。自閉症スペクトラム(アスペルガーはこん中に含まれる)の概念がココ数年で爆発的に広まって、ワタクシ含む色んな当事者が表へ出てきて講演したり、本を書いたり、あるいはNPO立ち上げたりしてるけど、ソレは本業としてやるべきではないと思うのである。
ワタクシが思うに当事者としての各種活動ってのは、シッカリとした本業があった上で、副業として初めて成り立つモンなのである。本業がシッカリしてるって事は、社会人としての義務をシッカリ果たしてるという事であり、ソレ即ち「障害を持ちながらも真っ当に社会参加をしている人である」というお墨付きなのである。そのお墨付きがあるからこそ、その人が講演する事に意味が生まれるのである。でも講演の出演料だとか、本の印税だとか、あるいはNPO立ち上げ時に貰える政府の補助金とかで食って行こうと企む”プロ当事者(あるいはプロ当事者志望)”が少なくないのである( ̄〜 ̄)こう言っちゃアレだが、プロ当事者になりたがるヤツの相場は決まってる。本業が無いか、あるいはあってもショボいヤツである。
ワタクシも当事者として同じ目にあってるから、気持ちは分からんでもないのである(^_^;)物心ついてから今まで健常者と不理解な社会に翻弄されて、世の中の隅っこに追いやられて膝抱えて泣いてたヤツが、今の発達障害ブームの到来と共に体験談が持て囃されて、周囲から拍手され同情されチヤホヤされるようになるのであるから、そりゃ舞い上がって勘違いしない方が難しいってモンである(笑)こうなると勘違いしたヤツは「自分は正しかったんだッ!他人や社会のが間違ってたんだッ!」って思うようになり、酷いのになると「自分は当事者会の救世主だッ!自分が世の中を正すッ!」とか勘違いするヤツも出てくるのである( ̄〜 ̄)が、改めてもう一度言うが、社会性に乏しいニートや引きこもりに世の中なんか変えられないのである。
*ブームの終焉
ワタクシがプロ当事者の登場に反対する一番の理由は何か。その答えは「ブームは何時か必ず終わるモンであり、この発達障害ブームも例外ではないから」である。今は発達障害の知名度自体が然程じゃない&ソレを何とかできる専門家も少ないから、こうして当事者の生の声が重宝される&当事者(及びその家族)によるNPOなどの活動が役に立ってるが、このままブームが続いて十分に認知されたらどうなるかって話である。ワタクシの予想は「当事者及びその支援者の仕事は、やがて行政の公共サービスや民間企業のサービスに取って代わられる」である。前者は何処まで行ってもアマチュアだけど、後者はれっきとしたモノホンのプロである上に、インフラもカネもあるからである:
講演などの啓蒙活動で発達障害の認知が広まる
↓
認知が広まると、自ずと社会も対応するようになる
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社会が対応するようになると、自ずとその道のプロが育成され、配置されるようになる
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プロによるムダの無い効率的な支援やサービスが始まるようになる
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当事者と支援者の活動は、ソレがアマチュアのモンである限り出番が激減する
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当事者は元の場所に戻る事になる
↓
\(^o^)/
って事である。ワタクシの世代の医師国家試験には発達障害の”ハ”の字も無かったが、今じゃ当たり前のように国試に出題されるようになってるのである。つまり10年〜20年後、今の世代がニッポン医療の中心に立つ時代になったら、自ずと殆どの医師が発達障害の知識がある状態になるのである。恐らく医師以外の職種でも、同様の事が起きてるであろうとワタクシは考えている。そうなると、もう素人の出番は自ずと激減するのである。
そう「本業が大事」ってのは、この時代が来る事を見越しての事なのである。ブームが終われば、当事者は元の場所に戻る事になるのである。本業がある人ならば、そのまま本業で食って行けば良いだけの話である。が、当事者活動が本業となったプロ当事者は、当事者活動を失ったら何が残るんだって話である。そう、何も残らんまま、膝抱えて泣いていた場所へ逆戻りするのである。だからワタクシは昔も今も「当事者の自立」「社会との繋がり」を訴えてるし、今後も訴え続けるつもりである。一発逆転で全てを得られるのは、そのチャンスが巡って来る前に、全てを手に入れるだけの実力を磨いてきた人間だけであり、何もしてない人間がソレを得る事は無い・・・と本業がサッパリなワタクシが言っても説得力皆無なので(笑)さっさと寝るに限る今日この頃であった。