アスペルガー医師ロンの日常

医師でもあり、アスペルガー症候群当事者でもあり、更には911GT3&ロードスター乗りでもあるワタクシのささやか(?)な日常

TOTENLIEDER

 ロンマニアの皆様、こんにちはm(_ _)m


「進歩とは、価値の置換によって生ずる錯覚にほかならない」

By ジョルジュ・ブラック


 といった今日この頃、皆様はどうお過ごしでしょうか。


*ワルからオタクへ

 つい最近読み始めた「湾岸ミッドナイト(以後湾岸)」であるが、ようやく8巻まで読了した次第である。まぁ何ちゅーか「そうそう、クルマが一番熱かった時代って、こんなんだったよなぁ〜(^▽^)」って思わされるのである。バブル末期で社会にカネが溢れていて、免許取りたての18の若造がBNR32を鬼のフルローンで買えるぐらい社会が楽観的で、若いヤツが挙ってクルマ買ってた時代の話である。その頃チューニングやら走りやらに精を出してたのって、基本的に世間じゃワルだとか不良だとか(今だとDQNだとか)言われてた連中であり、ソレ故に広まったのだとワタクシは思うのである。何故ならワルや不良ってのは「大人や社会に対する反抗のシンボル」とか「自分に正直に生きてるヤツ等」といったアウトロー的イメージがあるからである。



 でもってアウトローってのは、実は結構モテるのである。人間ってナマモノは理性に生きながらも、やっぱ根底にはナマモノとしての本能があるのである。即ち「エキサイティングな異性と結ばれて、強い子孫を残したい」っていう本能である。だからワルや不良の文化ってのは、嫌われながらも「反抗のシンボル」として受け入れられ、チューニング文化もその一端として受け入れられてるのである。でもって時は流れ、バブル期から経済停滞期に突入して、ワルや不良の文化がドリフトやストリートレースから別のモンに移って行き、そして上記の湾岸や頭文字Dといったマンガ&アニメ&ゲームから一週回って「クルマは反抗のシンボル」って事に気付いたオタクがそのイメージに飛びつき、ソレが現在である(笑)



 でもってオタクの何が問題かって、嫌われる上に、受け入れられない事である(笑)不良やワルってのは上記にもあるように、社会へのアンチテーゼという側面があるが故に嫌われつつも受け入れられているのだが、オタク文化にはソレが無いのである。ワタクシは現役のオタクだから分かるのであるが(爆)オタクの根底にあるのは「社会への無関心」なのである。三次元世界に見切りをつけて、二次元に居場所を見出し、同じ志の仲間と通じ合う。社会を良くしようとも悪くしようとも思わず、自分のエゴ以外には興味が無い。でもってソレ故に「スポ車弄り=オタク文化の一端」ってなってしまったのだから、そりゃフツーの人は引くワケである┐(´∀`)┌


*チューニングカー時代の終焉

 ソレと同時に湾岸読んでて思ったのが「あぁ、やっぱチューニング文化は終わる運命にあるんだなぁ(´・ω・`)」って事である。無論、完全に無くなる事は無いにしても、規模は80年代〜90年代と比べるとグッと小さくなって、一部のマニアな人のためのマイナー趣味になるんじゃないかとワタクシは考えているのである。理由は前回も述べたように、クルマの進化にチューナーがついていけなくなってしまってるからである。クルマは化石燃料内燃機関で動くモン。クルマは鉄とアルミで作られたモン。クルマは自分で運転するモン。クルマの機構は機械的に制御されるモン。そういった従来では”常識”とされていたモンが、時代の流れと共にそうじゃなくなってきたからである。


 今はまだスーパーカーとかの高級車種だけだけど、DCTたAMTとかの自動変速装置や、電子制御式のアクティブサスとかアクティブデフとかは最早標準装備である。でもってチューニング屋は、コレを超えるようなアクティブ式のチューニングパーツを作れるのか?ワタクシが見た限りだと「ノー」である。R35のチューニングもソレであるが、折角純正でアクティブサスが用意されてるのに、社外で入れられるのは昔ながらの車高調だけ。何ちゅーか、ジェット機のジェットを取り外して、ソコにプロペラを埋め込まれた気分なのである(笑)でもって電子制御系は今後も増えるだろうし、スーパーカーや高級車より下のグレーのクルマにも標準装備される時代は確実に来るであろう。その時、チューニング屋はどうするんだって話である。



 空力なんかもそうである。R35もそうなのであるが、ヘタに社外エアロを入れようモンなら、冷却が悪くなったり最高速が落ちたりする。メーカーが提供する以上の空力的ソリューションを、社外のソレが追いつけなくなってしまってるのである。でもってボディーだってハイテンやアルミが年々増えてるだけじゃなく、最近じゃ【カーボンシャシーまでも量産されるようになった】のである。もしソレが広く一般車にまで広がるようなら、従来チューニング屋で行われてきたスポット増しやら補強パーツやらは意味を成さなくなるって話である。でもってそういう流れは「来るか来ないか」ではなく「いつ来るのか」である。空力と軽量化にデメリットは無いのだから、各メーカーは間違いなくソコに辿り着くからである。


*あと20年

 でもって止めはハイブリッドである。今じゃF1もWECもハイブリッドが主流であり、コレから先内燃機関が小さくなる事はあっても、大きくなる事はまず無いであろう。でもってレースでの流れってのは、ほぼ間違いなく市販車にも及んでくるモンである。つまりチューニング屋がエンジンをパワーアップさせる技術がどれだけ凄かろうとも、エンジンそのものが小さくなっていくのであれば意味は無くなるのである。でもって従来のチューニング屋にモーターやバッテリーやハイブリッドシステムが弄れるかといったら、答えは「ノー」である。従来の自動車整備学校とかでは、ソコまでやる事を教えていないからである。つまりハイブリッド時代が来たら、地獄のチューナーはお役御免なのである(笑)




 ソレでもまぁ、その時代になるまでに時間はまだまだかかるし、ワタクシの前後の世代は未だ80年代〜90年代に対するノスタルジーが強いから、従来のチューニング屋はソレで生き残っていけると思うのである。が、その世代がチューニングカーから降りた後はどうなるんだって話である。痛車を見て育ってる今の若い子達は、チューニングカーに対する憧れなんか起こる筈が無いのである(笑)チューニング文化はもって20年、早けりゃ10年で終わりといったトコであろうか。スポーツカーは富のステータスシンボルとしての価値がある&モタスポはスポーツ文化の一部だから生き残るとして、従来のチューニング文化は大幅に廃れてニッチな趣味と化してしまう。ワタクシはそう予言するけど、予言が外れてほしいとも思う今日この頃であった。